第三十四話【伝説の鍛冶職人】
帝国中からあらゆる物資と人材が集まる場所。
まさに世界の中心と言っても過言ではない帝都ギルダンに、いよいよ到着したウルリナとユンナは息を吞みながら、足を一歩踏み入れた。
……のだが、その行き交う人々の活気にウルリナは戸惑いの色を隠せなかった。
「……これを良しとするか悪しとするか。今は戦時中だと言うのに、人々にはまったくその自覚はないように見えるな」
そう、辺境領や南部領では物々しい緊迫した空気が流れているにも関わらず、帝都はまさに平穏そのもので、人々の顔からは笑顔が溢れているのだ。
辺境の人間が受けてきた迫害に近い扱いを思い起こせば、ウルリナは歯噛みしたい気持ちだった。
「抑えて下さいね、ウルリナ様~。私達は顔が割れてますし、騒ぎを起こして捕まったら、すぐに処刑されてしまうかもしれませんから」
「ああ、分かっている。敵地で好んでトラブルを起こす悪手は打つつもりはないさ。速やかに鍛冶屋を見つけ出して、あの黒宝珠を武器に打ち鍛えてもらわないとな」
顔を隠すためにフードを深く被ったウルリナ達は、街並みの中を歩き出す。
しかし別段に、彼女達が人目を引いている様子はない。
そのことに安心しつつ、二人は帝都で評判の良い鍛冶屋についての聞き込みを始めていったのだが……。
――ストレート、ワンツーパンチ、コークスクリュー、クロスカウンター。
等々。帝都でも特に評判の良い鍛冶店の名前が、集まってくる。
いずれも帝都の士官学校に身を置いていたウルリナ自身、よく知る名の通った鍛冶店ばかりであり、聞き込みをした道順通りに一店一店を地道に足を運んでいった。
しかしいずれの鍛冶店でも、二人は門前払いを食らってしまう。
理由は単純で、手持ちのお金が少ないのが原因だった。
「……やはり駄目か。今の私達は無一文も同然だ。金にならない仕事を引き受けてくれる、それでいて腕の良い鍛冶職人など、都合よくいるはずもないか……」
頭を抱えるウルリナだったが、ふと腰に差したフレイムタンを見た。
辺境領主に代々伝わってきている業物だったが、彼女は最悪これを売りに出す必要性すら考えていた。最早、その手しか残されていないのではないかと……。
だが、その考えはユンナによって、すぐに一刀両断されてしまう。
「妙な考えを起こしちゃ駄目ですよー、ウルリナ様。大事な剣なんでしょう? 根気よく探していきましょう。帝都は広いですよ。腕の良い鍛冶職人なら、まだまだいるはずですから」
「ああ……それに越したことはないが、やはり最後の手段としてその選択も考えておかねばならないと思っている。それとな、実はまだ一人……訪ねていない人物が私の記憶にあるのを思い出した所だ。ガナンの雷神の槌を製造したと言う、帝都でも随一の名工だ。確か、名は……」
そこまで聞いてユンナも思い出したように、目を輝かせて手をポンと打った。
帝国でも指折りの腕の持ち主で、雷神の槌を始めとして様々な魔導技術を注ぎ込んだ武具を皇帝に献上してきたと言う稀代の名工、その名は……。
「あ、そうですよっ! 帝国が誇るマイスター鍛冶職人、ムラクモ様ですねー!」
「ああ、その方だ。だが、皇室御用達の鍛冶屋であるあの方に引き受けてもらうのは、至難のはずだぞ。だから、私も彼に頼むと言う選択肢を今まで外していたんだ」
しかしユンナはその考えを笑うことなく、真面目に受け止めた様子だ。
それどころかウルリナの腕を引っ張って、率先してムラクモの自宅か職場の場所を聞き込みに向かおうと、足を弾ませ出した。
やがてウルリナもそんな彼女の意欲に折れて、追従して聞き込みを始めたのだが……。結果、二人が予想だにしていなかった事実が、明らかとなる。
「あのムラクモ殿が……鍛冶店を畳んで隠遁した? 一体、なぜ?」
酒場で聞き出した情報によると、二年前に
「何と言うか、頭の固い職人気質の人物のようだな……。だが、隠遁されたとはいえ、一度会ってみる価値はあるかもしれない」
「ええ、今のご自宅がある場所も掴めましたし、行ってみましょうー」
元鍛冶職人ムラクモの現在の住まいは、帝都のかなり外れにあるらしかった。
まるで起こした問題のせいで、人々から隠れ潜んでいるかのように。
ウルリナ達は足早に、しかし正体が割れないように慎重にそこへと向かったのだが、二人が彼の住まいに到着した頃にはすでに日は暮れかかっていた。
訪ねるのは日を改めようかと、そう考えていた時……。
「ほほう、これは驚いた。本当にやって来るとはな」
背後から声をかけられた。男性の、それも年齢を感じさせる低く太い声だ。
振り返ったウルリナ達が目にしたのは、年の割に筋骨隆々の体型をした、二人が見上げる程の高身長の初老の男性だった。
「失礼ですが、貴方は? 私達を知っているのですか?」
「おうとも、直接会ったのはこれが初めてだがよ。夢の中でお前さん達が来ることを毎晩聞かされてたから、よーく知ってるぜ。辺境領からやって来たんだろ?」
夢の中で。今、この初老の男性は確かにそう言った。
だが、それと同様のことをウルリナには、思い当たる節があった。
ユンナが夢の中で女神から神託を受けて辺境伯の城にやって来たように、自分達と彼との出会いも、もしかしたら女神によって導かれていたものなのではないかと。
だとしたら、この人物の正体は……と、彼女は自然と胸が高鳴る。
「まさか、貴方は女神から神託を受けて、私達が来るのを待っていたと言うのですか? 確かに私は辺境領からやって来ました。名をウルリ……」
だが、言いかけた途中で、ウルリナの言葉は遮られた。
初老の男性が、口に手を当てて家の中に入るように促したからだ。
「迂闊に名前を出しちゃいけねぇな。あんたら、追われてるんだろ? 入りな、俺の方はいつあんた達が来ても大丈夫なように、仕事の準備はしてあるからよ」
ウルリナとユンナは互いに顔を見合わせた後、彼の願ってもない申し出に喜びの表情を浮かべ、言われるがままに彼の家にお邪魔することにした。
中は広くはなかったが、炉に金床にハンマーなど、鍛冶屋としての商売道具であろう物が所狭しと並んでいる。
「俺はムラクモ。今は隠遁してるが、以前は鍛冶職人をしていた。さっきも言ったが、あんたらが来ることは夢で毎晩、女神様から聞いて知っているぜ。ほら、出してみな。武器の材料となる鉱物を受け取ってるんだろ?」
ウルリナはユンナの方を見て、あれを渡すように促した。
それを受けてユンナは嬉しそうに懐から例の黒宝珠を取り出すと、彼に手渡す。
ムラクモはしげしげと黒宝珠を見ていたが、今度は武器の使い手となるウルリナの手を見せてくれと、しばらく難しい顔で差し出された彼女の掌を眺めていた。
「なるほどな、よーく分かったぜ。見たとこ、剣の扱いには熟練しているようだし、あんたにとって最高の剣になるように仕上げてやるぜ、ウルリナ」
「ああ、お願いする、ムラクモ殿。だが、私達はあまりお金の持ち合わせがないんだ。お礼は大して出来ないが、それでも構わないのだろうか?」
しかしムラクモはその質問にはすぐに答えることなく背を向けると、炉の中に木炭を入れ、火をつけ始める。
そして二人に背を見せながら、事もなげに答えてのけた。
「くだらねぇ心配はすんな。女神様からの依頼を断ったら、罰が当たっちまう。それによ、儀礼用の華美な武器ばかり欲しがる騎士団連中に比べたら、遥かにやり甲斐のある仕事だ。俺を信じて、任せときな」
それ以降、ムラクモは作業に没頭しているためか、一言も言葉を発さなかった。
日を跨ぐ仕事になりそうなことを察したウルリナ達は、今日の所はお暇すると伝え、そのまま彼の自宅兼仕事場を後にした。
「武器は何とかなりそうで良かったですねー、ウルリナ様。まさか女神様がここまで根回ししてくださってたなんて、感謝ですよっ」
「ああ、タミヤを救う手立てがついたのは一安心だな。今日はどこかの安宿に泊まって、明日また彼の家にお邪魔しよう」
目的の人物が見つかり、希望が見えてきたウルリナ達は、喜び勇んだ様子で彼の家から足早に離れていき、宿を探し始めようとしていたが、そんな時だった。
どこからか分からないが、少女の笑ったような声がした。
だが、帝都の外れであるこの場所には見回しても、誰一人見当たらず。
気のせいかと再び中心街の方へ向かおうと向き直った、二人だったのだが……。
「えへあはははっ……見つけましたよよぉっ! 辺境伯の娘のウルリナさんと、ええと……そのお供の方ですかねぇぇっ?」
「っ!? な、何だ……お前はっ!? 私達を知っているのかっ?」
いつの間にかそこにいたのは、一人の女の子だった。
燃えるような赤い髪と双眸を持ち、少女と呼ぶにはまだ幼く見える容貌。
だが、目だけは年齢とは不相応の狂気が宿っており、ウルリナは彼女の眼光から放たれる悍ましい殺気に見た瞬間、悪寒が走った程であった。
「まさか、帝国が差し向けた追っ手かっ!?」
ウルリナは目の前の少女を敵と判断するなり、反射的にフレイムタンを腰から抜き放つと、ユンナも彼女に続いて短剣を抜いて構えた。
すでに二人の表情からは先ほどまでの笑顔が消え、少女と面と向かい合って対峙し、一触即発の空気が流れる。
「あああぁあ……困りますよぉっ。貴方達にそう敵意をむき出しにされちゃったら、あたしちゃんだって応戦するしかないじゃないですかぁあっ。まったく、しょうがないですねぇぇっ」
そんな少女を無視し、ウルリナは目配せすると、ユンナが頷く。
少女が攻撃を仕掛けてくる前に、先手を打って仕掛けようと言うのである。
そしてウルリナが先んじて、足を一歩踏み出す。
「……悪いな。お前が誰だか知らないが、私達はこんな所でお前に捕まってやる訳にはいかないんだ。降りかかる火の粉は、払わせてもらおう」
「ウルリナ様、気を付けてくださいねー……。彼女、見た目は幼い女の子ですけど、その身に宿る力は、クシエル師匠やフィガロ並みです」
それはウルリナ自身も感じ取っていたことだった。
目の前の少女の並々ならない気配と、その狂気に満ちた眼光。
緊迫した空気の中、仕掛けようとしてもそれ以上は動けずにいた所、彼女の額から冷や汗が流れ、それが地面に滴り落ちる。
だが、それにより、止まっていた双方の時間が、再び流れ始めた。
「……いくぞ、ユンナっ! この場を全力で凌ぎ切る! 私に続け!」
「ええ、承知ですっ! ウルリナ様ーっ!」
その力強い掛け声を合図として、ウルリナとユンナは息の合ったタイミングで地を蹴り、対する少女も手にした杖を構えると、ついに戦闘が開始された。
だが、少女に秘められた力を思えば、二人にとって死闘となるのは必至。
だからこそ二人が頭の中で優先して考えていたのは、勝つことではなく逃げ切ることだったのである。
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