第三十二話【ウルリナ達の逃避行】

「ウルリナ様っ、逃げますよー! 一刻も早くここから立ち去るんです!」


 ウルリナの元へ走って戻ってきたユンナは叫ぶように言うと、素早く荷物をまとめ始める。そして待機させていた生体戦車の中へと、急くように乗り込んだ。

 その勢いに押される形で、ウルリナも彼女に続いて生体戦車に飛び乗ると、二人は地中に潜ってその場を後にした。


「やはり、何かあったのか? お前が偵察に行くと言って出ていった時、妙に引っかかっていたんだ。笑顔が僅かに引き攣っていたからな」


 ウルリナが地中を進みながら、ユンナに話しかける。

 自身の胸中を見抜かれていたユンナは彼女の洞察力に舌を巻くと、隠し立てしても無意味と悟ったのか、正直に打ち明けた。


「ええ、野戦築城にいたあのフィガロさんですけど、案の定、私達に気付いてたみたいです。その彼が私達を追って来てたみたいなので、迎え撃ってきましたー」


「あ、あの男とか!? 相手は帝国六鬼将だぞ! それで勝てたのか?」


 ウルリナは何て無茶をしたんだとばかりに、驚きを隠しきれない様子だ。

 しかしそれは責めるような口調ではなく、ただユンナの無事を安心した上で、事の顛末を確認しておきたいと言う口ぶりだった。


「痛み分け、ですかねー。私も手酷い目に遭いましたけど、向こうもただでは済まなかったはずです。少なくとも、時間稼ぎは出来ました。ですから、今の内に少しでもここから離れないと、次はもう逃げきれません」


「……ああ、逃げることに迷いはない。だが、もし次にまた無茶をしなければならない時は、私にも言ってくれ、ユンナ。その時には、私も付き合ってやるから」


 自分を気遣うようなそのウルリナの提案に、ユンナは少し逡巡した後、「分かりました、それじゃこれからは心がけますね」と、いつになく真剣な調子で答えた。

 それを聞いたウルリナは安心したのか、微かに笑みを溢す。

 だが、すぐにまたいつもの毅然とした表情に戻し、彼女に念を押した。


「もうすぐ南部伯の城に辿り着く。あそこにはネルガル将軍もクシエルもいるはずだ。遭遇は死を意味する。今度こそ、真っ向勝負になる事態だけは避けなくてはな」


 中央領へ向かうには、左右の山に挟まれた南部伯の城は必ず通る必要がある。

 言わば外敵の侵攻をここで食い止める役割を持つ呪の障壁に続く第二の砦が、あの城なのだ。その場所へと二人は地中を通りながら、刻一刻と近づいていっていた。

 そしてついに百メートル以内にまで接近すると、地上では三万を超える大軍勢が城を守護しているのを、強化された二人の聴覚は確かに聞き取った。


「いますねー、大勢。ここを越えさえすれば、中央領まで後少しです。何とか彼らに見つからずに進めたらいいんですけど……」


「確かに危険は高い。だが、タミヤを救うためには、私達はどうしても帝都に行かねばならないんだろ、ユンナ? ならば、臆していても仕方がない。行くぞ!」


 内心では恐怖と戦いながらも、ついに二人は進むのを再開した。

 全身からは嫌な汗が流れ、発見されないことを願った。だが、そんな時のこと。

 自分達が進む地中よりも更に深い地面の底で、水の流れが聞こえてきたのだ。

 そこには地下水脈によって出来た洞窟があることを、その音が知らせてくれた。


「……水か。どうやら、ここよりも深い地下に空間があるらしい。もしかしたら、そこを移動していけば、水音に紛れて多少は安全かもしれんな。ユンナ、ここから先は地下洞窟を通って北を目指していくぞ」


「ええ、承知しましたー、ウルリナ様!」


 ウルリナの安全策にユンナは二つ返事で従うと、二人は地中のより深くを目指して進み、やがて地下内に出来上がった洞窟の天井部分から飛び出す。

 そこでは確かに水が流れていたが、水深はさほど深くはなく、奥に行くほど大きな空洞が広がっているようだった。

 だが、すぐに二人は気付いた。ここには水の流れ以外に何も存在していない訳ではないことを、その何かの息遣いが知らせてくれていたのだ。


「……何だ、この呼吸音は? 一体、こんな地下に何がいると言うんだ……?」


「人間じゃありませんねー、動物? いえ、それとも違います。まさか……」


 悪い予感が、脳裏を過ぎる。人間でも動物でもないとしたら、それは……。

 動悸を高鳴らせながら、二人は生体戦車に搭乗したまま地下洞窟内を進む。

 洞窟内の天井は先に進むほどに高くなり、ついに小規模な城が丸々入りそうな程の大空間へと出た時、ウルリナとユンナは謎の息遣いの正体を知ることとなる。


「何だっ……甲虫類!? いや、あの外見は蜘蛛か?」


「っ! あ、あれはー……あの巨大さと黒ずんだ甲皮。まさか……」


 そう、そこにいたのは巨大と呼ぶのも生易しい、異常なまでに大きな体躯の硬質の肌を備えた漆黒の大蜘蛛だった。だが、幸いにも寝息を立てながら睡眠を取っているらしく、二人の接近に気付いている様子はみられない。


魔種ヴォルフベットの一種なのか、あれも。ひょっとしたら、あれが噂の中だけで一人歩きしている、不浄タイプの……魔種ヴォルフベット


「分かりません。分かりませんが……一つだけ確かなのは、決してあれを起こしちゃ駄目ってことですねー……。このまま慎重に進んで、通り過ぎましょう」


 一聞すると、ユンナの何気ないその言葉と口調。

 だが、ウルリナはそこにまたも嘘っぽさがあったのを、感じ取っていた。

 それは些細な違和感であり、もしかしたらあの大蜘蛛について何かを知っているのではないかとも思ったが、しかし彼女は問い質すことはしなかった。

 今はそれどころではないし、秘密を無理に暴こうとするのは躊躇われたからだ。


(ユンナ、お前は一体、何を知っていると言うんだ……? こいつは帝国と何か関わりのある化け物なのか?)


 浮かんだ考えを、意識的にウルリナは胸中に押し込む。

 そして今の窮地を脱することだけ考えようと、ウルリナはユンナと共にゆっくりと物音を立てないように注意しながら、少しでも迅速にこの場を離れようと努めた。

 だが、二人は息を殺しながら用心深く進んでいたが、やはり現実はそう易々といかせてはくれなかったのだ。

 突然、地下洞窟内の地面や壁から、ぽこぽこと穴が開き始めた。

 ……と、二人が気付いた時には、すでに無数の人間サイズの蜘蛛達に周りを取り囲まれていた。


「……か、囲まれている!? 何十匹いるんだ、こいつらは……。しかも厄介なことに、どう見ても私達を敵として認識しているぞ!」


「逃げましょうー、ウルリナ様! 相手にするには数が多すぎますー! 何より私の大切な改造ホムンクルス達が壊されちゃいますから!」


 ウルリナとユンナは、迷いなく即断する。

 今までの慎重さとは打って変わって全速力で生体戦車達を駆ると、立ち塞がる蜘蛛達の合間を縫って、一目散に逃げの手を打ち始めた。

 だが、それでも蜘蛛達は追跡の手を緩めずに、二人に迫ってきている。


「速いっ! 奴ら、恐ろしく速いぞ!」


「仕方ないですねー、ここは搭載された魔導兵器を使用しちゃいましょう! 多分、目眩ましにはなるはずです!」


 ユンナがそう言った直後、生体戦車の後部から球状の物体が後方へと放出され、それが爆ぜるような音と共に四散し、爆炎が広がっていった。

 蜘蛛達の叫びが聞こえ、ウルリナ達は奴らを引き離していく。

 が、それは一時的なもので、すぐにまた追い縋ってくる蜘蛛達をユンナは再び同様の魔導兵器を用いて、後方へと退けさせた。


「はあっ……はあっ、し、しんどいですねーっ! 逃げ切るまでに代償となる、私の血液が持てばいいんですけどっ……!」


「さっき言っただろう、ユンナ。お前だけに無茶をさせるつもりはないと! 今度は私に任せてくれ!」


 今度はウルリナが同様の魔導兵器を行使し、蜘蛛達を振り切らんと文字通り全力を尽くした。次第に息切れをし始める二人だったが、幸いにも追跡してくる蜘蛛達はもうかなりその数を減らしてきている。


 ――後、一息だ。


 と、二人がそう思っていた時のこと。

 突如、地下洞窟の天井から大きな岩が崩れ落ちてきた。

 巧みにそれらを回避していく二人だったが、次に天井から落下してきたそれは彼女達の予想だにしていないものだった。


「わんっ! わんっ! わわん!」


 それは……その生物は、一振りの刀を咥えて鳴く白い犬だったのだ。

 しかもその刀は二人にも見覚えのある。そう、タミヤの愛刀、村正だった。

 その犬は二人に駆け寄ってくると並行しながら、一緒に走り始める。


「あれはタミヤの村正じゃないかっ!? 止まってくれ、ユンナ。この犬達からは何か私達に伝えようとしている、意思のようなものを感じる!」


 ウルリナは生体戦車を急停止させると、背面から飛び出して犬を抱き抱えた。

 すると、犬は「くーん」と鳴いてウルリナに懐いた様子で肌をすり寄らせる。

 ユンナも遅れて生体戦車から出ると、そんな彼女達に走り寄っていくが、しかしその間に引き離していた蜘蛛達がいよいよ追いつき始めた。


「ウルリナ様、蜘蛛達が追って来てますー! 犬一匹くらいなら一緒に搭乗出来ますから、早く乗ってここを離れないと、また取り囲まれますよっ!」


「ああ、分かった。だが、この犬達はきっと私達を頼ってここまで来たんだ。ならば、私はこいつらのその期待に応えてやらねばならない」


 ウルリナはまず先に犬と村正を生体戦車に乗り込ませると、後から続いて自分も内部に搭乗し、急発進させる。

 そして彼女は戦車内部で犬の頭を撫でてやると、「安心しろ、私が守り切ってやる」と言わんばかりに、全速前進で地下洞窟内を疾走させていく。

 それからしばらくの攻防が続いたものの、やがて先に体力の尽きた蜘蛛達を、彼女達はついに引き離すことに成功していった。

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