ウルリナの新たな決意と旅立ち

第三十話【失意に沈むウルリナ】

「ウルリナ様、お顔の怪我の具合は……うんうん、ずいぶん腫れは引きましたねー。顔は女の命ですから、これなら私も一安心ですよー」


 どこかの古びた民家と思われる部屋の一室。ユンナは濡れたタオルで横になったウルリナの顔を丁寧に拭いて冷やしながら、微笑みの表情を浮かべてそう言った。

 今のウルリナの顔は大きく腫れ上がっていた以前に比べると、目立たなくなってきている。このままいけば完治するのは、もうしばらくと言った所だろう。

 だが、喜びの表情に満ちたユンナとは反対に、彼女は心ここにあらずと言った顔で、目もどこか虚ろだった。


「ああ……そうだな。だが、生き延びた所で、どうすると言うんだ。私達は負けたんだぞ……。頼れる味方もなく、ここから巻き返すことは……もう不可能だ」


 生まれ育った辺境伯の城を焼き払われ、自分を信じてついてきてくれていた部下の辺境騎士達も、そして唯一の身内だった実の父もその時に失ってしまった。

 その上、辺境領の村々は焼き討ちを受けて、多くの領民が虐殺されたのだ。

 だからもう自分は一人っきりだと言う、絶望が彼女の心を支配していた。

 そして何より、彼女の心を圧し折るのに決定的だったのは……。


「タミヤ様は本心から、あんなことをしたんじゃないと思いますよー。あれはクシエル師匠の常套手段なんです。タミヤ様はあの男に……自分に好意を抱くように脳をいじられたんです」


「……だとしても、私にこれからどうしろと言うんだ? 私ではそのクシエルにも、他の六鬼将にも敵わないんだぞ。タミヤだって今までより、ずっと強くなっていた。もう私ではどうにもならないんだ……そうだろう? それとも違うと言うのかっ? なあ、何か方法があると言うなら、私に教えてくれ、ユンナっ!」


 虚ろな表情から一転して目に怒りを帯びさせながら、ウルリナは上半身だけ勢いよく起き上がらせたものの、明らかに彼女は狼狽していた。

 そしてユンナのその小さな両肩を掴みながら、激しい剣幕で捲し立てる。

 だが、ユンナは動じることなく、自分を縋る様な目で見てくる、そんな彼女の目を真っ直ぐに見据えながら、自信を持って答えてのけた。


「方法ならあります。私が神託で女神様から頂いた黒宝珠ですよ。あれ、何に使うのか私にも最初は分かりませんでしたけど、タミヤ様はあれを持った途端に、まるで力が抜けたかのように床に落とされたんですよねー。もしかしたら……私の個人的意見なんですけど、女神様はこの状況を想定して私に託されたんじゃないかって」


「あの、黒い宝珠が……タミヤを救うための切り札になるのか?」


 ウルリナはユンナの言葉に反応して、聞き入る様に耳を傾けていた。

 体は身を乗り出し、その目は少し希望の色を取り戻しているようにも見える。

 ユンナは懐から黒宝珠を取り出すと、そんな彼女に見せるようにして言った。


「可能性は高いと思います。だって……これ、私が触れても、そしてウルリナ様が触れても何ともなかったですよね。けど、タミヤ様だけに悪影響があった。きっとこの黒宝珠はタミヤ様の力が暴走した時のため、そんな時のための切り札なんです」


「じゃ、じゃあっ……!」


 ウルリナは勢いよく立ち上がる。

 すでに彼女の顔からは、弱々しい悲壮感は一切が消え去っており、決意をした者だけが宿す、そんな力強い目の輝きがあるだけだった。


「ならば、いつまでも不貞寝をしている場合ではないな。すぐにでも行動に移らなければ……。鍛冶屋だったな? その黒宝珠を加工出来る鍛冶屋を見つけて、武器に打ち鍛えてもらいさえすれば……!」


「ええ、そういうことですよー、ウルリナ様。まだ戦いは終わりじゃありません。私達にだって、まだ出来ることが残されているんです。タミヤ様を救う手が!」


 即断即決。

 明確な目標と、僅かとはいえ希望が見えてきたウルリナの行動は早かった。

 すぐさま身支度を整えると、ユンナに当面の行動指針を告げる。


「帝都だ。優秀な人間は鍛冶屋に限らず、あそこに集まる。まずは帝都を目指して、そこで私達が求める人物を探す。さっそく出発しようと思うが、行けるか?」


「ええ、私なら大丈夫ですから、ウルリナ様。帝都のある中央領に向かうには、まず南部領を越えないといけませんよね。それじゃ、私の改造ホムンクルス達を使って、地中からこっそり抜けちゃいましょうかー」


 二人が民家の外に出ると、ユンナが指をパチンと鳴らす。

 すると、彼女が作り上げた生体戦車が二体、土を左右に押しやって、地中から這い上がってきた。

 そしてすかさず二人が生体戦車の背面部分から内部に乗り込むと、搭乗者を得た生体戦車達は再び土を掻き分けて地中へと潜っていく。


「地中で逸れないように、音で探知してついて来てくださいね、ウルリナ様。けど、私の改造ホムンクルス達は生物です。馬と一緒なんです。ですから、帝都までの道中、休み休み移動しないといけません」


「ああ、分かった。休憩のタイミングの判断はお前に任せる。では、出発するぞ」


 二人が乗った生体戦車二体は地中をそれなりの速度で突き進んでいき、あっという間に彼女達が隠れ潜んでいた辺境領の廃村を遠く離れていった。

 そしていよいよ辺境領と南部領の境目である、呪の障壁があった場所へと差し掛かる。そこで二人は一旦、進むのを止めて息を吞んだ。


「ここからは敵地です。地中を進んでいるとはいえ、手の内はすでに敵にバレちゃってますからねー……。何が起きるかは私にも保証は出来ませんよ、ウルリナ様」


「ああ、覚悟ならすでに決めている。戦闘行為は出来れば避けたいが、万が一の時には迎え撃ってやるさ」


 それだけ言葉を交わした後、ウルリナとユンナは進むのを再開した。

 緊張感が否応なく高まる。南部伯の城へと続く帝国道の真下を真っ直ぐに通り、ついに中央の騎士達が建設中の野戦築城に、後僅かの距離まで近づいてきた時……。

 二人の危機感は、一段と増した。

 なぜならば、そこにはある人物が来ていることに気付いたからだ。


 ――その男は、飛び越えのフィガロ。


 野戦築城の壁に背をつけながら、彼は作業に励む騎士達を眺めていた。

 無言のまま言葉を発することもなかったが、その気配は地中からでも嫌でも彼本人だと分からせる、凄まじい気配だった。


「なあ、ユンナ。向こうは私達に気付いていると思うか?」


「……さあ、それは私にも分かりませんねー。けど、ここはそうでないと信じて、このまま抜けるしかありません。だって、こんな敵地のど真ん中で戦うことになったとしたら、一大事ですから」


 ウルリナとユンナは嫌な汗が流れるのを感じつつ、何事もなくここを抜けられることを女神ユーリティアに祈った。そしてゆっくりと音を抑えて地中を進んでいく。

 ……そんな願いが通じたのか、二人は無事に野戦築城を通り抜けていた。


「よし、やったな。冷や冷やしたが、難関は一つ突破出来た。これで後は南部伯の城を抜けさえすれば、もう少しで中央領だ」


「ええ……本当に、そう上手くいけばいいんですけどねー……」


 ウルリナはこの成功を素直に喜んでいたが、ユンナはそうではなかった。

 二人にそんな差異が生まれたのは、ただ彼のことを知っていたかどうかの違い。

 そう、フィガロと言う人物を。

 皇帝お抱えの暗殺者の長にして、生きる伝説と呼ばれる六鬼将の一角。

 そんな彼がみすみす自分達をこのまま行かせてしまうミスを犯すことがあるのだろうかと……ユンナは先を急ぎながらも、一抹の不安を感じていたのである。

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