第二十八話【ウルリナとの決別】

 今夜はメモ帳に小説のネタを書き殴る作業は、あまり筆が乗らなかった。

 あれから日を跨いだ今も、村正と聖騎士甲冑に拒絶されたことを僕はまだ引き摺っているのかもしれない。

 やはりあの武具は僕が異世界に来た時から幾度も僕の窮地を救ってくれた、愛着のある装備なのだ。だから僕は今、半身を失ったかのような喪失感を覚えていた。


「くそっ……最悪な気分だ。まったく気が乗らない。今日は……もう寝るか。いや、魔種ヴォルフベットとの戦いが迫ってきてる今、無為に時間を過ごす訳にはいかないか」


 そう決意した僕は椅子から立ち上がると、僕に宛がわれた部屋の中心で気を全開で放ち、体の周囲に実体のない鎧として留める鍛錬を始める。

 その際に仮想敵として思い浮かべたのは、辺境領のあの女の顔。


「ウルリ、ナァっ!」


 クシエルのことを愛おしいと思い始めたのとは反対に、あの女に対しては怒りと言うのか、憎しみすら覚えていた。

 顔を脳内に浮かべただけで、全身から殺気が迸る。

 今度会った時には殺してやると、そう考えていると自然と鍛錬は捗ってく。

 最初は五分と続かなかったネルガルの鍛錬法だったが、今では二十分は持続して行うことが出来るようになっているのだ。

 僕は……確実に強くなっている自分に、笑みが零れた。


「はあ……はあっ……くっ! けど、今の所は二十分が限界かっ」


 僕は床に寝転ぶように横になると、体を大の字にして天井を見上げた。

 現在の時刻は、すでに夜十時を回っている。

 満月の光を浴びなくて済むように窓のない部屋を用意されたのだが、僕は息を整えると、何かに誘われるように部屋を出た。

 通路を歩きながら窓から差し込む月の光が僕を刺激し、本能が顔を出し始める。


「飼い慣らしてやるよ、この衝動を。そして流転者としての使命を、僕は果たさなきゃいけない。勿論、帝国のためなんかじゃないさ、自分自身と、そして……」


 ――そう、クシエルのため。


 たとえ僕のこの感情が彼に歪められたものだとしても、それでも構わなかった。

 この欲求に逆らうのは、苦しいだけだと自分でも分かっていたから。

 しばらく城内を歩いた後、中庭に出た僕はベンチに腰を下ろして頭を両手で押さえながら、この殺戮衝動を支配すべく戦っていた。だが、そんな時のこと……。

 ふいに僕のいる場所の近くに、気配が現れたことに気付く。


「タミヤっ! 探したぞ、どうやら無事だったようだな」


 それは聞き覚えのある声だった。

 僕が頭を上げると、僕が座るベンチ前の空間から忽然と誰かの姿が現れる。

 そしてその人物は……そいつはあの辺境領の女、ウルリナだった。


「ウルリナ……か。お前こそ、やっぱりあの後も生き延びていたんだな」


 ウルリナは僕に駆け寄ってくると、僕の両肩を掴んで小声で話しかけてくる。

 だが、僕が懸念していたのは、この女が一人だけでここまでやって来れる訳がないと言うこと。近くには、必ず協力者がいるはずだと、そう思った。


「タミヤ、逃げるぞ。すでに退路は用意してあるんだ。今なら見つからずに逃げ出せる。さあ、急いで脱出しよう」


 ウルリナは僕の手を取ってこの場から離れようとするが、僕は彼女の腕を力強く掴んで、その歩みを止めさせた。

 その行為をこの女は意図が分からないと言った顔で、僕を振り返って見てくる。


「どうした、タミヤ。早くしなければ……」


 ウルリナが言いかけた途中で、僕はこの女を中庭の地面に押し倒した。

 そしてその首を両手で掴んで、ぎりぎりと力を込め始める。

 それをこいつは碌に抵抗することなく、信じられないかのような顔で「なぜ?」と言わんばかりに、僕に訴えかけるような目で僕を縋り見ている。


「タミ……苦、しい……どうしたんだ? なぜ、こんな……」


「もう一人、いるんだろ? あいつはどこにいる、ユンナの奴は?」


 苦しさのためか、ウルリナは目に涙を溜めて嗚咽を漏らしていた。

 その顔を見るだけで嫌悪感を覚え、殺したい気持ちが湧き上がってくる。

 だが、ユンナの居場所を聞き出すためには、まだ殺す訳にはいかず、僕は理性で殺意を抑えると、この女の首から両手を離す。


「げほっ、げほ……! お、お前は……誰だ? 本当にタミヤ、なのか?」


「ああ、僕はタミヤ・サイトウだよ。そして今は帝国六鬼将の七人目でもある。のこのことやって来て僕に姿を見せたのは失敗だったな、ウルリナ。もう僕は、お前らとは決別してるんだよ」


 それを聞いて尚、ウルリナは僕に地面に押し付けられたまま、やはり抵抗する様子も見せずに僕の顔を見つめていた。

 いや、その表情は今にも泣きだしそうな悲しみに満ちている。

 それはこの女が、あまり人前では見せない顔だった。


「タミヤ、私が来るのが遅かったからか? 奴らに何かされたんだろ?」


 僕はその態度に無性に怒りが湧いて、こいつの顔面を殴りつけてやった。

 何度も繰り返し、繰り返し。その度に、この女の顔が血で赤く染まっていく。

 僕の顔に汚らわしい辺境地の穢れた血がかかり、それを手で拭うと、湧き上がってくる殺戮衝動も手助けをし、僕の手により強い力が込められていった。

 だが、そんな僕の腕は背後から何者かによって、掴み上げられてしまう。


「その辺にしといた方がいいですよ、タミヤ様」


 背後から聞こえてきたのは、今度も僕の知っている声だった。

 待ち人来ると思い、僕が顔だけ振り返ると、やはりそこには……。

 明らかに怒気を帯びた顔で、僕の腕を掴んで睨み付けている、ユンナがいた。


「予想はしてたけど、やっぱりこの女と一緒に来てたみたいだな、ユンナ」


「どういう了見ですかー、タミヤ様? 女の子に手を上げるなんて、まるで悪役みたい……いえ、今の貴方はまるで恋する乙女みたいですよ。まあ、貴方が何をされてそうなったのか、予想はつきますけど……」


 小柄な女とは思えない強い握力で掴まれ、しかも有無を言わさない迫力で殺気を飛ばされており、僕は迂闊に反撃を仕掛けることは出来なかった。

 だが、それも僕が殺戮衝動に身を任せれば、余裕で振り解いてここから攻撃に転ずることが可能なのは間違いないことで……。


「放せよ。痛いだろ、ユンナ」


「放しません。ウルリナ様に謝ってください」


 もう限界だった。僕の中で、この二人への怒りと殺意が爆発する。

 殺戮衝動に忠実に従い、僕の髪が白く腰まで長く伸び始め、目は赤黒くなり、僕はこの身を血の酩酊に目覚めた獣へと変化させていった。


「じゃあ、死ねよ! 今の僕にはお前らを殺すことへの躊躇なんて、もう一片も残ってないんだからな!」


 僕は僕の腕を掴むユンナの手を力任せに振り解くと、拳を握り固めてこの女に叩き込もうとした、その刹那。

 直前でユンナの姿が消え、僕の拳は空しく空を切った。


「完全に姿を消した? 透明化……あいつの天の才器って訳か」


 僕は振り返って後ろのウルリナの姿を確認しようとしてみたが、あの女もすでに跡形もなく忽然と消え去っており……。

 つまりユンナは迷いなく、真っ先に逃げの手を打ったのだ。

 勝ち目がないと見たのか、僕を取り戻すのが不可能と判断したからなのか、それは分からなかったが、すでに今の僕にはどうでも良い理由に成り下がっていた。

 なぜならば……。


「クシエル……う、うううあっ!」


 僕にまた麻薬中毒者の禁断症状のような、苦しみが襲ってきていたからだ。

 この頭が割れそうな苦痛を癒すには、クシエルの姿を一目でも見るしかなく。

 いや、出来ればその身に抱き締められたかった。

 特に、敵を逃がすと言う失態を冒した今は……あの声で慰められたいと。


「うう、クシエル、クシエルぅ……」


 すでに辺境領のあの女達への殺意も嫌悪感も頭の中から消えてなくなっており、僕はふらふらと覚束ない足取りで、彼の部屋へと向かって歩き始めていた。

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