第二十七話【流転者の血の因子】

「ひゃっひゃっひゃっ! 結論から言うが、お主に流れる血液の特性は人よりも魔種ヴォルフベット共に近いと言える。異物に対する防衛力が遥かに高く、何よりも肉体が傷ついた際に、より強く結合させようとするのじゃからのう。つまり……お主は負傷から立ち直る度に強さを増すことが出来る、人ならざる人だと言うことじゃ」


 たがが外れたように、診療台に寝かされた僕を見下ろしながら笑うのは、帝国の大魔導師にして六鬼将の一人でもある、バージバルと言う男だ。

 すでに齢は八十は越えていそうな彫りの深い老人だが、僕と対面してから何度も大げさに騒ぎ立てては不興を蒙るという、穏やかさとは無縁の人物だった。


「じゃあ、あんたの言うそれが流転者って奴の特性なのか? 僕がそうだと?」


 僕の質問にバージバルは待ってましたと言わんばかりに、高笑いしながら部屋内に立てかけられた白板を手で数度、ばんばんと叩く。

 そして黒いペンを勢いよく動かし、白板に何かのイラストを描き始めた。

 しばらくして描き上がったそれは一人の男と、一人の女のイラスト。

 それは意外にも中々、達者な絵だったが、バージバルは細い棒を取りだすと、白板のイラストをつつきながら説明を始める。


「ええかの? 帝国の初代皇帝ユーリルについても謎は多いが、彼は女神ユーリティアと接触したことで、流転者としての肉体を得たと言われておるのじゃ。それはお伽話でも何でもなく、事実であると言うのが研究の結果、明らかとなっておる。彼の遺体と思われるものも、帝国墓所で発見されておるからのう、ひゃっひゃっひゃ!」


 ……初代皇帝もそうだったと言う、流転者。

 その説明を聞いて僕にはもしかしたら、その彼も僕と同じく別世界からやって来た人間なんじゃないかと、そんな気がしていた。

 そして僕を日本からこの異世界へ喚んだのも、女神の仕業なのではないか、と。


「初代皇帝ユーリルもまたお主と同様の特性の血液を持っておった。だからワシは現皇帝陛下にそれをご報告したのじゃが、陛下もお主に興味を持たれてのう。本物なら魔種ヴォルフベットとの戦いに勝利出来るかもしれんと、大層なお喜びようじゃったわ!」


 そしてバージバルは僕の血から、魔人タイプの魔種ヴォルフベットに対抗できる仕組みをもっとよく解き明かしたいからと、僕の体に採血針を刺して血を抜き始めた。

 日本では自分の血を見るのが好きではなくて、献血にも行ったことのない僕だったが、他ならぬクシエルの頼みと思えば、耐えるに足る苦痛だった。


「採血には十五分ほど、かかろう。それから血を抜いた後の、お主の体調の変化も調べさせてもらうぞ。どのくらいの早さで骨髄から血液が再び作られるかも、知っておきたいからのう、ひゃっひゃっひゃ!」


 高笑いするバージバルは机の前の椅子に腰を下ろすと、今まさに抜かれつつある僕の血液の数滴を器に垂らして、顕微鏡で覗き始める。

 すると、今の今まで騒がしかったこの男も作業に没頭しているのか、途端に静かになって一言も発さなくなった。

 そしてしばらくすると、その血液を注射針でモルモットに注入し始めたのだが、僕は信じられないようなモルモットの異変に思わず自分の目を疑ってしまう。


「ぎ、ぎにゃあああっ!!!」


 突然、苦しみ始めたモルモットの体が、みるみると膨れ上がる。

 そして全身のあちこちからから血液を噴出させたかと思うと、原形を留めない程に破裂して肉片が飛び散ったのだ。

 それを見たバージバルは何が面白いのか天井を仰ぎ見ながら、高笑いする。


「やはりか! 案の定、著しい拒絶反応を示してくれたわい。初代皇帝の血液を使ってみても、同じじゃったからのう。つまり流転者の血液とは、何者とも相容れない、孤高の血液と言うことじゃ。これは輸血には使えんのう、ひゃっひゃっひゃ!」


「つまりどういうことなんだ? その仕組みが分かりさえすれば、帝国側は魔人タイプの魔種ヴォルフベットにも対抗出来るのか?」


 すると、バージバルは椅子から立ち上がり、また白板に黒いペンを走らせてすらすらと慣れた手つきでイラストを描き始めた。

 そしてやけに漫画チックな、赤血球と思われるイラストが描き上がる。


「主に酸素を運ぶ機能を持つ赤血球じゃが、流転者の場合はそれだけではない。異物をことごとく破壊していく、そんな働きも備えておるのじゃよ。異物……その範疇には当然、今のモルモットだけではなく、人間や魔種ヴォルフベットも含まれるだろうのう!」


 愉快で堪らないと言う様に、バージバルは高笑いする。

 しかしこの男が言わんとしていることが、僕にも分かりかけてきた。

 つまり僕が不死身体質の魔人タイプの魔種ヴォルフベットを抹殺出来るのも、奴らを異物と見なして破壊する、その血液に秘められた何らかしらの力があるからなのだと。


「ひゃっひゃっひゃ、お主と言う血液サンプルがこうして豊潤にあるんじゃ。存分に調べさせてもらおうかのう。とはいえ、期限はある。魔種ヴォルフベット達が攻めてくる前に結果を出さねば、帝国も苦戦は避けられんかろう。急がねばならんのじゃよ!」


 とは言いつつ、少しも焦ってなどいなさそうなバージバルは、再び作業にのめり込み始めたようで、室内は静かになった。

 それから小一時間は診療台に横にさせられて、次第に退屈を感じ出した頃……。

 突然、部屋の扉が開く。そしてネルガルがクシエルを伴って姿を現した。


「よお、どうだ、バージバル? お嬢ちゃんの様子はどうだ? ずっと横になりっぱなしで暇してると思って、茶菓子を持ってきたぜ」


「こりゃこりゃ……ネルガル将軍。いつの間に、お戻りでしたんですかのう?」


 ネルガルは茶菓子の入った箱を僕に手渡すと、バージバルの方を向いて答える。

 だが、漆黒塗りの青銅甲冑に隠れてはいたが、僕は彼の体のあちこちに新しい傷が無数に刻み込まれていることに気付いた。

 それはまるで……つい先ほどまで何かと戦っていたような、である。


「つい今し方だぜ。これでしばらくは猶予が出来た……とは思うがよ。お前はとにかく一刻も早くお嬢ちゃんの血の解析を急ぎな。いくらぶっ殺しても、蘇ってきやがる敵とは、俺もあまり何度もやり合う気にはなれねぇんでな」


「承知しましたわい、ネルガル将軍。可能な限り、急ぎますじゃ」


 そのことだけバージバルに念を押すと、ネルガルは「疲れた、俺はもう寝る」と言い残して、欠伸をしながら部屋から出ていった。

 そして一緒に同行して来たクシエルは診療台で横になる僕の頭を軽く撫でると、微笑んで労ってくれた。その行為に、僕の頬も思わず緩む。


「疲れたでしょう、タミヤ殿。ご苦労様でした。バージバル、採血が終わっているなら、しばらく借りていきますよ、私達の新たな同僚となる彼女を」


「好きにせい。ワシは当分、ここで血液と睨めっこせんといかんからのう。まったく陰気な仕事じゃて、ひゃっひゃっひゃ!」


 血液を相当量失ってふらつく僕をクシエルが支えながら、僕らは退室する。

 まずは失った血を取り戻すため、食堂で魚介類やレバーなどを中心とした食事を取りながら、僕らは隣り合った席でしばらく言葉を交わした。


「貴方からお預かりしている村正と騎士甲冑ですが、お望みでしたら、すぐにでもお返しします。あれは貴方の所有物ですし、すでに貴方は捕虜の身ではなく、私達の仲間なのですから」


「ああ、助かるよ。やっぱり戦場じゃ手に馴染んだ武器じゃないと、調子が出ない。しかもあの二つは普通の武具と違って、特殊な力も宿ってるからな」


 僕の言葉に隣のクシエルは柔和に微笑んで、僕の手の甲に指先を添えてくる。

 僕の頬が赤くなるのが自分でも分かったが、もう彼に反発する理由もないので、成されるがままに身を任せた。


「……特殊な力、やはりそうでしたか。あれらはきっと……貴方の天の才器の片鱗なのかもしれませんね。そしてそのことを、他ならぬ貴方自身が気付いていない」


「天の才器っ? ウルリ……いや、辺境のあの女みたいな力が僕にもあるのか?」


 クシエルは「では、確かめてみますか?」と言って立ち上がり、僕を先導して歩き出したのだが、武具が保管されている倉庫の扉を開くと、僕に入るように促す。

 すると、倉庫の片隅には僕愛用の村正と聖騎士甲冑が置かれてあった。


「恐らくこれらには貴方が無意識に、何らかの影響を与えたのでしょう。でなければ、あのような特殊な効果を持つ武具など、自然には存在しないですからね」


 僕は意識して念じてみた。しかし村正も聖騎士甲冑もなぜかまるで反応しない。

 今まで通りなら、僕が願えば勝手に動き出してくれたはずなのに……。

 次第に焦れてきた僕は、鞘に納められた村正を手に取って抜き放とうとする。

 が、その瞬間……っ。鋭い痛みが走り、僕の手が斬れて血が零れた。


「こ、この野郎っ! 主人の僕に逆らうのか!!」


 僕は村正を床に叩きつけ、鞘ごと踏みつけてやった。何度も何度も。

 そして今度は怒りの感情のまま聖騎士甲冑に手を伸ばしてみたのだが、触れた途端に、かなりの高温が僕の皮膚を焼き、反射的に手を離した。


「こいつらっ……何でだ! なんで僕に従わないんだ!」


 僕がウルリナを裏切ったから?

 僕が帝国六鬼将の七人目になったから?

 だからこいつらは僕に対して、怒っているとでも言うのか?


「タミヤ殿、落ち着いて下さい。武具なら後日、私が貴方に相応しい物を用意して差し上げます。この不届きな剣と鎧は私が後で処分しておきますので、今は早くその火傷と切り傷の手当てをなさった方がいい」


「くそっ……ああ、分かったよ、クシエル」


 息を切らす程に激昂した僕は、たった今、負傷した掌の刀傷と火傷の跡をしばしの間だけ眺めていたが、やがて舌打ちをしてこの場を後にした。

 しかしそれでも……しばらくは自分が信用していたものに裏切られた苛立ちが、内心では燻って消えることはなかった。

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