闇に染まりゆく虜囚のタミヤ
第二十五話【鳥籠のタミヤ】
中央の連中が辺境鎮圧作戦と呼ぶ、その戦闘行為が発生したのは春の日差しの暖かい日の事だったが、皮肉にも異世界の戦いに身を投じてから、僕は久しぶりに余裕のある休息を取る事が出来ていた。
その日の朝、僕は爽やかな空気の中、宛がわれたベッドの上で目覚めを迎える。
ただ……気分はまるで正反対で爽やかとは到底、言えなかったのだが。
「クシ、エルっ……」
僕の脳裏にあの時のことがフラッシュバックし、忌々し気にその名を呟いた。
辺境城を、そして辺境領を焼き払った、張本人の名を。
どういう意図なのか、逃げ出す心配はないと思われているのか、牢獄に閉じ込められている訳でもなく、僕には客人用のような小奇麗な部屋が用意されていた。
だが、僕がベッドから起き上がり窓から外を覗いてみると、手枷足枷すらつけられずにいる理由をようやく理解することが出来た。
――そう、ここは地上から遥か高くに切り離された空中牢獄だったのだ。
窓を開けて下を見下ろしてみても、部屋以外は通路も何もなく、この部屋だけが空に浮かんでいるのだ。勿論、飛び降りれば命などないのは、明らかな高さだった。
「僕を、絶対に逃がすつもりはないってことか。薄暗くて汚い牢屋じゃなく、こんな清潔な部屋を宛がってくれたのは、あいつらなりのせめてもの捕虜に対する敬意なのかもしれないけど」
その時、また突然に体の中が熱く疼いた。
先日の戦いでクシエルに埋め込まれた糸が、今も自分の体内に残っていることを実感し、寒気が走る思いだった。
僕がクシエルに対して行った、あの痴態を嫌でも思い出してしまうのだから。
そして今の僕の着ているロリータファッションのような服装も、あの男が着せたのだろうことは、容易に想像出来た。
「あの野郎……覚えてろよ。もし次に戦う機会が訪れたら、今度こそお前の命を奪うことに躊躇したりはしないからな。確実に……この手で殺してやる」
しかし今の僕ではあの鋼鉄製のアーム、魔導兵器を装備したクシエルに手も足も出ないことを、十分に理解していた。勝つには、今より強くならねばならないのだ。
だから僕は今、少しでも自分に出来ることはないか考えを巡らせる。
そして浮かんだのはネルガルがしていた鍛錬法、牙を研ぐ瞑想だった。
僕は思い立ったが吉日と言わんばかりに、さっそく部屋の中心で腰を低くし、その体勢を維持したまま気を体外に全開で放ってみる。
「くっ……思ってたより、しんどいなっ」
けれど、あの時に見たネルガルは気を全身に纏いながら留めて、実体のない鎧のような力を作り出していた。もし、あれを習得することが出来れば、理性を失う獣の力に頼らなくても、僕にとって強力な武器となるはずなのだ。
だが、額から玉のような汗が流れ、すぐに息を切らして僕は床に崩れ落ちる。
ネルガルが余裕で継続していた鍛錬法を、僕は五分と続かなかったのだ。
現時点での僕とあの男の力量の差を、否が応でも理解してしまう。
「くそっ……少し休んでから、もう一度やってやるよ……!」
今、僕は幽閉されている身で、時間は十分にある。
息を切らしては倒れ、そしてまた挑戦をして、を繰り返して時間は過ぎていく。
鍛錬中に用意されていた朝食を平らげてから、いつしか昼間になっていた。
汗だくになり、服がびっしょりと汗で濡れて気持ち悪さを感じ始めた時、部屋の扉が突然に開いて、今の怒りを真っ先にぶつけたいと思っていたあの男が姿を現す。
そう、現れたのは……あのクシエルだった。
「おはようございます、タミヤ殿。昨日は丸一日眠っておられたので心配していたのですが、今日はすでにお目覚めのようですね。とはいえ、もう昼時ではありますが。それで、今のご調子は如何でしょうか?」
「お前の顔を見れたからかな、最高の気分だよ。お陰で吐き気がする」
僕の皮肉を込めた言葉をクシエルは微笑んで受け流すと、僕へと近づいてくる。
そして僕を抱き締めると、またも僕の唇を奪った。
抵抗しようとするものの、再び僕の体内に仕込まれた糸が疼き始める。
「くっ……ざけるなっ! この変態野郎!」
それでも強い意志の力で僕は快衝動に抗うと、クシエルを突き飛ばした。
しかしまるで全身に見えない枷でもつけられたかのように、この男に危害を加えようとしても力が入らず、軽く後方に押しやっただけだった。
「なんで、だ……。力が……入らない」
十中八九、これはこの男の技の効果によるものと見て、間違いなかった。
そしてこの効果がある限り、何とかして術中から逃れないと、僕はこいつに決して逆らうことが出来ないと言うことを意味していた。
事実、僕は理性に反してこの男に言葉を囁かれることに、触れられることに、心地よさを感じ始めているのだ。
「……それでいつまで俺は、ここで見張っていればいい? 必要あるのか、俺は」
突然、部屋の端から声がした。しかもそれは聞き覚えのある男の声で……。
僕ら以外にこの部屋内に誰かがいた事実に、僕はぎくりとして声がした方を向くが、するとそこには一人の男がいつの間にか佇んでいた。
その男は……以前、その不可視の技で僕を翻弄した、あのフィガロだった。
「念には念を入れて、ですよ、フィガロ。タミヤ殿は私達が
「……あまり入れ込み過ぎるな。その女は俺達にとって、諸刃の剣だ。さっきから見ていたが、将軍の鍛錬法を見様見真似とはいえ、やってのけていた。こいつは確実に力をつけてきている。いずれは……俺達でも手に負えなくなる可能性もある」
フィガロは感情を感じさせない抑揚のない声でそう忠告したが、クシエルは我関せずといった態度を崩すことなかった。
そして今度は僕の腰に手を回すと、笑いながら彼に返した。
「それこそ望む所です。むしろ、それくらいでなければ、彼女が私達の切り札とはなり得ないことは貴方もご存じのはずでしょう。彼の地に蠢く
僕は耳を疑った。この間、襲撃してきた十万体の
改めて僕が身を投じたこの戦いが、生易しいものではないことに気付かされる。
「おや、震えておられるのですか、タミヤ殿? ですが、貴方は何も心配なさらなくとも良いのですよ。私が……我々、六鬼将が貴方をお守り致しますのでね。魔人タイプの
不覚にも、クシエルの言葉に安心している自分がいた。
この肉体を得て強くなり、確かに今までは自ら進んで前線行きを志願してきた。
しかしやはり僕もウルリナと同じように、負ける可能性の高い戦いに恐れ知らずで立ち向かえる程、心は強くはないのだ。
「……女。バージバルのジジイが、お前のその仕組みとやらを解明するまでの辛抱だ。逃げようと思うな、その時は俺がお前を、血反吐を吐くまで痛めつける」
「……ああ、肝に銘じておくよ。けど、いつかお前らは僕が全員、ぶち殺してやる。その時が来るまでは、一先ずは大人しくしといてやるさ」
その挑発に僕とフィガロはほんの数秒間、視線のぶつけ合いで火花を散らす。
しかしやがてフィガロの方が興味がなさそうにふんと鼻を鳴らすと、部屋に置かれた椅子に腰かけ、目を閉じ腕を組みながら、寝息を立て始めた。
「心配はならなさらずともいい、タミヤ殿。私が彼に手荒な真似はさせませんから。それより今、私達の仲間のバージバルが、貴方に会うためにここへと向かってきているのです。彼は貴方の血を解析して、非常に興味を持ったようでしてね。ついに流転者を見つけたかもしれない、と」
「っ!? 流転……者?」
聞き覚えのある、名称だった。初めてそれを耳にしたのは、宵国の騎士団団長マドラスが僕に向けて言った言葉からだったが、しかしそれが何なのかまでは知らず。
ここに来てまたその名称が出たことに、僕は少なからず動揺を覚えていた。
「流転者とは、女神ユーリティアの加護を受けた者。かつての初代皇帝がそうだったと文献には記されています。そして今の時代にも新たな流転者が現れると、皇帝陛下に神託が下ったのです。どうされました、タミヤ殿。何か、身に覚えが?」
「……」
それは僕こそ知りたい情報だった。
一応、神託と言えばユンナも夢で女神から使命を受けたと言うのは知っていたが、敵対関係にあるクシエルに、これ以上の利となる情報を与えるつもりはなかった。
だから僕はそっけなく伸びをすると、再びベッドの上で寝転がる。
「しばらく寝ることにするよ。だからさっさと出てってくれないか。逃げようにも、こんな高所に幽閉されてたんじゃ、それも無理だと分かってるだろ?」
「ええ、貴方のお望みのままに、タミヤ殿。昼食を用意してきましたので、空腹を感じられた時には、どうかお召し上がりください。では、私はこれにて……」
そう言い残すと、クシエルは生真面目に一礼をし、微笑みながら出ていった。
だが、いつの間に入れ替えられたのか、机の上には僕がさっき平らげた朝食の食器が片付けられており、その代わりに鼻孔をくすぐる昼食が置かれていた。
早朝から運動をし、適度に腹が空いていた僕はクシエルが立ち去るのを見届けた後、それに手を付けるのだった。
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