第二十四話【激闘の末の……】
体が自分の物でないかのように、自分の意思ではぴくりとも動かせない。
しかし幸いなことに視界はおぼろげながら見えてはおり、ただ……それが本当に自分がしている行いなのか、目を疑う光景が僕の目の前に広がっていた。
「ああ……クシエル、様ぁ」
僕はクシエルに猫なで声を出して、自ら進んであの男に抱かれていた。
体は動かせなくとも、その感触が、体温が、肌を通して僕に伝わってきている。
……違う。「これは僕の意思なんかじゃない」と、抗おうとするものの、体は僕の制御を離れたかのように、繰り広げられる情事を止めることは叶わなかった。
「タミヤ殿、ようやく貴方を私の物と出来ました。では、元の貴方と決別して頂くためにも、貴方自らの手であの女を殺すのです。辺境伯の娘、ウルリナ・アドラマリクを」
クシエルの言葉に従い、僕は情事を中断し、ウルリナの方に向き直る。
いつの間にか僕と彼女の透明化はすでに解けてしまっており、彼女の姿を見て、僕は病んだように微笑みを浮かべる。そして牙神の構えを向けたのが、僕自身にもはっきりと分かった。
「タ、タミヤ! 一体、どうしたんだ、さっきから! 正気に戻れ!」
ウルリナの訴えにも、僕は耳を貸さなかった。そして牙神の発動。
村正の切っ先を向けながら弾丸をも凌ぐ程の速度で疾走し、彼女へと距離を縮めて技を繰り出していく。
だが、その動きは明らかに日中時の僕が出せる限界を越えていた。
どうやら僕の肉体の身体能力をクシエルの技によって、月明かり下の時に近いレベルまで引き上げているようだった。
「くっ……」
それをウルリナはフレイムタンで完全ではないものの、受け止める。
……が、無傷とはいかず、威力に押し負けて、その後方まで駆け抜けていった僕の牙神は彼女の肩口に裂傷を走らせていった。
そこから鮮血が噴き出すと、彼女は顔を苦痛に歪ませ、肩を深紅に染めていく。
「あ……血、血ぃ……」
しかもこんな状況にも関わらず、僕の中で血の渇望がまたもや顔を出し始めた。
ウルリナの返り血が僅かに僕の顔にかかり、それを手で拭って舌で舐めとる。
気分が高揚するのを感じた。
「タミ、ヤ……目を覚ませ。お前はこんなことをする人間じゃないだろう?」
クシエルから与えられた快情動に加えて、内なる獣による殺戮衝動までもが目を覚まし、僕もうその光景を、ただ……見ていることしか。
ウルリナが生き延びてくれることを、願うしかなかったのだ。
だが、クシエルの下僕となり変わり果てた僕を、彼女は真っ直ぐに見据えて目を逸らさず、こちらへとゆったりとした足取りで近づいてくる。
「今……救ってやるぞ、タミヤ。私の命に代えても、お前を元に戻してみせる」
血に濡れたウルリナがその匂いが嗅ぎ取れる位置まで近づいて来て、僕の中の殺戮衝動がより一層、湧き上がっていっているのが分かった。
だが、そんな時……彼女は信じられない行動に出たのだ。
フレイムタンで自分の左手首を掻っ切り、血を噴出させて僕に浴びせかける。
そして僕の唇を彼女の唇で塞いで血を流し込み、僕を優しく抱き締めたのだ。
「ウ……ア、アアアアっ。オ、オアアアアアっ!!!」
その行為により、僕の殺戮衝動が極限まで高まる。
僕の意識をより底深くまで追いやり、獣が意識の表層に顕現したのだ。
髪は白髪となり長く腰まで伸び、全身が熱くなっていく。
「ウ、オオアァ……グオオアーーーーっ!!!」
獣となった僕はウルリナを突き飛ばし、意外にも手をかけることはなかった。
代わりに周囲を取り囲んでいた黒魔甲冑騎士達に飛びかかり、拳を叩き付けて鎧ごと胴体を破壊して、兜ごと頭を打ち砕いていく。
満月の光を浴びていない日中で、どこまでこの姿を維持できるか不明なままだったが、この殺戮衝動はクシエルからの快情動を上書きする程に、強い渇望だった。
「何ということですか……私の術が完全に負けている。よもや私の支配から脱し、彼女の中に潜む殺戮の獣が肉体の支配権を奪ってしまうとは……計算外でしたね」
クシエルは部下達に獣から距離を取るように命令すると、自らは獣がいる場所へと進み出ていく。その獣に対し、右腕に装着した鋼鉄製のアームを向けながら。
そして徐々にアームの先端にある五つの指が、開いていった。
「この魔導兵器マキナレギスは代償として私の寿命を削ることになりますから、出来れば使用は避けたかったのですが……。部下達の被害を最小限に抑えるためなら、致し方ありませんね」
瞬間、獣へと向けたアームの先端の中心が、赤く輝いた。
かと思った時には、矢のように放たれたレーザーがたった今、獣が立っていた場所を突き抜けていく。……が、それを獣は首の皮一枚で躱してのけていた。
「ガッ、ガアアアアッーーー!!」
獣はそのまま一呼吸の間に地面を蹴って、クシエルへと向かって駆ける。
そして柄を握り締める村正で斬りかかっていくが、所詮は理知のない獣であるため、それは力任せに過ぎない単純な攻撃でしかなく……。
雑兵ならともかくそんな攻撃手段が通じる程、甘い相手ではないことを……意識の底深くで見ていた僕は嫌と言う程、理解していたのだ。
「やはり力だけなら私が知る誰よりも強い。ですが、そんな単純な腕力だけで私を倒せるとは思わないことですね、タミヤ殿……いえ、血塗られた畜生風情が」
クシエルは左掌を獣へ突き出すと、掌底打ちを繰り出す。
すると、掌から糸で編まれた大型の網が射出され、獣の体を絡めとってしまう。
それでも獣は手足を振り回して暴れていたが、抵抗する程に網が体に絡まっていき、やがて獣の膂力を以ってしても、身動きが取れなくなってしまった。
「タミ、ヤ……」
地面に伏せながらも、ウルリナは獣の方を見て声を絞り出している。
彼女自らが流した血溜りの中心から捕縛された獣の方へと手を伸ばし、這いながら徐々にではあるが、確実に近づいてきていた。
そんな彼女にクシエルは汚物でも見るかのような視線を投げつけ、部下に息の根を止めるように命令を下す。
――ウルリナ……っ!
……彼女の命が奪われようとしている。
だが、そんな未来が視線の先で訪れようとしているのに、僕は何も干渉することは叶わず……ただ自分の無力感を呪うしかなかったのだ。
そしてついに黒魔甲冑騎士が手にした剣をウルリナに振り下ろし、僕が意識の底で彼女の名を叫んでいた、その時のことだった。
突然、前触れなくその騎士の喉から血飛沫が噴出して断末魔の悲鳴が上がり、それに混じって聞き覚えのある高い声が僕らの耳に届いたのだ。
「はーい、死ぬのは貴方ですよー。女の子に手を上げるこの外道がぁ!」
何もない空間から突如、姿を現したのはユンナだった。
腰に差していた短剣でたった今、騎士の息の根を止めてみせたらしい。
そして腰を曲げて、彼女は横たわるウルリナにそっと手を触れた。
「ユン、ナ……城に戻ったのでは……なかったのか?」
絞り出すように声を発したウルリナに、ユンナが笑いかける。
「敵を欺くにはまず味方から、ですよー。一旦、戻った後に、密かに様子を見守っていたんです。だって相手はあのクシエル師匠、こうなる気がしてましたから。ただ……残念ですけど、今回は私達の負けのようです、ウルリナ様。ですが、生きてさえいれば反撃の機会はきっと訪れます」
そう言うとユンナはパチンと指を鳴らし、地面から這い上がってきた生体戦車の中にウルリナを押し込む。そして再び地面の中へと潜らせ、どこかへと送り出した。
生体戦車には簡単な生命維持装置がついていると、彼女は前に説明していた。
一先ずウルリナの命が助かったことに僕は意識の底で胸を撫で下ろすが、状況は何も好転などしておらず……。
「クシエル師匠、お久しぶりですー。相変わらず年齢不詳の外見で、お元気そうで何よりですけど、元師弟のよしみでこの場は見逃して頂けませんか?」
「ええ、久しぶりですね、ユンナ。しかし私に反乱の火種を残す愚策を犯せと?」
ユンナは小柄な身ながら堂々たる態度でクシエルと向かい合い、ウルリナを逃がさせたその手際の良さは、目の前の男の機嫌を確実に損ねさせているようだった。
そしてそんな彼女は、今度は地面に転がる僕の方を見て言った。
「貴方が求めているのは彼女でしょう、クシエル師匠? タミヤ様の身柄は一先ずは貴方に預けておきます。いずれ取り戻しに向かいますけどねー。この条件を飲めないと言うのなら、私には奥の手のあれを使う用意がありますけど……どうします、師匠?」
緊迫感が漂い、数秒間。いや、あるいは数分間にも感じられたその睨み合いも、終わりを迎える時がやってきた。
折れたように笑みを溢したクシエルは、部下達に撤退命令を出したのだ。
「まあ、いいでしょう。貴方と私が本気で戦えば、こちらも損害は甚大になります。
クシエルは網で拘束された獣と化した僕を抱き抱えると、空へと糸を伸ばし、バルーニングと呼ばれる技術により、空の道を通って戦場を後にしていく。
ユンナはそんな僕らを見上げながら見送っていたが、やがてその彼女の後方で
辺境城から爆発と共に火の手が上がり、それを見た時……。
「ああ、僕らは敗北したんだな」と悟るのに、さほど時間はかからなかった。
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