第十四話【魔種グランロウとの戦い】

 太陽がまだ空に上っている時刻、外は不気味なまでに静かだった。

 僕の本領を発揮することが出来る月夜の晩が訪れれば、頃合いを見て潜入に向かう手筈だったが、それまでにいつ南部伯の騎士達が差し向けられるか分からない。

 だからそれをずっと警戒していたのだが……。どういうことか一向にその気配はなく、しかしこの静けさは嵐の前のようで、逆に僕に不気味さを感じさせていた。


「……奴ら、来ないな。いくら待っても、まったくさ」


 僕はぼやいたが、日が暮れるまではまだ時間がある。

 何も起きないからと緊張を途切れさせるのは危険だと思いつつ、夜までの残る時間を確認するためにも僕はやや傾き始めた太陽を見上げた。そんな時のこと。


 ――ふと、僕は違和感を感じた。


 空で燃え輝く太陽が二つ、そんな風に見えたのだ。

 錯覚かと僕は思わず目をこすって二度見してみたが、すぐにその考えを改める。

 本当に太陽が二つ……。いや、本物の太陽と重なるように燃え盛る何かがここへと接近しているのだと、僕はようやく脅威が差し迫っているのを悟って、叫んだ。


「ウルリナっ! 空だ、上空から何かがこっちへ向かって来てるぞ!」


 僕の叫びに反応し、ウルリナと辺境騎士達も弾かれたように空を見上げる。

 ウルリナもその飛来する何かを視認した途端、一気に焦燥感を見せた表情となり、すぐに辺境騎士達全員に戦闘準備を始めるように言い放った。が、間に合わない。

 付近の地面が吹き飛び、土煙が舞い上がる程の激しさで空から飛来した何かが、僕とウルリナの前に降り立った。


「よお」


 土煙の中から現れたのはウェーブのかかった黒い髪に、顔の両目を縦に走る傷が特徴的な黒い戦士甲冑に身を包んだ、歴戦の武人と言った出で立ちの男だった。

 いかにも戦いを好みそうな荒々しい容貌に、僕とウルリナは緊張感を強める。

 だが、意外にも男は両手を上げると、無防備な状態で白旗を上げてきた。


「待った。俺に交戦の意思はねぇよ。ただ見てみたかっただけさ、クシエルの奴がやけに執着している……そう、お前をだ、タミヤ・サイトウ」


「僕を、だって? ってか、まずお前は誰なんだよ?」


 武器を持たず、両手を上げたままの戦士風の男は豪快に笑うと、名を名乗る。

 殺気も微塵も発さず、本当に戦う意思はないように見えるが、僕はこの男から並々ならない実力を感じ取り、警戒を解くことは出来なかった。


「俺はネルガルって者だ。将軍をやってる訳だが……ま、帝都を守護する五つある正規騎士団の指揮権を持つって言えば分かるかよ?」


「ネ、ネルガルっ!? じゃあ、お前が南部伯の騎士達が言ってた中央から来ている将軍なのかっ!?」


 目の前の男の正体を知って動揺を隠せない僕をネルガルは観察するように睨め回すと、掲げていた腕をようやく下ろしてから笑いながら言った。


「ああ、そう言ってるだろ? それにしてもずいぶん鍛えられた筋肉をしてるな、タミヤ。女とは思えない筋量で惚れ惚れするぜ。確かに強い……が、このままここで戦いに身を投じてれば近い内に死ぬぜ、お前?」


「な、何を根拠に……」


 突然、言い渡された余命宣告に言い返した僕に、ネルガルはつかつかと歩み寄ってくると、僕の肩をぽんと叩いてから言った。


「しばらくここで厄介になることにしたぜ。飯と寝床を用意してくれ。おっと、指揮官はお前の方だったか、辺境伯の一人娘ウルリナ・アドラマリク」


 ウルリナは最初、ネルガルの申し出にどう対応するか困惑気味だったが……。

 しかしやがて両手を拘束した上でなら構わないと、決断を下したようだった。

 それにネルガルも快諾すると、手を枷で拘束されたまま案内されたテントで大胆にもいびきをかいて、横になって眠ってしまった。


「何なんだ、あの男は。一体ここへ何を目的にやってきたのだろうな……」


 ウルリナはネルガルが眠るテントに浮かない顔で視線を飛ばしながら、今もまだあの男の真意を測りかねている様子だった。

 だが、すぐに頭を切り替えたようで今夜の予定を考え直す必要があるなと、僕に耳打ちした。


「ああ、今夜にもこっちからあわよくば倒しに行く予定だった敵の大ボスが、ここに拘束されてるんだもんな。こりゃしばらくは様子見、かな……」


 念のため僕がネルガルのテント前で睨みを利かせておくと提案すると、ウルリナも二つ返事で承諾してくれた。

 だが、僕と彼女の不安を余所に、これ以降は特に何か事件が起きることもなく。

 今日の所は、平穏無事に日は暮れていったのだった。


 ――そして、今夜もまた空には赤黒い満月が浮かぶ。


 その光を全身に浴びて、僕は今夜もまた殺戮衝動に抗っていた。

 衝動を抑えるのは慣れてきているとはいえ、それでも気を抜けば自分の中の血を好む獣が目を覚ましてしまいそうになる。

 飼い慣らすのだ。この先の戦いを勝ち抜くためには、獣の力は必要不可欠だと。

 そう自分に言い聞かせながら、僕が心臓を抑えながら蹲っていた時……。


「よお、苦しそうじゃねぇか、タミヤ」


 ふいに見張っていたテントの中から、声がかけられる。

 いつの間にか目を覚ましていたらしい、ネルガルの声だった。


「……余計なお世話だよ、おっさん。話しかけられると気が散るんだ、黙っててくれないか。でないと、あんたも殺してしまうことになるからさ」


 僕はテント内を覗き込むことなくネルガルにそう言い放つと、ネルガルは「くくくく……」と押し殺したように笑った。そして続けて僕に向かって語り掛ける。


「どうだ、楽になってみねぇか? 俺達がある特別な魔種ヴォルフベットの遺体から抽出した『天狼の秘薬』を一口飲めば、お前さんは更なる強さを得ることが出来る。その内なる獣を力ずくで制御することも、きっと出来るだろうぜ」


「へえ~、そうなのか」


 その甘言に関心を示すことなくそっけなく返事を返した僕に、ネルガルも無理強いさせようと言う意思はなかったのか「ま、気が向いたら試してみな。ここに置いとくからよ」と言い残して、またいびきをかき始めた。

 彼のその態度に僕は少しだけ興味が湧いて、テント内を覗いてみる。

 すると、彼の足元には赤々とした液体が入った小瓶が置かれてあった。


「『天狼の秘薬』……だって? ま、貰うだけは貰っといてやるよ。今、使うつもりはないけど、いつか役に立つ時が来るかもしれないからな……」


 僕はそっとその小瓶を懐に仕舞うと、再びテントの外でネルガルの監視に戻る。

 そしてそれから、しばらく時間が経過してからのこと。

 突然、夜の静寂が打ち破られるように、爆発音と共にテントを張っていた陣営の一部が炎に包まれたのだ。


「何だっ……何が起きた!?」


 騒然とし始める陣営に、僕は咄嗟にテント内のネルガルを確認してみるが、彼はこの騒ぎにも関わらず眠ったままで、何かをした様子はなかった。


「こいつの仕業じゃ……ない?」


 僕は今度は爆発があった方向を向くと、こちらへと炎に身を包まれながら辺境騎士達が逃げてやって来ている姿があった。

 だが、そのまま炎に焼かれて力尽きる者、運よく救護の兵に助けられる者、パニックに陥って言動が覚束ない者など、多種多様であった。


「どうしたんだ!? 何が起きたっ、一体っ!」


 僕は叫びながら、その中の一人の騎士に事情を聞こうと詰め寄った。

 その騎士は最初こそ錯乱している様子で、口にすることは要領を得なかったが、次第に冷静さを取り戻すと、敵の襲撃があったことを報告してくれた。


「敵襲だって? 一体、誰が……」


 僕は騎士の体を手放すと誰に言うともなく呟いたが、その声の調子は次第にトーンダウンしていった。なぜならその敵の強大で、穢れた気配を僕も感知したからだ。

 そしてすでにウルリナは、いち早くその敵と対峙していると言うことも。


魔種ヴォルフベット、か! それにしても予想以上に早すぎる……あれだけの大被害から、もう立て直したと言うのか!」


 僕は弾かれたように、全速力で走った。

 村正を抜き放ち、どこか寒気すら感じさせる気配を放つこの敵を倒すため、そしてその敵と向かい合っているウルリナの危険を払うために。


「ガハハハハァ、来おったな。退屈凌ぎに暴れてみたが、待ち草臥れたわ。首を長くして待っていたぞ、鷲の狙いは最初からお前だけだ、女」


 その敵の元に到着するなり、ウルリナと相対していた巨大な鉄の怪鳥は僕の方を振り返って、そう言った。まるでウルリナなど、端から眼中になかったと言う様に。

 辺境領の野戦築城で見た覚えがある、あの魔人タイプの魔種ヴォルフベットだった。


「僕を殺しに来たのか、魔種ヴォルフベット!」


「違うなぁ、鷲はお前と同化しより強くなる。そのために来たのよ。お前の流転者とやらの力、鷲が有効に活用してやろう。だから鷲と大人しく同化するのだ、女」


 身の毛がよだつその襲撃目的に、僕の全身に嫌悪感が走る。

 もうこれ以上、この決して相容れない魔種ヴォルフベットと言葉を交わすつもりはなかった。

 僕は村正を下段に構えると、衝動を発露させ血の酩酊に目覚めた獣へと姿を変え、僕と怪鳥の魔種ヴォルフベットを中心として、闘気と殺気に大気と大地が震え出す。


「いくぞ……魔種ヴォルフベット! 僕はお前に屈したりしない!」


「グランロウだ、鷲は。お前の肉体を取り込むことになる相手の名前くらい、覚えておいて損はないぞ、女! ガハハハハハァ!」


 共に言葉を言い終えるや否や、僕らの姿は揃って消えていた。

 どちらも人の目で捉えられない速さで疾走して、互いに向かい合っていたその中心付近でぶつかり合い、激闘が幕を上げたのだった。

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