第十三話【帝国最強、その名はネルガル】

「……ネルガル将軍。もしや実の父親である前皇帝を暗殺した罪で投獄されていたあの男か? もしその男で間違いないのなら、辺境領が帝国領内で孤立している間に、中央では大きな政変が起きたようだな」


 辺境領の呪の障壁があった付近でキャンプを張った僕らだったが、南部伯の騎士達が口にしていたネルガル将軍とは誰なのか、ウルリナは予想を聞かせてくれた。

 武に生涯を捧げた大胆不敵な豪傑で、帝国でも指折りの実力者だとも。


「問題は南部伯が抱える兵力はどのくらいなのかだな。いや、中央からも兵が派遣されてきてるとしたなら、こちらの百人強の兵力で太刀打ち出来ると思うか?」


 僕の質問にウルリナは厳しい表情のまま考え込むように黙っていたが、やがて僕の目を見据えて単刀直入に答えた。


「無理だろうな。辺境領は元々、帝国内でも立場が低い。召し抱える騎士数が全盛期でも五百名程だったのに対し、南部伯が抱える騎士団は三千名を越える。帝都を守護する中央の五つの主力部隊ともなれば、五十万は下らない。正攻法でぶつかっても私達が勝てる見込みはゼロだ」


 しかしウルリナはその後に「だが……」と付け加えた。

 まるで絶望などしていないかのように、その目には強い意志を宿している。


「帝国を建国した初代皇帝は単身で万の軍勢を打ち倒し、人々を当時の脅威から救い、人心を集めたことで、皇帝の座を得たと聞いている。だから私達もこれから強くなるぞ、生き残れる可能性を少しでも上げるためにな」


 ウルリナの言葉に、僕はこくりと頷く。

 そして呪の障壁があった向こう側、南部領の方向に視線を向けながら、これから自分が成そうとしていることに思いを馳せた。

 どれだけ死地に赴こうとも、ウルリナの身だけは守り切ってみせる。

 いざというときには自ら囮になってでも、彼女を逃がしてやるのだと。

 僕はすでに心の中で、そう決めていたのだ。

 こんな状況に置いても辺境騎士達が希望を捨ててない理由は、僕ではなく彼女の存在によるものが大きいと言うのは僕自身、よく分かっていたのだから。



◆◆



 石造りの一室に狼を模った銅像と、祭壇があった。

 そこに腰掛け、頬杖をついて考え込んでいたのは、ウェーブのかかった黒い髪と、顔の両目を縦に走るような傷痕があり、頑強な肉体を青銅の鎧で覆ったいかにも歴戦の戦士といった風貌の男だった。そこへ複数の足音が近づいてくる。

 彼が顔を上げると、八名の護衛に守られた、身なりの良い恰幅のいい男がいた。


「よお、グナド。どうした、血相を変えて。俺がくれてやった新兵器の効果はどうだったよ?」


 戦士風の男がニヤリと笑みを浮かべながら、目の前の男達に一瞥をくれると、グナドと呼ばれた恰幅のいい男は激しい剣幕で捲し立てた。


「ネルガル殿! な、何なのですか、あれは! 部下の報告では、制御の出来ない怪物が生まれて、敵味方の区別もなく襲い掛かったと言うではありませんか! 辺境伯の小娘も殺し損なって、あの女もそのうち私の命を狙ってくるに違いありません! どうか、どうか! 将軍のお力で南部領の平穏をお守り下され!」


 それを聞いたネルガルは豪快に笑いだし、腰かけていた祭壇を拳で叩き割った。

 その動作に喚いていたグナドはびくっとして、一転して場が静まり返る。


「狼狽えるんじゃねぇよ、みっともねぇ。お前達に渡したあれは『天狼の秘薬』と言ってな。お前らみたいな意思の弱い奴が使えば、鬼となって暴走する。己の未熟さを棚に上げて、非難の矛先を俺に向けるんじゃねぇよ」


「し、しかし……このままでは南部領は、私の身の安全は……」


 どこまでも自分の保身だけを考えるグナドをネルガルは軽蔑するようにねめつけると、懐から一枚の人物画を取り出してそこに描かれた女性騎士を見て呟いた。


「ふん、かなりの上玉な女のようだな。名前はタミヤ・サイトウ。しかもお前を退ける程の使い手と言う訳か、クシエル?」


 ネルガルは部屋のある一点を見据えて、そう言った。

 気配すら感じない、誰もいないはずの場所に向かって。


「ええ、申し分のない逸材ですよ。彼女は片手にするだけの価値はあります。そのためなら、私もどんな協力も惜しみませんよ、将軍」


 だが、いつの間にいたのか、そこに人はいたのである。

 思わぬ場所から唐突に発されたその声に、グナドと護衛達は驚愕する。

 部屋の暗闇の中に溶け込むようにそこにいたのは、全身を白ずくめで固めた男。

 そう、あの白皙のクシエルだった。


「呪の障壁が消失したことで、魔種ヴォルフベットとの戦闘の最前線は辺境領から南部領まで後退することになる。いずれここは戦火に包まれることになるが、その前に戦力は少しでも増強しておきたいのは俺も同じ気持ちだぜ、クシエル」


 ネルガルは意にも返さずにクシエルに話しかけると、人物画を懐にしまう。

 そしてつかつかと部屋の出口に向かって歩き出したかと思うと、扉の取っ手に手をかけながら背後で唖然と立ち尽くすグナドに向かって言った。


「帝都防衛のためには、あの二人は動かすことは出来ん。だから鬼将をもう一人、南部領に呼んでおいた。そろそろ到着するはずだ。出迎えは頼んだぜ、グナド」


「は、はいっ! 分かりました、お任せください、将軍!」


 ネルガルは剛胆に笑いながら、扉の取っ手を強引に扉ごと押し倒して破壊すると、足音を廊下に響かせながら立ち去っていく。

 その豪快で大胆な姿に頼もしさを覚えたのか、彼の後姿を見送るグナドの渇いた笑いだけが室内に広がっていった。

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