帝国六鬼将と宵国の騎士団

第十一話【帝国が用意した切り札】

 跡形もなく消える様に消失してしまった呪の障壁があった場所へと、現在進行形で辺境領の人々が雪崩れ込むように押し寄せて来ていた。

 魔種ヴォルフベットによる襲撃が頻発し、危険地帯となっていた辺境地から抜け出したいと夢見ていた辺境民達が、それほど多かったと言うことだろう。


「けど、これでいい。魔種ヴォルフベットの大軍勢がやって来ていない今の内に、出来るだけ早く、そして可能な限り大勢でどんどん辺境領から離れるんだ」


 僕は村正に足をつけて乗りながら、眼下に広がるその様子を眺めていたが、やがて先ほどウルリナの身を託した辺境伯の騎士団の姿を見つけると、そこへと飛んだ。


「ウルリナっ!」


 僕は辺境騎士団の前に降り立つと、真っ先に彼女の名前を叫んで姿を求めた。

 どうやらウルリナはすでに意識を取り戻していたようで、僕の方へと走ってきた彼女を確認すると、僕はほっと胸を撫で下ろす。が、その時だった。


「貴様っ! タミヤっ!! なぜ逃げた、私を連れて戦闘の最前線からっ!」


 ウルリナは物凄い剣幕で、僕に掴みかかって来る。

 そして責めるような口調で僕を罵り出したが、それも束の間のこと。

 やがて涙声になり、弱々しく僕から手を放した。


「ガナンは……本当に死んだのか?」


 顔を涙で濡らしてウルリナは僕にそう問うたが、僕はこくりと頷いて答えた。

 あの数の魔種ヴォルフベットに襲われた状況で、彼が助かる見込みはないに等しかった、と。


「……そうか。だが、せめてあいつは後悔をせずに逝けたのだな? ならば……私はあの男のその気高き精神を褒め称えてやらねばならない。よく戦った、と」


「ああ、あいつは立派な男だったよ。あんな行動を迷いなく取れる男なんて、僕が知る限りじゃ他に誰もいない」


 だが、僕はそんな初めて見る弱々しい姿のウルリナを抱き締めながら、君だってその高潔な人間の一人なんだよ、と心の中で付け加える。

 それでもウルリナはまだ泣き腫らしていたが、頭の切り替えは早かった。

 今、自分達に迫る危機的状況に対応するために、皆に指示を飛ばし始めたのだ。


「私達はこれから辺境領から脱出しようとする人々の殿を務める。出来るだけ長く、魔種ヴォルフベット達の大軍勢を食い止めて、一人でも多くの辺境の民を救うぞ!」


 ウルリナのその命令に辺境騎士団の全員から、大歓声が沸き起こる。

 どうやら皆が覚悟を決めており、戦いに臨む気概は申し分ないようで、彼らが見せたその使命感は、僕もまた彼らに倣おうと、決心させるには十分だった。


「よし、行くぞ! 遅れるなよ!!」


 辺境民達が一斉に北を目指す中で、僕らは逆行するように南下していくと、やがて僕らの目にはっきりと見えてきたのだ。

 あの時、姿を見せた数体の魔人タイプ達が率いる魔種ヴォルフベット達の地平を覆うような、その威容がここまでありありと伝わってくる程の、恐るべき大軍勢が。


「何て迫力だよっ……。僕が日本で暮らしてた時なら迷いなく逃げてたな。でも、今は……今なら違うっ!」


 僕は満月の赤黒い光を浴びて、姿を血の酩酊に目覚めた獣へと変化させる。

 ミコトの肉体に慣れてきたことで、僕は出力をコントロールして衝動と力を抑えながら、獣となる術を体得していたのだ。


「おお、おああああはぁあっ!!! 行く、ぞっ! 魔種ヴォルフベット共がぁっ!!」


 ついに間近まで迫った魔種ヴォルフベット達に、僕は先陣を切ってその中央を突破するべく、牙神を繰り出しながら駆け抜けていった。

 その後に続いて辺境騎士団もまた、波のように押し寄せる魔種ヴォルフベット達と真正面から激突していく。


「少なく見積もっても、十万体はいるな……! 対してこちらは約百人強か。けどな……それでも負けてやる気はない。仲間を守るためだったら、喜んでこの身を殺戮の獣に変えてやるさっ!」


 牙神が放たれる度に、魔種ヴォルフベット達の肉体は千切れ飛んで血飛沫と共に肉片が舞う。

 しかしそれでも尚、魔種ヴォルフベット達に怯んだ様子はない。

 それを見て奴らは人とも猛獣とも根本的に異なる精神構造をしていることを、戦いの中で僕は感じ取っていた。


「これが人間だったなら、呪の障壁内にいた中央の騎士達みたいにとっくに怯んでるだろうに……恐れを知らないとはやり難い相手だな、まったくさ!」


 痛みと疲労はある程度は抑えつつ、自然回復効果のあるこの聖騎士甲冑のお陰で僕自身は長期戦に耐えられるが、ウルリナや辺境騎士団の面々はそうはいかない。

 長引けば長引く程、こちらの犠牲者は拡大していくことになる。

 だったら頭を叩くのが最善だと、僕は敵の軍勢の中から確実にいるはずの指揮官の魔人タイプの姿を探し求めた。


 ――が、その時!


 突然、僕の体を背後から強烈な斬撃が襲った。

 斬られたのだとすぐに分かったが、振り返ってみるとそこにいたのは……。

 黒い鎧に黒い兜、黒い篭手、全身を黒一色の装備で固めた巨体の騎士だった。


「ぐうう……っ!! お前、は……あの時の!?」


 痛みは衝動で和らいでいるものの、かなり深く斬られたのが伝わってきた。

 離れた位置からウルリナが僕の名を叫んでいるのが聞こえたが、魔種ヴォルフベット達に阻まれてこちらに近づけず。しかしその方が僕にとって好都合だったかもしれない。

 それほどに目の前に現れたこいつは、魔種ヴォルフベットの中でも飛び抜けた力を持っていることが、ありありと伝わってきていたからだ。


「こうも易々と背後を取られるとは、あの方が言っていたと言うのもたかが知れると言うもの。期待外れ……いや、期待し過ぎていたか」


「くっ、どうやらお前が……魔種ヴォルフベット達の指揮官のようだな。けど、流転者? ……もしかして、僕のことを言っているのか?」


 黒騎士はその問いにすぐには答えずに剣を水平に構えると、斬撃を繰り出した。

 僕はそれを村正で受け止めると、僕らはぎりぎりと互いの武器を組み合わせたまま膠着し、そこでようやく目の前の黒騎士は口を開いた。


「さてな、魔種ヴォルフベットの母たるあの方がそう言ったのだ。手足たる己達には預かり知らぬことだが、流転者たるお前が奴らの手に渡る前に殺せとな、タミヤ・サイトウ」


「っ!? 僕の名前まで知っているのか!」


 黒騎士が一旦、背後に飛んで距離を取った後、手にした剣を両手で持って横薙ぎに振るうと、剣の動きに沿ってどす黒い衝撃波が放たれた。


「『魔王斬』っ!!」


 黒騎士が叫んだ技は名の通り、負のエネルギーを動力としているかのようで、地面を大きく抉って、生えていた草を腐らせていった。

 反射的にその暗黒色の衝撃波を村正で受け止めて弾いていた僕だったが、腕が痙攣するのを覚え、その効果に肝を冷やす。


「くっ、まともに受けるのも難しいってことかよ……っ」


 僕はがくりと片膝を地面につけ、それでも敵を見据えながら再び立ち上がった。

 そんな僕を一瞥した黒騎士は、嘲るように言い放つ。


「先ほどの己の一撃が効いているな。すでに致命傷のはずだ。なぜ立ち上がる? そのまま倒れていれば、楽に殺してやると言うものを」


「そんなこと出来るかよ……。今ここで僕がここで倒れれば、ウルリナが、皆が死ぬことになるからな。それだけは……絶対に御免なんでね!」


 この異世界に来てから、ウルリナ達と出会ってから、彼女達の高潔な精神に触れて感化されてしまったのか、僕もまた変わりつつあるのかもしれない。

 命を賭けてでも守りたいものが出来た……だから、絶対に負けられない。

 僕は村正を背後に構えると、体をかなり低く屈伸させた体勢を取った。


「くだらんな。お前達、惰弱な人間の命など己達、高貴なる魔種ヴォルフベットにとっては塵芥のようなもの。しがみつく価値などあるまいに。ならば……その仲間共の前に、今一度、己の奥義を以って貴様の風前の命から消し去ってやろう」


 黒騎士もまた再び両手で剣を握り締め、さっきと同じく魔王斬を使う構えを取って僕と距離を置いた位置で対峙した。

 恐らく次の一撃で勝負は決まる。奴の言った通り最初の一撃で僕はかなりの致命傷を負ってしまっており、痛みはなくとも血を失いすぎているからだ。


 ――だが……。


 いつの間にか口の中が切れたのか、血の味が広がっていた。

 奴の気配がその巨体をより大きく錯覚させる程に強大で、そして隙が無い。

 飛びかかっても斬られると、そう予感させるには十分だった。しかし……。


「強敵なのは上等! それでもまずは挑んでみなきゃ、何も始まらないよなっ!」


「笑わせる。弱き者、そのすべてが目障りだ。己の一撃で消えるがいい!」


 僕は一歩踏み込むと同時に、村正の切っ先を黒騎士に向けて、疾走した。

 刀身から黒紫色の波動を発する僕の牙神・冥淵は、黒騎士が振り下ろした暗黒色の衝撃波を放つ魔王斬と真正面から激突して、切り結んだ。


「お、おああああっ!!」


「むうううっ!!」


 互いの武器で切り結びながら、どちらにも凄まじい威力の余波が伝わっていく。

 打ち合いはほぼ互角だったが、双方の得物の刀身から放たれる黒紫色と暗黒色の波動のせめぎ合いは、僕の方が明らかに押し負けていた。


「くっ……まだ、まだだっ……」


「まだ見えんと言うのか、自身の運命が。お前はここで死ぬのだ、人間!」


 だが、今にも僕が押し切られようとしていた、その時だった。

 見覚えのある小さく愛らしい人形が、ぴょこんと僕の肩に飛び乗ったのだ。

 それは紛れもなくクシエルの側を一緒について回っていた、あの人形だった。


「お前、は……クシエルの。何でここに?」


 その質問に答える代わりに人形の全身から、強烈な波動が吹き上がった。

 そして次第にその体は大きく肥大化し、風船のように膨れがっていくと、僕の肩から黒騎士へと飛びかかっていった。


「むうっ!?」


 黒騎士の体に抱きつくようにしがみついた人形は、すでに三メートルを越える大きさとなっており、ケタケタと笑い出して言葉を発した。


「宵国の騎士団団長マドラス殿ですね? 巻き添えで死にたくなければ、さっさと遁走するのが得策かと思いますが。貴方達、魔種ヴォルフベットと人類との初戦はまずは帝国側の勝利で飾らせて頂きますよ、マドラス殿」


 クシエルの声で喋った人形は、眩い閃光を放ったかと思うと爆ぜた。

 場の色彩が白一色に染まり、騒がしかった戦場の喧騒が掻き消え、強大なる爆発力を秘めたエネルギーの塊が、黒騎士の至近で炸裂した。

 僕は咄嗟に体を丸めながら耳を塞ぎ、黒騎士は現れた漆黒の空間の歪みの中へと吸い込まれるように姿を消していった。


「クシ、エル……っ! あいつの、仕業……かっ」


 僕の理解を越えた殺人的な轟音と、まるで夜から一転して昼が訪れたかと錯覚する程の殺戮的な光が周囲を飲み込んで、業火が爆発点を中心に戦場を駆け巡った。

 それらが通った場所にいた魔種ヴォルフベット達は、無残にも爆散してしまい、ようやく僕がこの事態を瞼を開いて確認し、爆発が収まったと分かったのはおよそ数分後。

 それでもまだしばらくは遠雷のような音が鳴り響き続けていたが、どういう訳か被害から免れていた僕はそのことに疑問を抱きつつも、立ち上がって周囲を見回す。


「か、勝ったのか……僕らは?」


 僕が呟いた通りに戦場の舞台となっていた辺境地を見回し終えた時、五体満足で生き残っている魔種ヴォルフベット達の姿はもうどこにも残ってはいなかったのだ。

 僕は安堵からガクリと体から力が抜けて腰を地に下ろし、そして横になった。

 なぜなら、今の爆発が人に与えた被害はゼロに近いことを、ウルリナと辺境騎士団の無事な姿を見て確認することが出来たのだから。

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