第九話【呪の障壁内での激闘】

 僕は涙を堪えながらも、前を向いていた。

 そしてせめて助け出せたウルリナだけは何としても守り抜くと決意して、空中を高速移動する村正の上から進行方向に目を凝らす。

 すると、辺境伯の城を越えてそう遠くない場所に北を目指す一団の姿があった。


「あれは……っ! そうか、辺境伯の城にいた騎士達と辺境領の民衆達か。僕の指示通りに、呪の障壁を目指してるみたいだな。よし、降りろ!」


 僕の命令に村正は今度こそ忠実に従い、彼らの進行方向の手前で激しい音と共に、地面に突き立つようにして着地した。

 驚く彼らだったが、僕が気絶しているウルリナを背中に抱えているのを見て、何事があったのかと駆け寄って来る。


「悪い知らせがある、野戦築城にいた騎士団は壊滅した。その最中、残念なことにガナンも戦死。僕は自分の判断でウルリナを連れて逃げ出したけど、直に魔種ヴォルフベットの大軍勢はかなりの速さでここまでやってくるぞ。このまま引き続き、呪の障壁まで向かって欲しいんだ。けど、出来るだけ急いでな」


 僕は戦場から自分達だけ逃げ出したことを非難されると、覚悟していた。

 しかし彼らは辺境伯の娘であるウルリナだけでも逃げおおせられたことに安堵した様子で、辛辣な言葉が飛んでくることはなかったのだ。

 それほど彼らの中では、彼女の無事は大きな知らせだったのだろう。

 だが、僕が頭を悩ませている懸念を、彼らもまた理解しているようだった。


「そう、最大の問題は呪の障壁に辿り着けたとして、中央の人間がそう簡単に通してくれるかどうかだよな。今まで一人の密航者も許さず、ずっと辺境領と南部領との通行を妨げてきてたような連中だからな……」


 最悪、プライドを捨てて、クシエルの奴に色仕掛けでも仕掛けることも考えたが、ふと僕の脳裏に他の方法が閃いていた。

 かなりの力技で僕にとって困難な道にはなるが、彼らを確実に南部領へと向かわせるやり方が一つ存在するのだ。


 ――それは……呪の障壁を破壊すること。


 ウルリナから聞いた話では呪の障壁とは、当時の神官長と十名の神官達が自らの肉体を核として、命と引き換えに一夜にして築き上げたものだと言う。

 ならば、その核を破壊しさえすれば、あの壁は維持することが出来なくなり、崩壊するのではないかと、僕は考えていたのだ。

 だが、このやり方は帝国に大きな犠牲を強いることになるのは、分かっていた。

 魔種ヴォルフベット達の侵攻を止める役割を持つ、あの壁がなくなれば奴らを遮るものはなくなり、帝国領全体が危険に晒されることになるのだろう。


「けど……それでも、やる価値はあるはずだ。そうなれば中央の連中も他人事ではいられなくなる。何より、それが辺境領の人間が生き延びる確実な方法だからな」


 僕は自分がすべきことの覚悟を決めると、辺境伯の騎士達にウルリナを託して再び鞘に収まった村正に飛び乗って、上空へと浮かび上がらせた。

 そして空を時速二百キロを優に超える速度で飛行し、一路呪の障壁を目指す。

 しばらくすると、視線の先に目的場所が見え始めてきた。


「……見えてきたなっ、呪の障壁が! 今度はここで派手に暴れてやるよ!」


 たとえ、この肉体がぶっ壊れても構わない。

 今、この場で思う存分に殺戮衝動に身を任せてやろうと、天に輝く赤黒い満月の光を一身に浴びて、僕は内なる獣の力を完全に解放した。


「おおおっ、おおあああああああっ!!!」


 村正は呪の障壁の屋上近くにある窓がある部分へと、激しく激突。

 そして完全に血の酩酊に目覚めた獣と化した僕は衝動に突き動かされるままに、その内部へと入り込んでいった。

 当然、すぐさま侵入を察知されてしまい、防衛に当たっている騎士達が集まって来るが、僕は彼らの体を紙切れか何かのように、軽々とちぎっては投げていった。


「がああああぁっ……死にたい奴から……かかって、来いよ!」


 僕は襲い掛ってくる騎士達を屠り続けていくと、やがて大きく広い部屋に出た。

 そこでは大勢の騎士達がボウガンを構えて一斉にこちらに狙いを定めており、どうやら彼らにこの場所へと誘導されていたことを悟る。

 だが、僕は牙神の構えを取ると、技の名を叫んで高速の勢いで突き進んだ。


「『牙神』っ!!」


 突進中にボウガンの矢の何本かが体に突き刺さるが、痛覚のない今の僕は怯むことなく彼らを虫けらを蹴散らすかのように、その体を吹き飛ばしていく。

 それを何回か繰り返すと、ついに敵騎士達の間に動揺が広がり始めていった。

 ただ普通の人間などどれだけ襲って来ようと敵ではないが、この広い呪の障壁内部で目当ての神官長と十名の神官達の核を探し出すのは、かなりの困難に思えた。


 ――と、そう思っていた時のこと。


 村正がまたしても僕の意思によらずに、小刻みに震え出したのだ。

 それはまるで村正が僕を導こうとするかのようだった。


「まさか、僕が求めている場所が……分かるのか?」


 僕の問いに答えるかのように、村正の切っ先がある方向を示した。

 元々、目的地を探し当てる確かな目算などなかった僕は、これまで幾度も窮地を救ってくれた村正を信じることに決めると、指し示す方向に急いで走っていく。


「下に向かっている……? じゃあ、目的の場所は地下に……よし、それなら」


 僕は村正を足元に向けて牙神の構えを取ると、床に向かって繰り出した。

 すると、床に亀裂が入り、大きく崩れ落ちて下への最短距離が出来上がる。

 それを回数を重ねて最下層に近づいていった僕だったが、村正が指し示す方向がついに今度は下ではなく、同階のある一定方向を示した。通路の先にあった大扉を。


「ここか、この大扉の先にあるんだな?」


 僕の質問に反応して、僕が握り締める村正の振動がより大きくなる。

 どうやらすでに僕は呪の障壁の地下階層に降りてきていたようで、切っ先が指し示すこの大扉の先に求めるものが、と胸を高鳴らせてゆっくりと押し開いていく。

 すると、その先で僕を待ち受けていたのは、薄暗い部屋内の奥で大事にそうに置かれた十一体の人の石像だった。


「確かに神官風の服装をした石像だ。しかも数も合ってる。どうやらあれで間違いなさそうだな」


 高鳴る気持ちを抑えつつ落ち着いた足取りで、僕は部屋の高台に祭るかのように安置されている十一体の神官像へと近づいていく。

 だが、その向かっている途中のこと……ふいに気配を感じた。


「誰だ、そこにいるな?」


 僕が気配に向けてそう声をかけた時、薄闇の中から、目が覚めるような鮮やかな白のローブを纏った白一色の何者か……いや、クシエルが現れた。

 そして相も変わらずこの男は柔和な微笑みを浮かべて僕を見つめながら、動揺した様子はまったくなく、落ちつき払っている。


「よくまた戻ってきてくださいましたね、タミヤ殿。一つ、貴方にお聞きしますが、私達のような人間が魔種ヴォルフベット以上の力をつけるには、何が必要かと思いますか?」


 戦闘態勢を維持し、村正を構える僕にクシエルは唐突にそう問いかけてきた。

 その意図が分からなかったが、僕は吐き捨てるように言ってやった。


「さあな、鍛錬する以外に何があるって言うんだ?」


 僕の返答にクシエルは心底、愉快そうに僕を見つめながら、言葉を続ける。

 こちらは殺気を全開にしているのに、この男は軽く受け流してしまっていた。


「確実で手っ取り早く強くなるには、用意したホムンクルスへの転生。そして出来れば手を出したくはないのが、魔種ヴォルフベットとの融合。なぜなら、後者をやってのけるには闇に抗うための、並々ならない精神力が必要ですからね」


 クシエルは右手を掲げて、拳を握りしめると続きを言い放った。

 よく見ればその右拳から無数の細くて視認しにくい糸が放出しており、それが見えた時にはすでに僕はこの男の術中に落ちていることに気付いた。


「私は……いや、私達帝国六鬼将は全員が魔種ヴォルフベットとの融合を果たしているのです。闇に対抗するにはこちらも闇で、と言うことですよ、タミヤ殿」


 体の自由が効かない中、僕は絞り出すように声を出す。


「おま、えぇっ……」


 だが、満月の光の届かないこの地下ではすでに僕の姿は血の酩酊に目覚めた獣ではなくなり、人間の時のものに戻ってしまっていた。

 恐らくクシエルが地下で待ち受けていたのは、それを計算してのことだろう。

 そして今、僕の体は奴が放出するオーラ状の糸によって絡めとられてしまっており、身動き一つ出来なかった。


「ですから、タミヤ殿。貴方にも魔種ヴォルフベットと融合を果たして頂きます。私達の同胞となるためには、どうしても必要なことですから。当然、融合には他にもメリットはあります。貴方のその美貌を永遠のものとすることが出来るでしょう」


 クシエルは術を維持させたままゆっくりとこちらへと近寄ってくると、こいつに着せられたぼろぼろになった黒のドレスの上から、僕の体を撫で回し始めた。

 その行為の最中、またしても僕に色目を使いながら。


「私達の仲間になった暁には、貴方に似合う色んな衣装を見繕って差し上げますよ。ですが、まずはこれから貴方の身柄を帝都まで運んでから……」


 僕がクシエルに為す術なく、いい様にやられながら、それでも反撃の取っ掛かりを探していた時。ふと犬の鳴き声が開け放った部屋の扉の向こうから響き渡った。


「わんっ! わん、わんっ!! ぐるるうっ!!」


 それは全身が白くて部分的に青色が混ざった、一匹の犬だった。

 犬はこちらに猛スピードで駆けてくると、クシエルに牙を剥いて襲い掛かる。

 クシエルは咄嗟に身を守るように手で庇ったが、犬にその右腕を噛みつかれて、それと同時に僕への術が解かれて僕の体は床に投げ出された。


「まったく、何だと言うのですか、この犬は!」


 体の自由を取り戻した僕は右腕から血を滴らせるクシエルへと、反射的にその右腕を狙って斬りかかり、追い打ちを仕掛ける。

 だが、咄嗟に振るった斬撃だったためその攻撃は浅く、さほど深くは斬り込めず。

 しかし僕からの宣戦布告の意思表示としては、十分過ぎる程だった。


「僕が抵抗出来ないことをいいことに、よくもやりたい放題やってくれたよな、クシエル! これがお前への僕からの答えだ!」


 ――だが、しかし。


 僕が間髪入れずに飛びかかろうとした、その時のことだった。

 突然、クシエルの付近をいつも歩き回っていた、あの小さな人形が僕へと飛びかかってきて、僕の更なる追撃を妨げたのだ。

 その小さな体とは裏腹に強い衝撃を受けた僕は体勢を立て直しながら、距離を取ってクシエルと向かい合う。


「……仕方ありませんね。本意ではないですが、力づくで貴方を手に入れると言うのも嫌いではないですよ、タミヤ殿」


「ああ、やれるものならやってみろ、クシエル!」


 クシエルに対し僕は殺気を放ちながら、牙神の構えを取って言い放ってやった。

 この男の実力は未だ未知数だが、この男を倒さなくては呪の障壁の核である十一体の石像を破壊できないと言うのなら、やってやるだけだった。

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