第七話【迫りくる、魔種の軍勢】

 僕が地を這う様に呪の障壁から出来るだけ離れようと試みている中、背後の方向から人々の怒号や喧騒が聞こえ始めて、瞬く間に広がっていった。

 間違いなく僕を探して捕らえるために、クシエルが部下達に命令したのだろう。


「く、そっ……見つかって、たまるかよ」


 あれだけの高さから爆発に巻き込まれた上に、落下してきたのだ。

 今、血の酩酊に目覚めた獣の姿が解除されれば、僕はきっと意識を失う程の激痛に襲われてしまうことだろう。

 痛覚が遮断されていることに感謝しながら、衝動をコントロールしつつ移動速度を上げて逃げの一手を打っていた所、僕の視界の端に馬が繋がれているのが映った。


「……馬、か。この世界に来てから、何回か練習で乗ったことあるけど……よし、どうやら……僕の方にも追い風が吹いてきたみたいだな」


 僕は馬を繋いでいるロープを力づくで千切り馬の背に跨ると、襲歩で走らせた。

 少しでもここから離れるべく、馬の体力を気にして走らせている場合ではなかったため、途中で馬が潰れたら残る行程は自分の足で辺境伯の城まで戻る覚悟だった。

 だが、幸先が良いと思った矢先だったが、すぐに向かい風も吹いてきた。


「くっ……見つかったか! 追っ手も馬でこっちに向かって来てる。今、戦ったら……負けないまでも、苦戦は避けられない、よな……この負傷じゃ」


 今、自分は愛用の村正どころか何の武器も所持していない、無防備状態なのだ。

 満月の光で血の酩酊に目覚めた獣の姿は維持しているものの、まともに体が動かせない程に負傷しているため、交戦するのは出来れば避けて通りたい道だった。


「……けどっ、世の中、そう簡単に思い通りにはいかないか、やっぱりさ!」


 そう、現実はあまりに非情である。次第に僕は追っ手に追いつかれ始めたのだ。

 背後の方で追っ手達が、僕に向かって叫ぶ声が聞こえてくる。

 振り返って確認してみると、赤い騎士甲冑を着た奴らは僕に向かって馬上から次々と矢を放ってきていた。


「ぐっ……うぐぁっ!」


 ついに健闘空しく、矢の何本かが馬の胴体に命中。

 そして痛みで暴れまわる馬から僕は勢いよく地面に振り落とされてしまう。

 それでも地面を這って進もうとする僕の周りを、追っ手は執拗に駆け回りながら、弓矢を構えて攻撃の機会を窺っていた。


「タミヤ・サイトウ、お前は殺すなと命令を受けているが、多少血を流させて静かにさせる程度の攻撃許可なら出ている。どうする、大人しく我々に従うなら……」


「……ああ、好きにしろよ。今の僕は……満身創痍な上に武器一つ持ってない。抵抗しても……勝ち目なんてないさ。さあ、煮るなり焼くなり好きにしろ」


 僕は追っ手の投降要求に対して白旗を上げて、地面を背にして寝転がった。

 すると、奴らは馬から降りて武器を槍や剣に持ち替えて僕へと近づいてきた。

 これが僕の作戦とも知らずに。


「良い心がけだ。では、来てもらうぞ、我々とな」


 追っ手の一人が僕に手を伸ばしかけた時、僕はその足首を掴んで握り潰した。

 そして情けない悲鳴を上げるそいつを押し倒して、喉を両手で挟み潰す。

 更に続けざまに動かなくなったそいつから手にしていた剣を取り上げ、他の追っ手の脳天に投げつけた。


「ぎゃっぁあっ!!」


「これで……二人目、だ。……僕を、侮るなよ。こんな満身創痍な有様でも、純粋な腕力じゃ……お前ら普通の人間よりも遥かに、上なんだからな」


 周囲を見回すと、残る追っ手は五人だった。

 今、僕は足を負傷しており機動性は大きく落ちているが、接近さえすれば力任せに手足をもぎ取るなど容易に出来る。

 そう、近づくことさえ出来れば……の話だが。

 しかしすでに奴らは警戒していて、迂闊に向こうから僕に接近してくるのを待つのは、望みが薄そうだった。


 ――だが、そんな膠着状態にあった時のことだった。


 突然、空から風を切るような音が聞こえた気がした。

 何事かと音がした方向、上空を見上げた僕だったが、何と一振りの刀が天から飛来し、僕の手元近くの地面へと鞘に収まった状態で、勢いよく突き刺さったのだ。

 そしてその姿は紛れもなく……僕がよく知る刀剣、愛用する村正だった。


「これは僕のっ……! まさか、独りでに動いてきたって言うのか、お前」


 僕はすかさず村正を手に取ると、鞘が小刻みに震えているのが分かった。

 そういえば、優れた武具には魂が宿ると聞いたことがある。

 僕の長編小説「滅びゆく世界のキャタズノアール」でも、ミコト愛用のこの村正は伝説級の一振りなのだ。何かのきっかけで魂が宿ったと言うことかもしれない。

 ならば……と、僕は村正の鞘を掴んだまま、ある一言を思い浮かべて念じた。


 ――飛べ、と。


 すると、僕の体がふわりと浮き上がった。

 いや、村正自体が空を目掛けて飛翔していき、鞘に掴まったままの僕ごと今いた場所から高速であっという間に、飛び去っていったのだ。

 さっきまでいた場所で、僕の方を見上げて大声を上げていた追っ手達の声も、すぐに後方へと流れ去っていき、聞こえなくなった。


「う、わっ……こいつは凄いぞ。馬よりもずっと速い! この移動速度なら辺境伯の城や野戦築城までなんて、ひとっ飛びで行けるじゃないかっ!」


 僕は高速飛行する村正の鞘に両足をつけて流れていく眼下を見下ろしたが、どう見ても時速二百キロは優に超えている。

 実際、辺境伯の城がすでに肉眼で捉えられる距離まで、移動してきていた。


「よし、降りろ!」


 そう念じる様に言葉を発すると、その通りに村正は辺境伯の城の入り口の大門前の地面に突き刺さるようにして着陸。僕は鞘から飛び降りた。

 すると、驚いたように僕の方へと駆け寄ってきて、何事かと訝しむ見張りの辺境騎士達に僕は事情を手短に説明した。


「一大事だ。すぐに城の全員に伝えてくれ。辺境領はもう間もなく、魔種ヴォルフベット達の本腰を入れた侵攻の脅威に晒されることになるんだ。今すぐ全員で呪の障壁の付近まで向かってくれ。万に一つにも助かる道は、あの石壁を越えるしかない。僕はこれから野戦築城にも向かって皆に伝えなきゃならないから……いいな、頼んだぞ?」


 辺境騎士達は僕の必死な様相にただならないものを感じ取ったのか、了承の返事をすると、すぐに城の大門を開門して行動に移ってくれた。

 まだ彼らには疎まれ偏見の目で見られている僕だけど、それだけ僕の様子から鬼気迫るものを感じ取ってくれたのかもしれない。


「よし、今度は野戦築城だ。またひとっ飛びで頼む、村正!」


 僕は再び村正の鞘に両足から飛び乗る。

 瞬く間にぶわっと空気を裂く程の勢いで僕を乗せたまま、村正は空へと浮かび上がると、高速で上空を野戦築城までの最短距離を飛翔していった。

 そしてしばらく空を飛んでいた後、その野戦築城の向こう地平の彼方から、黒く大地を埋め尽くすような何かが迫って来ているのが見えた。


「ま、まさかっ……もう来たって言うのか! 予想してたよりも早すぎる!」


 今にも迫りくる魔種ヴォルフベットの軍勢を見て、僕は焦りを隠しきれなくなる。

 しかし視線を野戦築城に向けた時、一番姿を探していたあの二人がいるのを見つけて、少しだけ胸を撫で下ろした。


「ウルリナ、ガナン。最悪の場合、お前達だけでも逃がしてやりたい。正直、僕がこの異世界で友人だと呼べるのはお前達だけだからな……」


 そんな考えを抱いている間にも、僕が乗る村正は野戦築城の中心部、あの二人がいる付近に降り立つ。轟音と共に鞘が地面に突き刺さった。


「タ、タミヤっ! 一体、今までどこへ行っていたんだ!? 探していたんだぞ! それに……なんだ、その恰好は。黒のドレス、似合ってはいるが、ぼろぼろだぞ」


 慌てた様子を見せて、ウルリナとガナンは僕へと詰め寄ってくる。


「あ、ああ……色々あってさ。それより一刻もここから離れるぞ。もうお前達にも見えているだろ? あの魔種ヴォルフベットの大軍勢が今にもここへ攻め入ってくるんだ。これまでの襲撃とは比較にならない数のな! 何とか呪の障壁まで行って、その向こう側まで避難すれば一応は安心だと思う。さあ、今すぐ逃げようっ!」


 だが、僕の必死の訴えにも、ウルリナとガナンは首を縦に振らなかった。

 そう、内心では僕も分かっていたのだ。この二人はそういう人間だと。

 ここにいる部下達や辺境領に暮らす人々を見捨てて、我先に安全な場所へと逃げ出そうとすることなど、決して許さない高潔さを持ち合わせているのだ、と。


「やっぱり……戦うつもりなんだな、お前達。勝ち目があると思ってるのか?」


 僕の問いに、ガナンは表情を変えることなく答える。

 もう間もなく奴らが、ここへと到着してしまうと言うのに。


「タミヤ殿、勝てるか勝てないかではない。これは私の騎士としての務め。いや、私の信条だ。こういう事態が起きることは辺境領に志願して来た時から、想定していたこと。それを変えることなど出来ない」


 そしてウルリナも戦う意思を捨てていない目で魔種ヴォルフベットの大軍勢の方を見やると、腰に差した彼女愛用のフレイムタンと呼ばれる剣を抜き放って言った。


「ああ、当然だ。父が治める領邦で暮らす人々の安寧を守るのは私の役目なんだ。一分一秒でも長く奴らを食い止めれば、それだけ助かる人々が増える。呪の障壁まで辿り着ければ、生き残る可能性があるのならばっ……尚更、私はここを動けん!」


 まるで心の底から迷いすらなく、言い放っているかのような言葉だった。

 僕が暮らしていた日本で、こんなことを言い切れる者が果たしていただろうか。

 ……否、であった。だから、僕の鼓動はトクンっと高鳴った。

 それは今まで見たことのないタイプの人間への好奇心からだったのか?

 いや、それ以上に彼女らのその曇なき正義に満ち満ちた自己犠牲の言葉に、やはりこの二人だけは決して死なせてはならならないと言う気持ちが芽生えていた。


「……そうか。分かったよ、ウルリナ、ガナン。じゃあ、僕もお前達に付き合おう。最後まで、さ」


 だが、これは僕の本心からの言葉ではなく、明らかな嘘だった。

 もしウルリナとガナンがこの戦場の最前線で尊く死を選ぼうとしたなら、僕は二人の意思がどうだろうと、無理にでも逃がしてやると、決意を固めていたのだから。

 しかし二人はそんな僕の心の内など、つゆ知らず……。


「ありがとう、タミヤ」


 と、微笑みながらそう言ってくれたのだった。

 だが、その笑顔が僕にはとても眩しく、同時に堪らなく僕の心を痛ませていた。

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