第四話【繰り出される、僕の最高奥義】

「……男に色目を使われたのは、初めての経験だったな」


 僕は辺境伯の城に戻る途中の馬車の中で、そう呟く。

 ウルリナはそれが聞こえていたのか、珍しく笑顔を見せてあのクシエルという男のことについて、更に詳しく教えてくれた。

 だが、心なしかその声音はいつもより弾んでいるように見える。

 交渉が上手くいったのが、嬉しいのかもしれない。


「今の帝国中央はどうなっているのか私には分からないが、あの男は帝国が二年前に大敗した以降になって台頭してきた勢力、帝国六鬼将と呼ばれる連中の一人だそうだ。奴らが話していたのを盗み聞いた情報だがな」


 つまりは今、帝国が魔種ヴォルフベットとの戦いに消極的な状況を作り出している帝国上層部の重鎮だと言うことなのだろう。

 だが、それにしてはあの男の堂々たる態度は魔種ヴォルフベットがいかに強敵だったとしても、怯えてすぐに白旗を上げるような玉ではないように思えたが。


「あの男の意図は分からないが、十分な補給を得られる約束を取り付けられた。今回の交渉が成果を得られたのも、お前のお陰かもしれんぞ、タミヤ」


「僕は別に何もしてなかったんだけどな。本当に、ただ一緒にいただけだし」


 僕はそう言ったが、それでもウルリナはご満悦な様子だった。

 そして「色仕掛けで交渉が上手くいくなら安いものだ。部下の命の危険を少しでも減らすために可能な限り働くのが上司の責任だからな」と、彼女は付け加える。

 本当に喜んでいいことなのか分からなかったが、それで事がスムーズに進むのなら、それくらい甘んじてやるかと、僕は渋々受け入れることにした。


「ともかく今日はご苦労だった。だが、ここ辺境ではゆっくり休ませてやる余裕がない程、忙しいのだ。帰ったら、また存分に働いてもらうぞ」


 もう頭を次のことに切り替えたのか、またいつもの厳しい表情に戻ってそう言うウルリナに対し、僕は「ああ、前線行きは一向に構わないよ」と、返事を返す。

 そしてそんなやり取りの間にも行路は進み、しばらくして城が見えてきた。

 父上に今回の件を報告をしたいからと、到着するなりすぐに馬車を飛び降りて、足早に城の中へと走り去っていくウルリナを僕は見送る。

 そして彼女と入れ違うように、城内から現れたガナンに声をかけられた。


「初仕事はどうだった、タミヤ殿。それにしても、あんなに目を輝かせたお嬢を見るのは私も久々だ。どうやら、上々の結果を出せたということかな?」


「ああ、なぜか上手くいったよ、怖いくらいに。僕らは本当に特別なことは、ほとんど何もしてなかったんだけどな」


 ガナンはあまり嬉しくはなさそうな様子で少し言い淀んだが、やがて意を決したように思いの丈を話してくれた。


「それは私にとっても意外な結果だ。何しろ、中央は腐敗している。私もかつてはそこの人間だったから分かる。保身のためなら、辺境領の人々など平気で切り捨てる。あそこにいるのは、そういう奴らだ」


「帝国六鬼将って連中かい? あんたの言ってる、奴らって言うのは?」


「いや……その者達が勢力を強めたのは、私が中央を去った後だよ。だから、新参者の監督官クシエルらのことは、私はよく知らない。私が知るのはそれ以前の話だが、今の辺境領への対応を見る限り、彼らもそう変わらないのだろうと思っていた」


 ガナンが元々は辺境の人間じゃないと言うのは初耳だった。

 しかしそこまで腐敗している中央の人間がなぜ支援をしてくれる約束をしてくれたのか、やはり僕には腑に落ちなかったのだ。

 そのことを告げると、ガナンも引き締めた表情で頷き、何か裏があるかもしれないことに気を付ける必要があるなと答えてくれた。


「そういえば僕は辺境伯にはまだお会いしたことがないけど、この城でお世話になる以上、挨拶ぐらいはしておきたいな。どこにおられるんだ?」


 それを聞いた途端、ガナンは表情を暗くする。

 何か言い難そうな様子だったが、もう一度聞くと躊躇しながらも答えてくれた。


「ああ、そのことだが……ここだけの話、辺境伯は心労で数週間前に倒れられた。現在は意識も戻らず、寝たきりの状態だ。このことを知るのは一部の者だけだから、口外はしないで欲しい、タミヤ殿」


 ガナンから聞かされたのは非常にショッキングな事実だったが、通りで城主でありながら、今まで姿を見せなかった訳だと、ようやく納得がいく。

 だが、さっきの嬉しそうなウルリナを思い出すと、僕は心がちくりと痛んだ。


「ついて来て欲しい、タミヤ殿。まだ君は来て間もないから、現在の辺境領を危機に陥らせている元凶を、魔種ヴォルフベットについて詳しく知っておいてもらいたい」


 ガナンに案内されて城内の地下深くまでやって来ると、そこには厳重に何重にも強固な扉で封印された薄暗く汚い石壁の牢獄が待っていた。

 そして鉄格子の向こうにはこの世界にやって来たばかりの頃に寒村で遭遇した、動物に酷似した外見の、あの漆黒の化け物達が鎖で繋がれていたのだった。


「あれが魔種ヴォルフベットだ。あの動物に近い姿をしているのが最も下級の魔物タイプ。そして、それより体格が二回り大きく一部分が異常に肥大化しているのは、魔獣タイプ。この二年間は姿を見せてはいないが、帝国を大敗させた人間に近い姿をした魔人タイプと言うのもいる。更に確認例はこれまでに数件だけで眉唾物だが、途轍もなく巨大な不浄タイプというのもいるらしい」


「じゃあ、牢獄内にいるのは魔物タイプと魔獣タイプだけか。こいつらと意思の疎通なんて出来そうにはないから、研究目的でここに閉じ込めているってことだな?」


 ガナンはこくりと頷くと、牢番に指示を出して鉄格子を開けさせる。

 そして僕に入るように促し、僕らは揃って中へと入った。

 と、同時にガナンが外に指示を送ると鉄格子は厳重に閉められてしまい、僕らは牢獄内に閉じ込められる形となった。僕は何をする気なのかと、思わずガナンを見る。


「君があの村で倒したのはすべて最下級の魔物タイプだった。だから君を試したい。その一つ上の魔獣タイプを倒せない様では、この辺境では務まらない。本来は訓練を積んだ騎士達が小隊を組んでようやく倒せる相手だが、君には一人だけでやってもらいたい。ここは月の光が届かない地下だが、それでも出来るかな?」


 その言葉を聞いて、僕はガナンの方を見る。

 説明した覚えのない事実を、彼に知られていたことに驚きがあったからだ。


「気付いてたのか。僕が月の光を目にすることで、あの『血の酩酊に目覚めた獣』に変貌しているってことを」


「気付いたのは、お嬢だ。君を地下に閉じ込めていた間、一向にあの姿になって脱獄を図らないことからな。お嬢はあれで中々、人を分析する能力に長けている」


 そして続けて「覚悟はいいかな?」と、ガナンは僕に確認すると、巨大で漆黒の狼の外見をした魔獣タイプの魔種ヴォルフベットを拘束している鎖を外そうと、手をかけた。

 僕が承諾すると、彼は鎖を慣れた手つきで外していく。そして拘束から解き放たれた巨黒狼の魔種ヴォルフベットは大きく咆哮を上げた。思わず、耳を塞ぎたくなる程の咆哮を。


「こいつは魔獣タイプの中でも捕獲に苦労させられた凶暴な個体だ。この魔種ヴォルフベットを月明かり化という限定的な状況のみではなく、安定して一人で倒せたなら、私は安心して君を辺境の救世主だと部下達に紹介出来る。では、始めてくれ、タミヤ殿」


 僕は殺意を剥き出しにしてこちらの様子を窺っている巨黒狼を見据えながら一呼吸してから、腰に差した鞘から愛用の村正をすらりと抜き放つ。

 敵の一挙一動足をも見逃すまいとしていた僕だったが、たとえ本気を出さずとも、こいつに勝つことは出来ると言う実感はあった。だが……。

 僕は今後、戦い抜いていくためにも、自分の限界を知っておきたかったのだ。

 だから……これから繰り出す技はもう心に決めていた。

 僕が執筆していた「滅びゆく世界のキャタズノアール」の作中でミコトが使った最高奥義であり、牙神を負の方向に昇華させたことで、身体機能だけでなく精神や記憶までも喪失させてしまう凶悪な技である。


「さて、自分で使うのは初めての技だけど、果たして本当に僕が設定した通りの効果があるかを、試させてもらうとするか」


 肌にひんやりとした牢内の空気が、更に寒気に晒されたような感触を感じる。

 急速に僕の体内で闘気が凝縮され、それが腰を深く落として相手に向かって半身の姿勢を取り、切っ先を敵に向けた状態の村正の刀身へと注ぎ込まれていく。

 勝負は一瞬の間につくと確信した僕は、満を持して最高奥義の名を叫んでいた。


「いくぞっ、魔種ヴォルフベット! これが僕の最高奥義! その名も『牙神・冥淵』だっ!!」


 ――瞬間、僕の姿がまるで蜃気楼のように朧気に歪む。


 それと同時に巨黒狼もこちらへと飛びかかり、僕へと鋭い牙を剥けんとしたが、僕が突進しつつ突きとして放った村正の切っ先から黒紫色の波動が溢れ出し、すれ違い様にその肉体を全身丸ごと、瞬く間に飲み込んでいた。


「アオっ!? オゥオオァアッ!!!」 


 すれ違った後に、背後で巨黒狼が断末魔の絶叫を上げたのが聞こえた。

 そして技の効果をこの目で確認すべく、僕が振り返って床に蹲る巨黒狼に一瞥をくれてやった時。すでに奴は急激な喪失感に蝕ばまれていっており、外傷はないものの、口から泡を吹いて完全に身体機能を停止していたのだ。


「成功したみたいだな。けど、我ながらえげつない効果の技だ……。さすが殺人鬼として設定したミコトの最高奥義だけあるな」


 決着がついたのを見届けた僕は、一息つくと手にした村正を静かに鞘に納めた。

 すると、少し離れた場所から見ていたガナンは満面の笑みで僕に拍手を送ると、祝福の言葉を述べてくれた。


「見事だ、やはり私とお嬢の目に狂いはなかった。これで辺境領での戦いにも、希望が見えてきたかもしれない。君の類まれなる強さに敬意を表したい、タミヤ殿」


 そして手を差し出してきたガナンに、僕もまた「ああ、こちらこそよろしく頼む」と、微笑みながら彼の握手に応じた。……のだが、僕は後に知ることになる。

 この時すでにこの異世界の地で、日本から転移してきた僕を中心として、運命の歯車が動き始めようとしていたのだと言うことを。

 だが、僕の身に何が迫っているのかを、この時の僕には知る由もなかったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る