第三話【監督官クシエル・ツァドキエル】
翌朝が来た。
昨日は戦闘行為に駆り出されるわけでもなく、作戦会議が終わってからは、ずっと僕は自分のために用意された城の一室で寛いでいた。
女になってしまった自分の肉体を余すことなく確認していたら、いつの間にか一夜が明けてしまっていたのだ。
「お前は一先ずは戦闘には出なくていい。その代わりに明日、私と一緒に辺境領と帝国南部領の境目にある呪の障壁に向かって欲しい。ただ私に同行してくれれば、それだけで構わないんだ。頼んだぞ」
昨日の作戦会議で僕はウルリナから、こう指示を受けた。
今の僕は自分でも実感できる程、この身に強い力が宿っているのが分かる。
だから少なからず浮かれていた僕は、たとえ前線に向かわされたとしても別に良かったのだが、なぜなのか理由を聞いてもそれは教えてはくれなかった。
「あの女が僕に何を期待しているのか知らないけど、自分に同行してくれと、そう言うんだから何か意味があるんだろうな。なら、僕はその仕事を果たすだけだ」
僕はベッドから体を起こすと、城の使用人が運んできた朝食を平らげて、今度こそ自分で騎士甲冑を身に着けて、部屋の外に出た。
だが、その途端に城の通路を歩く人達の目が、僕に集まっていることに気付く。
かと言って挨拶をしても余所余所しい態度で返事はなく、まるで腫れ物でも見るかのような目つきだった。
「……化け物が」
すれ違いざまに呟かれたその言葉を聞いて、僕はその理由をやっと理解する。
僕がガナンやその部下達にしたことを、彼らはまだ忘れていないのだ。
いくらウルリナとガナンが僕を懐柔して味方に引き入れたのだと頭では分かっていても、一度芽生えた恐れや偏見はそう簡単に消えるものではないのだろう。
(まあ、いいさ。行動で示していけば、彼らの蟠りもいずれ……)
「どこへ行くつもりだ、タミヤ?」
僕がそう心の中で独りごちていた時、不意に後ろから声がかかった。
振り返ると、そこにいたのはウルリナだった。
怒っているのではないだろうが、今日もいつものむすっとした表情だ。
「探したぞ、タミヤ。部屋に迎えに行ったのだがな。昨日言った通り、朝一番で出発したい。外に馬車を用意してある。さあ、向かうぞ」
ウルリナに促されるように僕と彼女は城を出ると、予め外で待っていた護衛のための三人の騎士と共に、僕らは馬車のキャリッジに乗り込んで出発した。
しばらく僕らは無言で走る馬車に揺られていたが、やがて沈黙を破るようにウルリナが口を開いた。
「これから向かう呪の障壁では、帝国の主力部隊の一つが駐留している。同じ帝国人だが、奴らの目的は一人の密航者も許さず、辺境の人間の通行を封じることだ。自分達の安全を守るためにな。いけ好かない連中だが、補給物資を受け取るには奴らと交渉せざるを得ない」
「なるほど。つまり、そいつらとの交渉を有利に運ぶためには決して舐められる訳にはいかないってことだな。確かに重要だ。だから、脅しをかける意味でも、お前は僕をそこに連れていきたいって訳か」
ウルリナは何かそいつらからの嫌な記憶でも思い出したのか、苦虫を噛み潰すような表情を浮かべる。だが、一呼吸置いてから表情をまた元に戻し、更に続けた。
「ああ、そういうことだ。今、帝国内部ではどうなっているのか辺境の私達には知る由もないが、あそこにいる監督官は『白皙のクシエル』と言う中央の人間だ。年の頃は二十代後半だとは思うが、妙に達観した所がある。お前は私と一緒にそいつと会って欲しいのだ」
「分かった、じゃあ出来る限り頑張ってみるか。暴力沙汰にならない範囲でな」
ウルリナは「頼んだぞ」とだけ答えると、それからは特に会話もなく、しばらくすると巨大な石で作られたような、壁と形容すべき物が見えてきた。
高さはどう見ても五十メートルはあり、左右にも長く広がっているのを見ると、恐らくあれが話に聞いていた呪の障壁なのだろうと言うことは、すぐに理解出来た。
「さあ、着いたぞ。同じ帝国領内ではあるが、ここはすでに敵地だと思え。それくらい奴らは私達、辺境領の人間に対して慈悲がない」
ウルリナのその言葉を皮切りに僕達は覚悟を決めながら馬車を降りて、彼女の後に続いて進んだ。
すると赤い騎士甲冑を着た騎士と思われる者達が、槍を構えながら明らかな敵意をこちらに向けて立ち塞がった。
「辺境伯のご令嬢、ウルリナ・アドラマリク殿だな。念のために聞いておくが、何の目的で来られた?」
「補給物資の件で監督官クシエル殿と話し合いに来た。通して頂けるか?」
すると、周囲からは下卑た囁き声や笑い声が聞こえてくる。
どうやら僕らは彼らに馬鹿にされているのだと、すぐに察することが出来た。
むっとして、殺気でこいつらを威圧することも考えたが、ここで騒ぎを起こして監督官に会えないのでは本末転倒だと思えたので、ギリギリの所で思い留まった。
「通るのは構わんが、その前にボディーチェックはさせてもらうぞ。お前ともう一人の女だけでいい。他の騎士共の立ち入りは認めんから、ここで大人しく待っていろ」
「好きにしろ。時間が惜しいから、出来るだけ手短に頼む」
ウルリナは表情を微塵も変えることなくそう言い放つと、赤い甲冑の騎士達は遠慮することなく、彼女と僕の体を弄り始める。
それはどう見ても、セクハラ目的なのは明らかだった。
正直、男の性的な欲求を満たそうとするその行為に嫌悪感を感じて仕方なかったが、無抵抗の意思を示すためにも、僕はされるがままに毅然として耐え切った。
「よし、腰に差した剣はこちらで預からせてもらうが、通っていいぞ」
ようやく解放された僕とウルリナは武器を没収されたものの、呪の障壁に取り付けられた大扉を潜り抜けて、中へと案内されていった。
内部はかなり広く石造りの城のようであり、しばらく歩いた後に僕らは長い階段を上った先にあった、とある一室に通された。だが、その時……。
「面白いじゃないですか、まさか貴方がそのような方を連れてやってくるなんて」
その声は僕らが部屋に入るなり、執務机の椅子に腰かける男から発せられた。
まるでこちらの意図など、お見通しだと言わんばかりにである。
声を放った主は二十代後半のように見える青年だったが、屈託なく微笑んでこちらを見つめている。
元男の僕でさえ一瞬、ドキリとする程に肌は透き通るように白く、肩まで伸びた白い髪、そして白を基調としたローブを纏った艶めかしい美貌を備えた男だった。
そして男の目の前の執務机の上を、小さく愛らしい人形が歩き回っている。
「初めまして、お嬢さん。お名前を聞かせてもらってよろしいでしょうか?」
僕はすぐにそれが誰に向けられた言葉なのか分からなかったが、少ししてようやく自分に対して言われたのだと言うことに気付き、どぎまぎしてしまった。
だが、それを見て青年は微笑みながらフォローを入れてくれた。
「失礼、まずは私から名乗るのが礼儀かな。私はクシエル・ツァドキエル、今は砦として機能しているこの呪の障壁を守る監督官をしています。それにしても、貴方は面白い気配をしておられるのですね、お嬢さん。まるでその美しい美貌の中に、血塗られた凶暴な獣でも飼っているかのようです」
やはりこの男にはこちらの狙いを見透かされていると、そう思った。
だが、ここからどう返せば、向こうに最大の譲歩を引き出せるかと考えていた所、予想もしていなかった返事が返ってきたのである。
「我々、中央の人間も全面的に貴方達、辺境領の方達を支援すると約束しましょう。食料、医療品、兵員、帝都の最新武具などを後日、辺境伯の城にお送りします。まだ他に必要なものはありますか、ウルリナ・アドラマリク殿?」
あっけに取られていたのはウルリナも同様だったようで、短く「あ、ああ」と答えた後にようやく自分を取り戻すと、背筋を正して言った。
「いいや、十分だ。それだけあれば、私達はまだ
「構いません、貴方達が全滅すれば困るのは我々、中央の人間も同じですから。最後に一緒におられるその女性のお名前を聞かせて下されば、私としても満足ですよ」
ウルリナは僕の方を見る。名乗ってやれと言うことなのだろう。
確かに名乗った相手に対し、名乗り返すのは礼儀だろうと僕も思い、答えた。
「僕はタミヤ・サイトウ、と言います、クシエル監督官殿」
それを聞いたクシエルはにっこりと微笑むと、執務机の上を歩き回っていた人形の頭をちょこんとつつきながら、こちらを見据えて言った。
「良い名ですね、タミヤ殿。名残惜しいですが、私も仕事があります故、これ以上の要件がないのでしたら、本日はこれまでと言うことで。気を付けてお帰り下さい」
クシエルから話を切り上げられ、ウルリナは頭を下げる。
そしてもう一度感謝の言葉を述べて退室していき、僕も彼女の後に続いた。
だが、帰路を辿る馬車の中で、僕は圧倒される程に巨大に聳え立つ、呪の障壁を幾度も振り返って見ていた。
相手から予想外の譲歩を引き出せたことを素直に喜んでいいのか、あの終始柔和な表情を崩すことのなかった、クシエルという青年の顔を思い浮かべながら。
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