第二話【僕はミコトで、そして斉藤タミヤ】

 一筋の陽光も月明かりも差さない窓一つない薄暗く冷たい空間で、僕は何をするでもなく、囚人服を着てただベッドに腰かけていた。

 この地下牢に投獄されてから、すでに何日になるのか時間の感覚も分からないこの場所では判断することも難しかったが、食事だけは三食満足に供されている。

 それだけが、不幸中の幸いと言う所だった。


「殺戮衝動も今はすっかり鳴りを潜めているな。これは有り難いのか、残念なのか。もし、ここが月が見える場所だったなら、『血の酩酊に目覚めた獣』と化して脱獄も容易に出来たんだろうけど……」


 そこで僕は一呼吸ついて、続けて言った。


「まあ、それをやったらもう彼女達は僕を敵以外に認識してくれないだろうしな」


 しばらく過ごしてみて分かったのは、少なくとも僕はミコトの姿をしているが、ここは僕が熟知している小説の中などではないと言うこと。

 勝手の知らない異世界で、あまり敵を増やすのは避けたいのが正直な気持ちだったし、やはり不可抗力だったとしても殺人を犯すのはどうしてもしたくなかった。

 だが、愛用の村正も取り上げられてしまい、今の僕に出来ることと言えば……。

 未知に満ち満ちたこの異世界のことに思いを馳せることと、そして……。


「来たな……」


 地下牢の外から足音が聞こえ、鉄格子が開いてあの女性騎士が入ってきた。

 それと、もう一人。あの時の巨漢の騎士、ガナン・ヤズマッドと名乗った男だ。

 僕はずっと感覚を研ぎ澄まして外の気配を探っていたが、食事を運んでくる看守ではなく、この二人が来たと言うことは今日はこの状況に進展があるのかもしれない。

 と、そう考えていた所で、女性騎士の方が僕の前で口火を切った。

 しかしその表情は初めて顔を合わせた時と変わらない、相変わらずの仏頂面だ。


「話してもらうぞ、お前の正体について。麻酔針で眠らせていた間に、身体検査をさせてもらい、お前が魔種ヴォルフベットではなく、人間だと言うことは調べはついている。だが、それでもお前は明らかにまともではない。あの強い殺意と殺気、そしてガナンと戦った時の異形の姿と尋常ではない膂力。聞かせろ、お前は何者だ? 返答によっては処刑することもやむを得ないが、正確に真実だけを話せ」


 冷静を装いつつ、彼女が正体不明の僕に恐れを抱いていることが伝わってくる。

 彼女のこの険しい表情は僕の正体が分からないがための不安からだと察した僕は、敵対感情を見せずに、穏やかに返すことにした。

 それも互いに誤解が生じないよう、出来るだけ事実を語ることを努めて。


「僕の名は斉藤タミヤだ。いや、タミヤ・サイトウか。ここではない世界、日本と言う国から来た。さあ、まずは僕から名乗ったぞ。だから今度はそっちも名乗ったらどうだい、お嬢さん? 僕はまだあんたの名前さえ、知らないんだしな」


「そうだったな。私はウルリナ・アドラマリク、この辺境地を治める辺境伯の娘だ。

 それにしてもタミヤ・サイトウか、変わった名前だ。それに……僕? まるで殿方のような喋り方をするのだな。まあ、いい。続けろ、タミヤ・サイトウ」


 僕は自分とは別世界に住むウルリナに上手く説明出来るか分からなかったが、可能な限り事実を噛み砕いて説明した。ただし、僕が元は男だと言うことは伏せた上で。

 女であると思わせた方が、彼女の信用を得られると考えたからだ。

 そして誤解させるつもりはなかったのだが、どうやら彼女は僕が住んでいた日本を異世界ではなく、どこか遠くにある異国だと捉えてしまったようだった。


「俄かには信じがたい話だ。何かそれを証明するものはないのか?」


「あれば苦労しないよ。気が付いた時には、森の中であの騎士甲冑を着て地面の上で寝そべってたんだからな。けど、僕は自分の身を守る以外の状況で、あんた達に武器を向けることは決してしないと約束するよ」


 そこでウルリナはしばしガナンと顔を見合わせ、やがて再び僕に顔を戻した。

 しかしその顔は何かを訴えかけるような、そんな深刻な表情をしていた。


「今、私達が住むガスタティア帝国は魔種ヴォルフベットと呼ばれる敵と戦っている。いや、二年前の大敗ですでに上層部は勝つことを諦めてしまい、奴らがやって来る南方界外と接するここ辺境領にだけ戦いを押し付けて、自分達は神官達が命と引き換えに築き上げた、呪の障壁より北の安全地帯で現実逃避するかのように暮らしているんだ」


「なるほど、その魔種ヴォルフベットって奴らがあんた達が戦っている敵対勢力な訳か。だから、あんたはまず最初に僕を魔種ヴォルフベットの仲間じゃないかって疑ったんだな」


 そこまで話してウルリナはそわそわと落ち着きなくガナンを見た。

 その表情に彼女の意思を察したのか、ガナンはヤレヤレといった様子で続けた。

 だが、薄暗い地下牢内で気付きにくかったが、よく見れば彼の顔面は僕の中に眠る獣から受けた傷が痛々しく残っており、罪悪感で少し申し訳ない気持ちになった。


「タミヤ殿。我々は今、慢性的な戦力不足に陥っているのだ。二年前に帝国が大敗して以降、奴らは本腰で攻めてくることはないが、いつ戦局が崩されるか分からない。こんな状況のまま部下達に戦いを強いるのは死ねと言っているのも同じ。だから、私達は戦力が欲しいのだ。それも救世主となるような、強い戦力が」


「端的に言うと、僕に力を貸して欲しいのか? まあ、あんたには酷いことをした引け目はあるし、この右も左もよく分からない世界で僕の居場所を用意してくれるって言うんだったら、考えてやってもいいかな」


 考えてもいいとは答えたが、僕は心の中ではこんな異世界での体験を味わえるなんて運がいいと心を弾ませており、すでに気持ちは決まっていたのだ。

 好奇心に忠実に従い、それを創作に生かすことが僕の最大の原動力なのだから。

 だが、その言葉にウルリナは一瞬、ぱっと表情を綻ばせる。

 何だ、かわいい顔も出来るじゃないか、と僕がそう思ったのも束の間、ウルリナはすぐに表情を固くし、喜びの表情を噛み殺しているのか先程よりも渋い顔で俯く。

 一方、ガナンの方は満面の笑みだ。まだどんな奴なのかよく分からないものの、この男とは上手くやっていけそうな気がした。


「交渉は成立だな。じゃあ、ともかくこの地下牢から出してくれないか。話の続きはぜひここじゃなくて、上で聞かせて欲しいな」


「ああ、君が着ていた血塗れの騎士甲冑はすでに手入れはしてある。その囚人服からすぐに着替えるといい。何しろ、この辺境地では戦闘行為はいつ始まってもおかしくはない程、緊迫した状況にある」


 僕はガナンとウルリナに促されるままに地下牢を出て上階に上がると、きらびやかではないが、質実剛健と言える西洋の城を思わせる建造物の一室に案内された。

 そこには僕が着ていた、女性用の西洋甲冑が置かれてあったが……。

 当然、鎧の着方など分かるはずもない僕は、ガナンの方を見て言った。


「悪いけど、着せてくれないかな? 鎧の着方なんてまったく知らなくてさ」


「それを本気で私に頼むつもりかな、タミヤ殿。……だが、君の着替えを私が手伝う訳にはいかない。お嬢、この場は頼みたい」


 ウルリナは「分かった」と答えてから、ガナンに退室するように指示する。

 そして振り向くことなく出ていったガナンを尻目に、僕に対して耳元で忠告するように言った。


「羞恥心がないのは感心しないな、タミヤ・サイトウ。それともお前の国では女子は皆がそうなのか?」


 僕は一瞬、ウルリナのその言葉の意味を理解しかねたが、ふと顔を横に向けると、そこに置かれてあった大鏡が目に入った。


「え……っ」


 途端、僕は鏡に映り込んだその自分を姿を見て、思わず固まってしまった。

 前に川に映った自分の姿を確認した時は、暗かったためによく分からなかったが、顔は自分で言うのも何だが、美人と言える顔立ち。

 背は女としては長身で百七十以上はあるが、プロポーションは抜群だったのだ。


「そ、そうか……これがミコトか。脳内でイメージしてたより、ずいぶん……」


 僕はゴクリと生唾を飲み込み、ミコトになった自分の姿をただ凝視していた。

 すると見惚れていた僕の後ろからウルリナが僕の肩に手をやり、振り向かせる。


「さ、鎧を着込むのを手伝おう。まずはその囚人服を脱いでくれ」


「あ……ああっ! 分かった!」


 僕は言われるがままに囚人服を脱いでいると、その最中に胸を見てしまった。

 勿論、自分のであるが、どこか後ろめたく感じて鼓動は激しくなっていき……。

 ウルリナに甲冑を着せてもらっている間中、恐らく僕はずっと顔は真っ赤になっていたことだろう。


「さあ、終わったぞ。お前が持っていた、あの奇妙な形状の剣とその鞘も腰に差しておいた。これから作戦会議を行うが、お前も参加してくれ。会議室はこっちだ」


「あ、ああ。今、行く!」


 未練がましくまだ鏡の中の自分を眺めていた僕は裏返った声を上げつつ、部屋を出て行こうとするウルリナの後ろを小走りでついて行くのだった。

 今夜は女体の神秘を存分に堪能することになるだろうなと、胸を高鳴らせて。

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