人生で一度はやってみたかったのでござる の巻

 いくら夏季講習といえど、お盆前ともなれば人が減る。そんなある朝の登校時に、事件は起こった。


「北条、いいところに来た、大変だ!」


 予備校の廊下を走って現れたのは、友人の露木つゆき純也であった。さっそく何事かと尋ねると、


「教室に入ったら、高階が血を吐いて机で倒れてて……」


 そこで女子の悲鳴が廊下に響き渡る。楓と顔を見合わせ、教室へと急いだ。


 教室に入ってまず目に飛び込んできたのは、毎度お馴染み北村香織と、悲鳴を上げたと思われる楓と同じクラスの海音寺かいおんじ小鳥だった。二人は、血を撒き散らした状態で机に突っ伏してる高階美鳥の前で言葉を無くして佇んでいる。第一発見者は露木とのことだ。


 僅かな時をおいたあと、楓が深刻な顔つきで高階に近づいていく。楓は、彼女が右手に握り締めている、血のついたカッターナイフを見てこう言った。


「殺し、でござるか……」


「はぁ? なに言ってんのよあんた」


 北村の間髪入れずにツッこむ姿勢はぜひ見習いたいところである。ところが楓はそれを完璧に無視し、


「皆の者下がるでござる! 今から私がいいと言うまでこの部屋の物はすべて触るべからずでござる」


「わ、わたし先生を呼んできます!」


「ダメでござる小鳥殿!」


 海音寺は何故といった表情で立ち止まり、楓は教室にいる全員に告げるようこう言った。


「見たところ争った形跡はなく自殺の可能性もあるでござるが、犯人がワザと自殺に見せかけて殺した可能性もあるでござる」


「楓、それはちょっと飛躍しすぎじゃ……」


 楓は首を左右に振って俺の言い分を否定し、そして全員を見渡し、


「とどのつまり……犯人は、この中の誰かでござる」


 北村が、何かのスイッチが入ったとしか言いようがないこの発言に真っ先に突っかかる。


「は? なんでそうなんのよ。てか、たった今来たばかりだってのに何で私が疑われんのよ」


「おやおや、狼狽るとは実に怪しいでござる。時に北村殿、其方は昨晩なにをしていたでござるか?」


「なんでピンポイントに昨日の晩なのよ」


 楓は顎に手を当てて北村をジッと見つめ、


「この中で高階殿と密接に関係があるのは北村殿ただ一人ゆえ、仲違いで思わずブスッとひと突き、なんてことも無きにしも非ずでござる」


「はぁ? この状況と昨日の事にどう関係が――、」


 北村のそばに寄って耳元で囁きかける。


「……北村悪い、面倒だけど答えてやってくれないか………」


「……なんで私がそんなことしなきゃいけないのよっ……」


「……今度埋め合わせするから頼む……」


 その言葉で何とか溜飲を下げた北村は「その言葉忘れないでよ」と言って、何事もなかったように咳払い、


「えっとそうね……夜、美鳥と電話したわ。11時頃。それだけよ」


「そのアリバイは証明できるでござるか?」


 話がまったく見えてこない。


「……クッ、なんなのよアリバイって、ムカつく、けど我慢よ我慢……ホラ、着信履歴。これがアリバイよ」


 北村はブツブツと文句を言いながらもスマホを取り出して楓に見せる。


「……なるほど、ひとまず良しとするでござる。ですが、まだ容疑が晴れたわけではござらぬゆえ、この部屋から出ちゃダメでござる」


 楓が、物凄くくやしがっている北村を放置して、ターゲットを露木に変える。


「露木殿は第一発見者ということでござるが、発見当時の状況を詳しく聞かせてほしいでござる」


 露木が訴えるように俺を見る。頷いたことで察してくれたのか、彼は頭をかきながら楓にこう答える。


「変わったことは特になかったけど……ドア開けて入ったら、すでに高階が倒れてて――、」


「なんと密室でござったか!」


 そろそろ止めた方がいいのではないだろうか。


「えぇッ!? いや、密室なんて一言も、」


「ウーム、密室で起こった殺人でござるか……謎はより一層深まるばかりでござる」


「な、なんで私の顔見んのよ。わかった、あんたこの前のこと根に持ってんでしょ」


「言い掛かりはよしてほしいでござる。名探偵は公私混同などしないのでござる。フン」


 探偵のスイッチということがたったいま判明した。


「だんだん頭が痛くなってきたわ……孝之、あんたいい加減止めなさいよ」


「う……、タイミングが掴めないというか」


「呆れた……このバカップル」


 次なる楓のターゲットは、高階を見て依然としてビクビクと震えている海音寺だ。


「それでは……、今事件において2番目の目撃者であり、最も重要な手掛かりを持つとされる小鳥殿に尋ねるでござる。返事は?」


 早くも卒倒しそうな顔だ。海音寺、悪いが人柱になってくれ。


「は、はいっ」


 楓はその返事に重々しく頷き、


「害者と最後に会ったのはいつでござるか?」


 海音寺が今にも泣きだしそうな表情でこう答える。


「け、今朝予備校に来る前、高階さんとコンビニですれ違いました!」


「なるほど、すれ違いざまそのコンビニ袋に毒を盛ったのでござるね?」


「そそそ、そんなことしないでござる!」


 楓の口癖がうつった。完全に動揺している。


「普通にしゃべるでござる!」


「あんたがそれ言うの」


「そ、そんなことしてません!」


 楓は彼女の両肩に手を置き、ジッと見つめ、


「普段、真面目な人がまさかの犯行、受験戦争が生んだ学歴社会の闇、つい魔が差して毒でライバルを消しちゃいました、なんてことが往々にして起きるこの現代」


「なワケないでしょ」


 楓は聞く耳持たず海音寺に迫り、


「不条理なこの世が悪いのか、非力な己が悪いのかはさて置き、嘘つくと警察に捕まるでござるよ? 閻魔様に舌を抜かれてもいいのでござるか? とても痛いでござるよ? 今ならまだ間に合うでござる。さぁ、正直に答えるでござる」


「ヒッ、そ、そんな……ほ、ほんとに、私……」


 海音寺の目に涙が溜まりはじめる。流石にやばい気がして止めようとするが、楓がとつぜん彼女を抱きしめ、


「冗談でござるよ小鳥ちゃん! ビックリさせてかたじけないでござる」


 ズッコケた先が机と机の間でよかった。


「私ん時と全然態度が違うんですけど」


 北村が不快感を顕にする。露木が起きるのを手伝ってくれた。楓の推理ゴッコはまだ続くようだ。


「聞き取りはこれにて終了でござるが、どうも腑に落ちない点がひとつ……」


「ちょっと、孝之がまだ終わってないじゃないの」


 楓はあからさまにギクリとして下をむき、


「た、孝之氏は敏腕警部補役でござるゆえ」


「そこ敏腕いるの? つーか、おもいっきり公私混同してんじゃないの! あーもぅあったまきた、大体ねえ、こんな意味わからないことしてなんになるのよ!」


「生徒犯罪を処するのは元生徒会長としての務めでござる!」


「とっくに任期終ったのになにが務めよ!」


 北村と楓がついに取っ組み合いを開始した。


「とうとう本性を表したでござるかこの妖怪ドロボウ猫! 天網恢々疎にして漏らさずッ、密室毒殺容疑で逮捕するでござる!」


「ホラやっぱ根に持ってんじゃないのこの忍者小娘!」


「コラ落ち着けって楓、北村も」


 止めようとするが二人に睨まれ、


「孝之氏は黙ってるでござる!」


「あんたがそうやって風魔を甘やかすからこうなんのよ!」


 そこで渦中の人である高階がムクリと体を起こし、


「もーうるさいなぁ……」


 と欠伸しながらそう言って目を擦る。

 最初から分かっていたが、やはり眠っていただけであった。


「わ、何これ、ケチャップ、わ、最悪。あ、そっか、ホットドッグ食べようとして寝ちゃったんだ私、あはは」


 机の上を見ると、ケチャップの容器とホットドッグが無残にへしゃげている。


 聞きどころによると、受験勉強の息抜きでしたゲームにはまって徹夜したらしく、予備校に早くきたのは遅刻を回避するためで、朝ごはんを食べようとしたらいつの間にか眠ってしまったとのことであった。カッターを使用したのは、容器の蓋が開けられなかったためである。


 高階は指についたケチャップをペロリと舐め、


「私さー、ナマでもケチャップいける派なんだ。タッキーも飲む? エヘヘ……痛っ。え、なんでおちゃんが怒んの?」


「朝っぱらから紛らわしいことしてんじゃないわよ!」


 楓が、先ほどの喧嘩などなかったかのように、けろっとしてこう締めくくる。


「一件落着でござるな、孝之氏」


 露木がいつの間にか自分の席について支度しており、海音寺はいまだオロオロとして、飄々としている楓と、高階をいびりはじめた北村を交互に見ている。


 あと10分もすれば授業が始まる。


 短いため息と共に推理モノが好きなのか楓に尋ねてみた。いかにも彼女らしい答えが返ってくる。


「はい! 人生で一度はやってみたかったのでござる」

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