水遁の術は比較的苦手なのでござる!の巻
今日は夏季講習は休みで楓と地元のプールに来ている。
更衣室での着替えを終え、いち早く外に出て楓が来るのを待った。
戯けて走り回る子供たち。造波プールでの注意喚起を促す園内放送。水飛沫の音と大人たちの笑い声。
夏を楽しむ人々の姿に目を細めていると、急に気配を感じたので振り返える。
楓が立っていた。恥じらいながら上目遣いにこう言ってくる。
「お待たせしたでござる……」
薄桃色のワンピースの水着がとても似合っている。左太腿にクナイを忍ばせているのが疑問だが、あえてそこは問わず、舞い上がる気持ちを抑え、ひとつ咳払い、
「俺もさっき出てきたところだよ。あー、えーとその……なんて言うかその水、」
「チャオー! 孝之」
聞き覚えのある声が耳に届く。その声がした方へ視線をやると、例の女子の群れがいた。北村香織率いる仲良し三人組だ。
「何でお前たちがここにいるんだ」
「アラ、私たちがどこで何しようがあんたに関係あんの? 言っとくけど私たちはたまたまここに遊びに来て、たまたま更衣室で風魔みかけて、一緒に遊ぼって出てきたら、たまたま偶然あんたがそこにいたってワケ。何か文句ある?」
北村が腕を組んで睨みを利かし、堀川が隣で高らかな笑い声をあげ、高階が楓を押しのけて俺に擦り寄り、
「
「余計なこと言うんじゃないわよ!」
「あははははは、てかタッキーって意外と筋肉質じゃん。ねぇ、こんな二人ほっといて一緒に泳ご? ね、行こ!」
と言って、今度は堀川が俺に擦り寄ってきた。
「こ、コラ! 離れろっ」
「あー! ミヨポン自分だけずるいー、私もー私もー」
「ちょ、あんた達なに勝手なことしてんのよ! 情報引っ張ってきたのはこの私なんだから抜け駆けするにしてもその権利は私に、」
そこで俺たちはある事に気づく。
陽気な雰囲気のシャツに零された一点の黒いシミ、とも言うべきか、明らかにそこだけが深い暗闇に沈んでいる。除け者にされた楓が俯き、静かに震えているといったとても恐ろしき光景だ。群がる女子たちは危険を察したらしく、一人また一人と俺から距離をとる。
――しまった。
ダメもとで声をかけてみる。
「あの、楓さん」
「孝之氏にはいたく失望したでござる」
まずい。かなり機嫌を損ねている。
「ち、違うぞ楓、これは勝手にこいつらが、」
楓は涙目で俺を睨みつけ、
「
「だから違うって言ってるだろ!」
楓はそう言って例の玉を地面に投げつけ、煙を発生させると共に姿を消した。消えゆく煙の隙間から、流れるプールの水面上を傍目気にせず走り去っていく楓の姿が見える。ため息が出る。
「で、なにしてんのよあんた」
「……え? ああ」
北村は盛大なため息をつき、
「たく「え、ああ」じゃないわよ! もぅほんっと世話が焼けるんだから……。そ、そりゃまぁ私たちだって悪かったとは思ってるわよ……でも風魔はライバルで、私も、まだ諦めてないし……そもそも私はフラれてなんかないし……あーもぅ、とにかく! あんたたち付き合ってんだから遠慮せず堂々とイチャつきなさいっての!」
いきなり何を言い出すんだこの女。
「でもそんな事したら香おちゃんブチギレるじゃん」
「フン、そうでもしてもらわないと張り合いってもんがないの。私はね、あんた達と違って正々堂々と風魔と勝負がしたいワケ、分かるこの尊み? て話ずれちゃったけど孝之、さっさと風魔の所行って連れ戻してきなさい」
なんとも身勝手な話だが、
「へいへい、言われなくてもそうしますよ」
とりあえず楓が行った方角に向って走り出す。幾度となく繰り返してきたこの展開。それでも嫌気が差さないのは楓のことが好きだからだ。それにしてもどこに行ったんだ。あいつのこれまでの行動から鑑みて可能性があるとすれば……、
「いた。しかもあんな所に」
造波プールの上。
発生機を岩のオブジェで囲んだ崖の天辺で、膝を抱えて泣いている。ここから声をかけても聞こえない距離だ。崖の麓に来て決意を固める。
「やるしかないか」
高所恐怖症でないのが幸いしてくれた。低い岩から高い岩へと足場を移していく。最初のうちはスムーズに行けたが、中腹を過ぎたあたりからはそうもいかず、手足の引っ掛かりを探すのにひと苦労した。まるでロッククライマーの気分だ。監視員が拡声器で何かを叫んでいる。楓の頭が見えてきた。
「楓、おい楓!」
楓が面を上げ、首を振って左右を確かめる。「ここだ」という呼びかけにようやく気付き、崖の上から飛び込まんとばかりに身を乗り出してこう言ってくる。
「た、孝之氏、そんな所でなにをしているでござるか!」
「お前を、連れ戻しにきた……」
楓は先ほどの一件を思い出したのか、急にソッポを向いてこう言った。
「孝之氏とはもう絶交したのでござる! 早くあの子たちの所に行って校則に限られた範囲内で交友を深めてくるでござる!」
「だから勘違いだって、あれはあいつらが、勝手に……あ、楓、もう手が限界――、」
落ちた。
と、思ったが落ちなかった。楓が咄嗟に俺の手を掴まえてくれたからだ。
「無茶ばかりするからこうなるのでござる!」
「まったくもって、その通りでござる……そうだ、楓……その水着、とっても似合ってる……」
その言葉に楓は頬を赤く染めるが、正気を取り戻すかのように首を振り、
「い、今はそんな戯けたことを言っている場合では……ッ」
正直俺もそう思う。だがこの言葉は、今日真っ先に伝えなければいけなかった。伝えていれば、ガラス細工のように脆い楓の心にバリアを張れていた。それを伝えなかったがために、この現況が生れたのだ。
体がジリジリと下に下がりつつある。楓の腕はもう限界に近い。
「俺の目には、楓しか映らない」
そう言って、握った手を一気に緩める。落下が始まった。楓の顔がコマ送りのようにして離れていく。その楓が俺を追いかけるようにして宙に身を投じる。
――ッ!
楓が印を結びながらこう叫ぶ。
『風魔忍法、蒼空
空から猛スピードで何かが落ちてくる。それは楓の足元に吸い込まれるように纏わり付き、次の瞬間には、俺は楓にキャッチされていた。
雲に乗っている。綿飴のような雲に乗っている。
俺たちを乗せたその雲は、やがて勢いを殺し、造波した波の上を渡って浅瀬へと運んでくれる。あっという間の出来事だった。二人してそこから下りると、雲は何事もなかったように姿を消した。周りが奇異の目で俺たちを見ている。
「あ、ありがとう」
楓は頬をプクッと膨らまし、
「心配ばかりかけちゃダメでござる。もう無茶は禁止でござるからね!」
と叱ったあと、ニコッと顔を和らげ声をあげて笑った。俺もつられて笑い声をあげる。
「ところでさ、今日は折角だから、あいつらと一緒に遊ぶってのはどうかな?」
やっぱりあのとき言ってよかった。顔を見れば伝わっているのは一目瞭然だ。
楓がニコッとした笑顔でこう答える。
「もちろんでござる!」
そして北村たちと合流後――、
「じゃあ迷惑かけた罰として、風魔、私と勝負しなさい」
「な、
「言い分はすべて却下。とにかくこのプールでどれだけ息が持つか尋常に勝負……あんたの取っておきを賭けてね」
北村が楓と俺の腕を掴み、
「は? 俺は関係ないんじゃないのか?」
「あんたも一緒にくんのよ」
そこに他の二人が乗っかる。
「ヨーシ、タッキー賭けてみんなで勝負だー! いっくよー。よーい、ドーン!」
「あははははは! いえー」
「わ、コラお前ら、」
「す、水遁の術は比較的苦手なのでござるー!」
五人分の水柱が勢いよく立ち昇る。
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