そのことは今は関係ないでござる!の巻
「いよいよ明日から夏休みでござるねー、孝之氏!」
一学期登校最終日の帰り道。
楓が、来たる夏休みに目を輝かせ、躍る心を持て余すようにそう言ってきた。
「前半の午前中は夏期講習で潰れるけど」
「うぅ……、ということはつまり、毎日会えないということでござるか?」
「塾で毎日顔を合わすだろ! ……あ、いや」
楓が求めているのは、このようなありきたりな答えではない。
楓の単純な言葉の中には、恋人として初めての過ごすこの夏を貴方はどのようにお考えですか、という意味が込められているはずであり、言わば、難易度の高い恋愛方程式の解を俺に求めている。
受験に備えることはもちろん、高校生最後の夏の思い出作りも大切だ。寝不足になるかもしれないけれど、昼間に遊ぶ時間を作るぶん夜に勉強しよう。
よし、ここはひとつ楓の期待に応える言葉を――、
「そういえばそうでござった! 塾では隣同士でござるゆえ、学校よりも孝之氏を近くに感じれるでござる。えへへ……あれ、孝之氏、突然ズッコケてどうしたのでござるか?」
不覚にも楓がこういうやつだということを忘れていた。
「き、気にするな、なんでもない」
起き上がり、再び家路へと向かう。
程なくして、恋人らしいこと、という文字が不意に脳裏に浮かんできた。
隣で鼻歌を歌っている楓に訊ねる。
「なぁ楓、俺たち付き合いだしてどれくらい経つんだっけ」
「1ヶ月と7日でござる」
即答だった。
これといって何もしないまま、いつの間にか月日だけが経っていたことを実感する。
そろそろ何かしないと、と考えながら気取られないように、通学鞄を持った楓の手を盗み見る。
段階を踏むとすれば、まず最初は、手を繋ぐことから始めるべきだ。
「そっか。あ、あのさ……そろそろ、恋人らしいことをしてみようかなって思うんだけど、」
その発言にがっつりと食らいついた楓が、ギラついた目で俺ににじり寄り、
「そそそ、それはまた望外な提案でござるっ、して、どのようなことをするのでござるか!?」
あんまり期待されても困るのだが。
「そ、そうだな……、試験的に手を繋いでみる、てのはどうだ」
楓がわなわなと後ずさり、
「と、とうとう孝之氏と手を繋ぐときがッ! ……付き合い始めて1ヶ月と7日、まだかまだかと待ち焦がれた日々も、終わってみれば良き日の思い出。孝之氏だけに、こういう日は一生訪れることがないと……いやはや、御見それしたでござる」
俺はいったい裏でどんな風に思われているのだろう。
「お、大袈裟だって。ホラ」
楓が、差し伸ばされた手を見てゴクリと唾を飲み込む。そして、恐る恐る俺の手に触れかけたところ、見知った顔ぶれが路地から現れた。
「おぅ、昼間っからリア充っぷりを見せつけてくれんじゃねえか、えぇ、北条」
サッと後ろに手を回し、
「よう武田、なんか用か」
武田は楓を見てニタリと笑い、
「夏休みの前祝にお前ら誘ってカラオケでも行こうかと思って待ってたんだ」
後ろで控えている仲間たちが、一様にして不愉快な笑みを浮かべている。
以前、彼らとひと悶着を起こしたことを思い出す。一学期最後の締めにひと泡吹かせようと待ち伏せしていたのかもしれない。
この場をどうやってやり過ごすか、と考えを巡らせようとしたところ、楓がずいっと武田の前に立ちはだかり、
「いくら終業式が終わったとはいえ、不必要な寄り道は校則違反でござる」
「役員降りたくせに、いつまでも偉そうにしてんじゃねえぞ。……つーか、なに怒ってんだよ」
「な、なんでもないでござる! とにかく、生徒会の者以外が違反者を取り締まってはならないという校則はないでござる」
「だから何でお前の言うこと聞かなきゃ……て、なんだコレは!」
武田が驚くのも無理はなかった。
なぜなら、いつの間にか彼の両手首が紐のような物で縛られていたからだ。
楓が得意げに鼻を鳴らし、
「御用でござる。寄り道の現行犯で先生に引き渡すでござる」
「この色ボケくノ一が……オイお前ら、こいつらまとめてボコっちまえ!」
楓が素早く俺を背後に押しやり、迫りくる武田たちから間合いをとる。そして右手で印を結んだので、俺は自動的に耳を塞いだ。
――が、何も起こらない。
楓が、狼狽している。
「どうした楓」
楓は、武田一派の攻撃を軽々と受け流しながら、
「……じゅ、術が……」
今言える精一杯の言葉に、おおよその意味を理解した。とはいえ、術を使わずとも彼らの攻撃を苦も無くしのいでいるから大したものだ。
彼らが力尽きるのは意外と早かった。
武田が縛られた手を両膝につき、息を切らしながら、
「きょ、今日のところは、これで勘弁しといてやる。次は絶対に後悔させてやるからな、いい気になってんじゃねーぞ、わかったか風魔?」
楓は両手を見つめたまま黙しており、武田が「おい北条、今言ったこと、この女にちゃんと伝えといてくれ」と言ってきたので了承し、彼らは駅のある方角へと去っていった。
住宅街のどこからか蝉の声が聞こえてきた。
先ほど言っていたことが気になる。しかし、楓が忍者であることを認めない以上、追及するのは憚れる。
なので、
「俺もよくあるよ、いつもやってる問題が急に解けなくなったりするの。試験本番でもたまにあるからもっと勉強しないとな」
すごく遠回りなフォローに、思わず口からため息が漏れてしまう。
正直、言うことも、考えることも疲れる。
俺に忍者であることさえ認めてくれれば、もっとマシなフォローをしてあげれるのに……
楓は袖にするような態度で背を向け、
「ほっといてほしいでござる」
トゲのある言葉に感情が刺激された。
「彼氏に言う言葉かよそれ」
「そのことは今は関係ないでござる!」
「関係ないとか勝手に決めつけんなよ!」
楓が困惑した顔で言い返せずに押し黙る。
――先延ばしにしてきたが、こうなったら仕方がない。
冷静になるよう自分に言い聞かせながら、
「隠し事ってさ、すごく疲れないか? これからもまたこういう事が起こるって思うとさ、辛くなるっていうか、気が滅入るっていうか……、つまりさ、その……そろそろ認めちまったほうがいいんじゃないのかな、自分が、忍――」
「ほっといてって言ったでござる!」
楓は感情を爆発させると同時に玉を投げつけ、煙と共に姿を消した。
遠くの山の上に入道雲が聳え立っており、蝉がジリっと鳴いて飛び立つ音が聞こえた。
「言うタイミング間違ったかな……」
無神経だったことを今さらながら反省するが、後の祭りだった。
謝りの電話をどのように入れるかを考えながら、ひとり家路につく。
それからの一週間、楓と連絡が取れなくなった。
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