長谷川耳鼻科に行くことをおすすめするでござる の巻

 楓は自宅のことを御屋敷と呼称しているが、残念ながら期待を裏切るかのように忍者屋敷ではなく、どこからどう見てもごく普通の一般的な、二階建ての一軒家である。


 今日は、楓の両親からランチの誘いを受けてその御屋敷とやらに来ている。分かってはいたが、着くなり早々、颯子さつこおばさんから、質問攻めを受ける羽目となっていた。


 颯子おばさんはキッチンで用事を済ませたあと、上機嫌で楓の隣に座り、


「まさに禍福は糾える縄の如しですわね~、楓」


「そ、それほどでもないでござる……て母上、それだと縁起が悪いではござらんか。この場合は、人間万事塞翁が馬が適切なのでござるよ……へへへ」


 いや、どっちもどっちだと思うが。


「まぁ孝之さん、お箸が止まってますわ。楓の彼氏なんですから遠慮せずにどんどん召し上がってください」


「そんな大きな声で彼氏とか、隣家の耳に届いたら瞬く間に広がっちゃうでござるよ母上」


 楓が赤面しながら、颯子おばさんの背中をバシバシと叩いている。

 楓の声の方が大きかった、とは言えない。


「そういえば、おろしおじさんはどうしたんですか?」


「まぁ、父の日のプレゼントを買いに行くって出たっきり帰ってきませんの」


 思わず椅子からズリ落ちそうになる。


 楓より先にウチに電話掛けて呼び出したくせに、自分の日のプレゼントを自分で買いに行くとか、一体なにを考えているんだあのおっさんは。


 と、きのこパスタをぐるぐると巻きながらそんなことを考えていると、


「おーい、今帰ったぞ」


 玄関先から声が聞こえたと思ってリビングの入り口に目を向けようとしたら、すでに目の前にいたので驚いた。颪おじさんはそんな俺を見てニカッと笑いながら、色々と買い込んだ買い物袋を、食卓の空いているスペースにドカリと置いた。


「まぁ、はしたない。孝之さんの前で行儀が悪いですわよ、颪さん」


「おいおい颯子、今日が何の日か忘れたのか? 今日は年に一度の、父の肩書を持つ者が何をしても許されるラッキーデイ。父親超大感謝祭フェスティバルの日だ!」


 いつもの調子に、思わず溜息が出る。


 そんな日があってたまるかっての! と声を大にして叫びたい気持ちをぐっと堪えた。そして、颯子さん、ここはガツンと言ってやってください、という目で彼女を見るのだが、


「まぁ、そうでしたわね、ごめんなさい」


 テーブルの上に顔面が落下してパスタまみれの顔になる。


「孝之氏、急にどうしたでござるか!」


「だ、大丈夫だ……」


 楓が隣にきて、タオルで顔を拭いてくれた。

 この二人からどうやって楓みたいな子が生まれてきたのか不思議でならない。

 楓はそのあと、父親をキッと睨みつけ、


「父上!」


 見よ、威風堂々たるこの姿。

 楓は風魔家最後の砦。母親に代って物申してくれるに違いない。


 ところが、


「父親大感謝祭フェスティバル、おめでとうでござる!」


「わかってたけどやっぱバカ親子だった!」


 ともあれ、楓がそう言って父親に渡したのは、昆虫採集のセットだった。

 颪おじさんは、それを手に取ってわなわなと震えながら、


「でかしたぞ我が娘よ! よーし、この夏は家族で昆虫取りまくり決定だ。おい孝之、娘の彼氏特典でお前も参加させてやる。どうだ、嬉しいだろう?」


「受験生にそんな暇あるわけないでしょ」


「クッ、小僧の分際で口答えしやがって……。テメエはそれでも娘の彼氏か!」


「ま、まぁ、はい」


「まあ、はい、だあとおおおお? まさかテメエ、楓のことが不服ってンじゃねえだろうなあ? 何年も待たせた挙句ようやく付き合いだしたってのに「実は楓以外にもうひとり好きな子ができちゃってどっちにしようか困ってるんですー」とか言いいだすンじゃねえだろうなああああ!」


 父親が俺の胸倉を掴み、楓が今にも泣きだしそうな顔をしている。


「ちょ、そんなことあるわけないって……」


「ほう、じゃあ本気で付き合ってンのか?」


「……はい」


 颪おじさんの目を見て真剣に答えると、何事もなかったようにパッと胸倉を解放され、


「どうやら嘘は言ってねえようだな。とはいえ残念だが、まだ娘を嫁にはくれてやらん」


「は? そんな話だれもしてませんし」


 颯子おばさんが床に箸を落とし、


「そうなんですかあ……?」


「颯子おばさんがなんで涙ぐむんですか!」


 颪おじさんが居丈高と腕を組み、


「とにかくだ、そんなに娘が欲しくば俺様と勝負だ」


「だ、だから付き合いはじめたばかりだって言ってるでしょ? なに勝手に話飛躍させてるんですか。てか勝負とか一体何なんですか」


「へっ、んなモン忍術勝負に決まってンだろう」


 父親の爆弾発言が投下された。

 破壊力は凄まじく、一瞬で場が凍りつく。


「あれ……、聞き違いかな。よく聞こえなかった、」


「ケッ、まどろっこしいやつめ。いいか、忍術勝負で俺様に勝ったら楓を嫁にくれてやるってそう言ってンだよ」


 とどめの爆散発言投下。


 楓を見た。

 楓は顔面蒼白で、額からダラダラと汗を流している。

 そして、


「ちち、父上! いくら風神の懐刀と謳われたお父上でも、里の掟は破っちゃダメでござる!」


 その返しは逆効果ではないのだろうか。


「なんだ、お前まだこの小僧に言ってなかったのか? たく、あんなクソ役にも立たねえ掟なんか破ってもどうってことねえっての。なあ颯子」


「はい」


 テーブルの上に再び勢いよく顔面をぶつける。が、すぐに起き上がり、


「楓、大丈夫だ。俺は何も聞いてなかったから安心しろ、な」


「とにかく、娘が欲しくばそれ相当の覚悟を持って俺から奪わなければならん、てことよ。というわけで、今日はこの買ってきたこのボードゲームで一日中遊び倒す。だからお前も付き合え、そして負けたら娘と別れろ、いいな小僧?」


「なんでそうなるんですか!」


 返しそっちのけで颪おじさんが、袋の中からレトロから最新の物まで色んな種類のゲームを取り出しては俺に見せびらかしてくる。


「あのー、俺受験生なんで、そろそろお暇しようかと……」


「カーッ、んなモン一日くれえ遊んだからって受験に響くかっ。楓、お前もこの小僧と一緒に遊びてえなら、色気のひとつふたつ魅せてこいつを家に引き止めやが……ま、まさかテメエ、早く二人っきりになってイチャイチャしてえとか思ってンじゃねえだろうなあ!」


 楓が顔を赤くしながら無言でコクリと頷く。それを目撃した俺も反射的に赤くなった。


「お、俺はそんな子に育てた覚えはねええええええええ!」


 そのあと、散々ゲームで遊び倒した挙句、晩御飯までご馳走になってしまった。楓宅から抜け出したのは、すっかり夜の帳が下りきってからのことである。


 静まり返った住宅街を、今日の出来事を振り返りながら、とぼとぼと並んで歩いている。

 自宅までの距離を半分残して止まり、


「ここでいいよ」


「夜道は危険なので自宅まで送るでござるっ!」


「それを言われると俺の立つ瀬がないというか、とにかくおばさんたちが心配するからいいよ」


 楓はその意味を理解したのか、言葉を詰まらせて消沈としてしまう。


「あ、あのさ、今日おじさんが言ってこと、あんまりよく聞こえなくてさ……、だから気にすることないからな」


 話題探しのためとはいえ、つい口にしてしまったが、言わずともよかったのではないだろうか、と少しだけ後悔した。


「ひょっとして孝之氏は難聴を患っているのでござるか? 小田原二丁目の長谷川耳鼻科に行くことをおすすめするでござる」


「気をもんでたのは俺だけか!」


 楓は、意味が理解できないといった感じで、不思議そうに首を傾げている。

 とにかく、気にしていないのならそれでいい。


「じゃあ、また明日な」


「はいでござる」


 そう言って楓に背を向け、家路を歩きはじめる。


「あ、あの……」


「……どうした?」


 と足を止めて振り返ると、何かを言いだそうとしている楓の姿が目に飛び込んできた。。


 そこで思い至る。


 ――俺たちはもう、恋人同士。


 付き合いはじめてまだ数日しか経っていないが、これといって何も変わらないのが、現状だった。


 楓は変化を求めている。

 具体的に言えば、手を繋ぐ、などといった形のある行動や態度で、それを示してほしいのだ。


 想いを伝える言葉を頭の中で反芻し、緊張から目を逸らさないように楓を見て、


「す、好きだよ……、楓。明日も、明後日も……ずっと、かえ――」


 楓は最後の言葉も聞かないまま、いつものように丸い玉を地面に投げつけ、煙と共に姿を消した。

 顔面から火が出そうになりながら伝えた言葉も空しく、とはいえ、助かったというのが正直なところだろう。

 煙が消えてからの5秒後にラインが入る。


『私も永久的かつ恒久的に大好きでござる!』


 どこぞの屋根の上か、はたまた電信柱の上か、小川の水面の上なのか。

 どこで打ってきたのかは知る由もないが、どうせ楓のことだ、案外、近くにいるのかもしれない。

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