恋のお師匠様がこうやれとおっしゃるのでござる の巻

 梅雨の雨が明けて今日は三日ぶりの晴れの日で月曜日。

 昼食を取りにクラスメイトと学食へ向かっている途中、夏服を着た楓が、廊下の隅でひとり立ちつくしているのが見えた。

 目の前で立ち止まると、楓はビクリと体を震わせて不安げに俺を見上げ、


「た、孝之氏……、久しぶりでござる」


 思わずこけそうになる。


「今朝一緒に登校しただろ」


「あ……、そ、そうでござった。その……」


 楓がいつになく緊張している。なぜそうなるのか不明だが、今朝も挙動不審だった。何かを伝えようとして言い出せないような、そんな感じの日がここのところ続いている。

 楓は頬を真っ赤に染めて、後ろ手に携えた物を目の前に突き出し、


「もも、もしよかったら……、あああ、違ったでござる。こんなに消極的になっちゃダメっていつも言われてるござる。……よしっ。こ、これを一緒に食べるでござる!」


 三つ鱗模様が入った緑色の巾着袋。中身は間違いなく弁当箱だろう。

 連れの露木純也は察しの良すぎる男で「先約があったのを思い出した」と言って俺の肩を叩き、一人で学食へと向かっていった。

 楓を見ると、俺の返事を待ちながらもじもじとしている。

 心の中で純也に謝りつつ、


「学校で楓の手料理が食えるなんて久しぶりだな。でも急にどうしたんだ?」


 そこで楓は後ろを向いて何かを確認したあと、目をぐるぐるさせながら振り返り、大声で思い切ったことを口走る。


「きょきょ、今日から孝之氏のために、毎日お弁当を作るって決めたのでござる!」


 これには流石に廊下ですれ違う生徒たちも足を止めざるを得なかった。何事かと俺たちの様子を窺ってくる。

 恥ずかしいとはいえ、とても嬉しいことだけど、こんなことを言ってくるなんて楓にしては珍しい。一体どうしたのだろう。


 とにかく周りの目から逃れるため、楓の手を取り、ひと気の少ない中庭に移動して、ベンチに腰掛ける。昼食はここで取ろうと提案した。


 楓が巾着袋から可愛らしい弁当箱を二つ取り出し、俺たちの間に置いて蓋を開けた。

 白米が支配している領域に、ハート型の海苔の絨毯が敷かれている。


 ――これを楓が!?


 思わず楓を見ると、羞恥に耐えながら小さくなっており、次に箸を取ったかと思うと、震える手で玉子焼きをはさんで俺の口元に向け、


「ここ、これは私の一番得意とする、玉子焼きでござる」


 知っている。何度も食べたことがある。

 だが、さしあたっての問題はそこではない。

 口の数センチ手前の所で止まったままの玉子焼きを指で差し、


「つまりこれは……食べさせてくれる、ということか?」


 楓はコクンと一回頷き「召し上がれでござる」と言った。

 玉子焼きが今にもこぼれ落ちそうになっていたので、不格好に口を持っていって、それに食らいつく。

 咀嚼する。

 ――うん、美味い。いつもの楓の味だ。

 そこで感想を伝えようとしたところ、楓がすかさず反対方向を向いて、また何やらごそごそとやりはじめ、「ええええ、これを言うのでござるかー?」と動揺しながらも、再びこちらを向き、


「何重にも巻いた卵の薄皮が……、あ、あ、愛の深さを表しているのでござるっ!」


「ぐあ……っ」


「あう? ひょ、ひょっとして、喉を詰まらせたのでござるか? お茶……、しまった、水筒を忘れたでござるー!」


 そのド直球なセリフが原因だ、とは言えない。

 水筒を取りに立ち上がった楓を座らせる。


「いいから、心配ないって」


 はじめて食べさせてもらうのもさることながら、あの恋愛に関して疎すぎる楓が、ここまで突っ込んだ言葉を口にするなんて、思いよるはずもない。

 諸刃の剣でこっちも恥ずかしくなるが、すごく嬉しい。嬉しい、けど……、俺たちまだ付き合ってもないのに、そんな言葉口にしちゃっていいのか……?


 楓は俺の様子を見てホッと胸を撫でおろし、今度は俺に箸を渡して、


「ここ、今度は……私に食べさせてほしいでござる! ふあああ、と、とうとう未知の領域に突入してしまったでござるー」


 と羞恥まみれの顔を両手で隠しながらジタバタと悶えはじめる。

 俺は誰も見ていないことを確かめ、覚悟を決めた。そして、楓の大好きなタコさんウインナーを掴もうとしたのだが、箸を止められ、


「ちょっと待ってでござる」


 楓はそう言って背を向け、また何かを確認して驚き、そして、決心したような目でこちらを向いて、震えながらあるものを指差し、


「こ、これが食べたいのでござる……」


 楓が指定したきたのはプチトマトだった。が、俺が何よりも見逃さなかったのは、楓の隠し持っているスマホだ。


 誰かと連絡を取り合っているのだとすれば、この異常ともいえる楓の行動に説明がつく。嬉しいことは山々だが、強要されているのであれば、直ちにやめさせなければならない。


「その前に、今日はちょっと大胆だよな。なにか理由でもあるのか?」


「じ、実は……、恋のお師匠様がこうやれとおっしゃるのでござ、て、うああああっ、ちち、違うでござる! つい口を滑らせて変なことを言ってしまっただけでござるっ、むむむ、無論自分で考えたのでござる! そ、それよりも早くそのトマトが食べたいのでござる!」


 やはりそうか。最近様子がおかしかったのはそういうことか。 

 忘れたこともない教科書を毎時間借りに来たり、学校帰り寄り添おうとしてきたり、不自然に見つめてきたり。数え上げれば切りがない。


 これで全てが繋がる。

 心当たりはある。


 俺はとりあえず従うことにして、楓の口の中にトマトを入れた。

 すると楓は、そのトマトを食べようとせず、ピョコっと口元に出して俺に向かって目をつむってきた。


「お、おい……俺に一体何をさせる気だ」


 楓はフガフガと答えるが、何を言っているのか分からない。だが、状況を読み込めないほど馬鹿ではない。どうやら、口移しで食べさせようとしている。

 小さな唇を間近で見つめ、固唾をゴクリと飲み下す。

 嬉しいことだが、流石にこれはちょっとやりすぎだ。校則や家の家訓を守ることにうるさい楓が、完全に我を忘れている。


 仕組んだ犯人も犯人だが、すべては、ハッキリとさせなかった俺のせいでもある。

 だが、今ここでそれを反省したところで無意味だ。


 忸怩たる思いを断ち切り、楓が目をつむっている隙に、後ろ手に隠し持っていたスマホを奪い取る。

 楓は突然の奇襲に口からプチトマトを落とし、


「それはだめでござる!」


 こういう真似はしたくなかったが仕方がない。

 すがる手を振り払いながらスマホ画面を開く。

 ラインの内容が目に飛び込んでくる。

 たった今、弟子に実行させようとしている内容文が書かれていた。


 これで首謀者がハッキリとした。

 予想は見事に的中。

 楓が師匠と崇める主、転校していった後輩の木下美香である。


 彼女が転校してから数週間が経つ。

 実らない恋だと認め、恋敵から恋のアドバイザーに早変わり、ということだろう。


 俺の言葉で返信してみる。


『恋の師匠は不要だ。余計なことをするな』


 すぐに返ってきた。


『バレちゃいましたか』


 文字から木下の笑い顔が目に浮かぶ。

 片手ひとつで頭を押え、楓の猛攻撃をしのぎながら、


『約二名、今度そっちに遊びに行く』


 驚きを表現している、アヒルのデフォルメキャラスタンプに続き、


『それは付き合うことを宣言したも同然です!』


『さてどうだか。後で楓に聞いてくれ』


 と最後に送信して、返事を待たずにスマホを切って楓に渡した。

 楓は大事そうにスマホを両手で持ち、悪ふざけを咎められた子供のように俯いている。


「おかしいと思った」


「だ、だって……」


 孝之氏の気持ちが知りたかったから。

 声にならなかった言葉の続きが手に取るように解ってしまう。


 ――そんなことしなくても、俺はずっとお前のことが。


 この時だと思う。

 俺も、楓も、今が最高潮に、相手の事を想ってやまない。


 今までとは少し違う世界が見えるという好奇心。付き合うことによって今まで見えなかった互いの嫌な部分が見えてしまうという不安。気恥ずかしさや戸惑いを覚えるけれど、これからは、こいつと思いを共有しながらこの先に続く道を、一緒に歩いていこう。


 今度向こうに遊びに行ったとき、背中を押してくれた可愛らしい後輩に、お礼を言うべきかもしれない。


 これから告白するというのに、なぜか心は穏やかだ。


「楓、遅くなってごめんな」


 楓が上目遣いで俺を見る。

 こんなに可愛かったのか、と今さらながら思ってしまう。

 気の利いたセリフを何度か練習したのに、もう思い出せない。


「あのさ……、俺、出会ったときからずっと楓だけを見てた。……ずっと、楓のことが、好きだった」


 楓が意味の読み取れない言語を聞いたような顔をしている。

 その表情ひとつに、胸を締めつけられるような愛しさがこみ上げてくる。

 突然の緊張に襲われ、次の言葉が詰まってしまう。


 拳を握りしめ、


「だからこれからもずっとこうして、俺の側にいてほしい。俺と……付き合ってくれ」


 意味を完璧に理解した楓の瞳に、大粒の涙が溜まりはじめる。

 楓は、涙まじりの可愛らしい声で「はいでござる」と言って笑った。


 正午の陽だまりの中に、冷たい風が吹き抜けていく。


 少し古ぼけた茶色いベンチと、そよそよと揺れる草花、そして、校舎の壁から漏れてくる賑やかな喧噪。


 俺は、想いが繋がったこの瞬間とこの景色を、一生忘れることはない。

 

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