心にグサリとくるでござる の巻
「せんぱーい!」
楓と二人で廊下を歩いていたところ、知った声がドップラー効果によってだんだんと近づいてくるのを背中で感じた。
振り返るやいなやその者は、俺たちを通り越してぎゅぎゅぎゅと床を鳴らして慣性力を殺したあと、元気丸出しの顔をこちらに向けてニカッと笑った。
その者の名は、木下美香。
楓のことを最も慕っており、また、楓に最も慕われているひとつ年下の生徒会書記の女子である。
楓は彼女を確認するや、腰に手を当てた仕草で頬を膨らませ、
「木下氏、廊下を走ってはダメではござらんか!」
と毅然たる態度で注意するが、木下は反省半分といった感じでてへっと短く舌を出し、
「先輩方を御見かけしたとたん、ご報告せねばとつい気が逸ってしまいましてー、生徒の模範となるべき身をちょっとだけ忘却の彼方に捨ててきちゃいましたあ」
つまりそのちょっとは永久に戻らんのではないか、と思うのは俺だけだろうか。
「然らば今回だけは大目に見るとして、報告とは一体どんなことでござるか?」
木下は直立不動の姿勢をとってビシッと敬礼し、
「はぁい! 今しがたそこの渡り廊下を走っている生徒が二名ほどいましたので、次やれば生活指導より直接メスが入ると厳重注意しておきましたあ」
眩暈を覚える。
「木下、お前がたった今とった行動はなんだ?」
「ほえ? たった今したことですかぁ……? ああ、両者の氏名生年月日学年を掌握し私の生徒手帳に誓約を書かせて署名捺印をさせましたあ」
生徒会の未来を真剣に考えないといけないかもしれない。
「違う! お前がたった今とった行動……、あーもう楓、お前も何とか言ってやれよ」
楓は任せろと言わんばかりの仕草で、腕を伸ばして親指を突き上げ、
「でかしたでござる!」
「やったー!」
派手にこけざるを得ないとはまさにこの事だ。
楓はご満悦の顔で木下の頭をなぜながら「孝之氏、なぜ大仰にこけたのでござるか?」と廊下に這いつくばる俺に素知らぬ顔で言ってきた。
なので埃を払って立ち上がり、
「なんでもない。じゃ、帰るぞ楓」
楓が名残惜しそうに「では木下氏、また明日でござる」と言うと、木下が興味津々の表情で鼻息を荒げてとつぜん、
「今更ですけど、お二人は付き合ってるんですかあ?」
本日二度目の転倒喫す!
なんて直球ストレートばかり放つ女なんだ。さすがの楓も廊下の壁に頭を打ち付けている。
楓は顔を真っ赤にしながら頭から湯気を飛ばし、人差し指をつつき合って、
「そ、それは想像にお任せするというか……、でも、心中を打ち明けられた覚えはないゆえ……、じ、事実無根というか……」
チラチラと俺の様子を覗き見る楓に助け船を出し、
「まあそれに関してはお前の思い違いだ。幼馴染のいよしみでよく遊びにいったりはするけど、残念ながら――」
「たっ……!」
楓が話の途中でとつぜん感嘆詞を上げたので見たら、なぜか目を見開いており、やがて鋭く俺を睨み、
「い、いきなりどうしたんだよ?」
「単なる古馴染みとは……どういう了見でござるか」
暫定的事実を言ったまでだ、とは言えない。
「いや、こういう場合は適当にお茶を濁したほうが……て、お前だって事実無根って言ったのに、なんで急に怒るんだよ」
最後の一言は余計だったかもしれない。がしかし、楓は一旦こうなると、何も耳に入れようとしないし、行動に歯止めが効かなくなる。
楓は下を向き、わなわなと震えながら、
「竹馬の友ごときと切り捨てた挙句、下の名前からどうとでもとれる人代名詞に格下げでござるか……。まるでクナイが突き刺さったように、心にグサリとくるでござる……」
いつもの悪い予感がした。
「まて……、俺が悪かった。謝るよ、な、ごめんな、楓さん……」
「さ……っ、さん!」
楓が反射的に顔を上げ、驚愕の表情で俺を見る。
――しまった。ご機嫌取りに付けた敬称が仇に。
楓の瞳に大粒の涙が溜りはじめる。
「長年連れ添った間柄にもかかわらず、ここでまさかの敬称づけ。こんなにすぐ近くにいるというのに、ずっと遠くに感じるでござる……た、孝之氏にはいたく失望したっ、もう絶交でござる!」
楓はそう言って、いつものように丸い何かを廊下に投げつけ、煙を発生させると共に姿を消した。
三階の窓ガラスが開け放たれた先に見えたのは、木の葉混じる風を纏いながらグランドに降り立ち、下校途中の生徒に腰を抜かされても気にも留めない楓の姿だった。
その背中に向け、
「後で、つつじ屋の団子もって家に行くからなー!」
楓はその言葉にピクリと反応し、走り出す動作を止めてこちらを見るが、やがて拗ねた子供のようにプイッと背を向けて走り去っていった。
つつじ屋のみたらし団子は、楓の大好物。
俺はため息をつき、家に着いたらどんな申し開きをしようか、と考えながら帰途に就こうとしたところ、
「せーんぱいっ」
その声に、木下がいたことを思いだす。
「お、おう」
「もう、私の存在忘れてたでしょう! ひどおい」
「で、まだなんか用があるのか?」
すると木下は、えへんと短く咳払いをしながら胸を張り、
「私、楓先輩のことが好きです。でも……北条先輩のことは、もっと好きですっ」
いつになく真剣な顔をしているが、彼女とのこんなやり取りは初めてではなかった。
「そりゃどうも」
と言って背を向けて終わりにしようとした。ところが、木下はそんなすげない態度に気を悪くしたのか、悪態をつきながら俺の背中をポカポカと叩いてくる。
「あ、今まったく気がないって顔しましたあ! やっと二人っきりになれたと思って告白したのに、乙女の純情返しやがれこんにゃろお!」
滅多にないが、二人っきりになるといつもこうだ。
彼女の言葉には切実さが感じられない。話題作りの冗談に決まっている。
「や、やめろ。痛っ、あ、お前いまの本気だったろ」
「うっさい、うっさあい! ……あっさりとフリやがってえ。けっこう傷つくんだからなあ、バカ孝之……」
「は? なんか言ったか?」
木下は「なんでもありません」と言って、目をこすりながら俺から距離を取って印を結び、
「では、私も楓先輩のように帰るでござる!」
「はは、忍者でもないのにここから飛んで帰るのか?」
木下は「冗談に決まってますよう」とふて腐れたように言ってビシッと俺を指差し、
「今は、まだ諦めない、とだけ鈍感くんに言っておきましょう。では、ゆめゆめ忘れることがないよう、副会長殿また明日でーす! わははは」
笑いながら元気印が走り去っていく姿を見て、思わず顔が綻んでしまう。
彼女は、俺たちをいつも元気づけてくれる、妹のような存在である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます