勝っても負けても恨みっこなしでござる の巻

「むむむ、難しかったでござるぅ……」


 放課後の図書室で、中間考査に向けての試験勉強をしているときの会話。

 楓が机に顎を乗せてふくれっ面で溜息を吐きながらこんなことを言ってきた。


「はぁ、ときに孝之氏はどうしてそんなに数学が得意なのでござるか? 私の頭ととっかえっこしてほしいでござる」


「これでもけっこう必死なんだぞ?」


 とはいえ、なんだかんだ言いながらもついてきている楓の頭の良さには、感嘆の一言に尽きる。

 楓の頬を人差し指でつつきつつ、


「ちょっと休憩するか」


 楓は表情をたちまち明るくして、無言で何度も頷き、


「ここは他の人に迷惑なので、一階の食堂に移動するでござる」


 それから俺たちは食堂に行き、パックのジュースを買って空いている窓際のテーブルに座った。


 両手でパックを持って可愛らしく飲んでいる楓を見ながら、こんな質問をしてみた。


「そういえば、楓は卒業したらどうするの?」


 楓は隣に座る俺を見て、


「進路の話でござるか。うーん、特に何も考えてないでござる」


「え? 颯子さつこおばさんに何も言われないのか?」


「うーん……言われないでござる。孝之氏はどうするのでござるか?」


「俺? 俺は一応、進学するつもりだけど」


「……そうでござるか。じゃあ、私も進学するでござる!」


 と、いつものように俺に合わせてくる。


「無理に合わすことないって。楓だって、やりたい事とかあるだろ?」


「ぜ、全然無理なんてしてないでござる! ……けど強いていえば、人助けになることがしたいでござる」


「人助けか。て言っても色々あるからなぁ……。そうだ、看護師とかどうだ?」


 楓のナース姿無論旧時代のを思い浮かべる。


 ……いかん、破壊力がありすぎて。


 楓は人差し指を口に当てながら少し考えてはみたものの、かぶりを振り、


「あれはダメでござる。注射をさされるときの患者の痛そうな顔を想像するだけで泣けてくるでござる。なんで射される前に助けてあげれることが出来なかったのか、と。いかに自分が無力かを痛感するでござる」


「……そっか。じゃあ、警察官とかどうだ? 楓なら得意の術で泥棒とかすぐに捕まえられそうだけどな」


 楓の警官姿ミニスカポリスが頭に浮かんできた。


 ……ダメだ、これは勉強どころではなくなってしまう!


 楓は先ほどと同じ反応をみせ、


「それもダメでござる。帰りを待つ家族のために仕方なく罪を犯したと涙混じりに述懐されては、もらい泣きしてとても逮捕どころではござらん。近代国家日本に潜む格差社会の闇は思いのほか根深く、野良猫に上から目線で餌を与える程度の偽善心しか持ち合わせておらぬ身の上では、到底、国家の安全を保障しかねるでござるよ」


「……そ、そこまで考えなくてもいいと思うぞ」


 すると楓が、


「やりたいことではないでござるが……、じ、実は、ひとつだけなりたいモノがあるのでござる」


 と言って、横目で俺の様子をチラチラと伺いながらモジモジとこう続ける。


「お、お嫁さんに……なりたいのでござる……」


 楓が爆弾発言を投下した。

 俺は瞬間的に凍らされ、楓は真っ赤になって縮こまる。


 しかし、それはすぐに氷解した。

 楓の、どこまでもいじらしく、純粋な乙女心の熱によって、溶かされたのだ。


 楓は、俺の反応を待ち望んでいる。

 だが、今ここで思いを伝えるべきなのかどうか、正直迷ってしまう。


 周囲の状況を窺いみる。

 放課後だというのに今だに人の気がさめやらない。


 雰囲気も何もないこんな場所で、思いを告げるのか?

 だめだ。理想とかけ離れすぎている。

 楓の思い出に残るような場所で告白するのが俺の……


 思う。


 ――理想、てなんだ。

 

 理想を楯にして、また先延ばしにするつもりなのか?

 たぶん楓は、雰囲気も思い出に残るような場所も、必要としていない。

 ただ、俺の気持ちを知りたいだけだ。


 握った拳から血が滲み出るような痛みを感じる。


 迷う必要がどこにある。

 お互いの気持ちを、ここで繋げよう。


「楓、ちょっと聞いてほしいことがあるんだ……」


 楓が面をあげ、期待に満ち足りた表情で俺を見つめてくる。

 固唾を飲み下し、


「じ、実は俺、前から――」


「こらこらこらこらあーッ!」


 と、突然誰かがそう言って、馴れ馴れしい態度で俺たちの肩に手を回してもたれかかる。


 後輩の木下美香だった。


 木下は、可愛らしい目をジトっと細めて俺たちを交互に睨みつけ、


「たしか先日、お二人はお付き合いをしていない、とおっしゃられましたよねえ? なのにこれはどういうことですか先輩」


「べ、別に俺たちが何をしようとお前には関係のないことだろ……痛っ、なにするんだよお前!」


 木下は俺の脇腹を拳で突いて素早く離れ、偉そうな態度で腕を組み、


「鈍感くんには荒療治が必要なのです。それはさておき楓先輩、ひょっとして抜け駆けするおつもりですかあ?」


 木下の嫌味ったらしい口調と言葉に、何かを思い至った楓がこんなことを言った。


「ははーん……そういうことでござったか。薄々気づいてはいたのでござるが、生徒会書記の肩書は伊達ではないでござるね」


 挑戦的に睨みつける木下に対し、楓が絶対的王者のような目線で睨み返す。


 一体なにがどうなっているんだ。


「お気づきになられたようでなによりです。楓先輩のことは好きですけど、事これに関しては一歩たりとも譲る気持ちはないのです」


「ふ、ふーん……奇遇でござるな、私もこの件に関しては上下関係なしに正々堂々と勝負がしたかったところでござるよ」


 二人の目から電気が迸る。


 何かが動きはじめている。

 と、止めなきゃ。


「おい、お前ら――、」


「「鈍感は黙っててください!」」


「は……はい」


 二人にものすごい目つきで睨まれる。

 楓はすくっと立ち上がり、木下と睨みあい合戦を開始した。

 周りの視線がこの一か所に集中していることにも気づかない。


「お互い時間が限られる身ですので、これからは容赦しませんです先輩。ふふふ……」


「勝っても負けても恨みっこなしでござる。フフフ……」


 その後の試験勉強は、当然、はかどるわけがなかった。

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