鈍い人にはお預けでござるっ!の巻

 ゴールデンウィーク。みどりの日。

 毎年この日は、楓とふたりで近くの山にハイキングに出掛けるのが、恒例行事となっている。

 今年で7年目となるのだが、最初聞いたとき、自然を愛する楓らしい提案だと思った。楓の気持ちを汲んで毎年の恒例としたのは俺だ。


 俺たちは、山に向かう途中のコンビニで10時に待ち合わせをしていた。

 俺は30分前に着くように家を出たのだが、やはりというべきか、楓の方が先に着いていた。

 大きなリュックサックを背負い、学校指定のダサいジャージ姿で俺を待っている。


「相変わらず早いな、待たせたか?」


 楓は俺の姿を見たとたん、弾けるように顔を輝かせ、


「私も今着たところでござる!」


 それが嘘なのは分かっていたが、追及するほど無粋ではなかった。

 楓の頭に手をやり、


「重いだろ、俺が持ってやるよ」


「い、いいでござる! 孝之氏も荷物があるではござらんか」


 腰のウエストポーチを叩き、


「こんなの楓のに比べれば全然荷物の内に入んないの。だから貸せよ」


 毎度のことながら同じようなやり取りが少し続いたあと、楓がしぶしぶ俺に荷物を渡してきた。

 さあ出発、と歩きはじめたところで、見覚えのある女子グループが俺たちの前に現れる。


「よ、お二人さん。こんな所で何してるの?」


 最初に声を掛けてきたのは同じクラスの北村香織だった。


「俺たちこれから山に柴刈りに出掛けるんだ」


 北村たちは「ぜんぜんウケない」と言いながら散々笑ったあと、


「ねえ、私たちこれからファミレスに行くんだけど、一緒にどう?」


「行こうよタッキー、楓ちゃんも一緒にさあー」


 北村の呼び掛けに他の二人が次々と触発されていく。


「いや、だからこれから、」


「山登りなんかしないで、私たちと遊ぼっ」


「あーミヨポン抜け駆けずるいー! タッキーは私の物なんだからー」


「そんなあだ名はじめて聞いたぞ。コラ、お前らいい加減、」


 冗談でやっているのだろうが、女子どもの行動が次第にヒートアップしていき、四人に両腕を奪われてしまう。


「か、楓! 黙ってないで、こいつらをどうにかしてくれ!」


 楓を見ると、すっかり落ち込んだ様子で俯いていた。

 いい気がしないのだろう思い、俺は振り解く力を一層に込めた。ところが、楓は、思いがけない言葉を口にした。


「そ、その者たちと、一緒に行けばいいでござる……」


「は? 約束はどうするんだよ、っていい加減放せよお前ら!」


「た、孝之氏が勝手に恒例にしただけであって……、私は何も約束してないでござる。し、仕方なく、ついて行ってあげているのでござるよ……」


 姦しく騒ぎたてる北村たちを無視して、


「それ本気で言ってるのかよ」


「ほ、本気でござる……」


 思わずカッとなり、


「わかった。じゃあ勝手にしろ!」


 心にもないことを言ったあとすぐに後悔したが、すでに遅かった。

 楓は余程ショックだったのか、瞳をじわっと潤ませたあと、全速力でどこかへと走り去っていった。


 というのが、およそ一時間前の話である。

 もちろんあの後、女どもを置き去りにして、すぐさま楓を追った。

 確証はないが、おそらく楓は、ひとりで山に登ったに違いない。なので俺は今、重いリュックを背負って、山の中を歩いている。


 強情で意地っ張りなのは百も承知だったはずだ。だのになんで俺は楓の気持ちを試す真似をしたのだろう。とは言うものの、その答えはとうの昔に知っている。楓から、いまだハッキリとした気持ちを聞けてないからだ。


 俺たちの付き合いは長い。が、実際は恋人として付き合ってないのが現状だ。いつも一緒にいるのになにを今さら、とか。既成事実だ、とか。楓の気持ちも同じに決まってるはずだ、とか。俺が楓を勝手に彼女にしてしまっているにすぎない。


 疲れが足を止めたのを切っ掛けに、その場に座り込む。

 ポーチに入れてあったペットボトルを取り出し、ひと口だけ水を飲んだ。

 思わずため息が漏れる。


「それにしてもあいつ、足早いな。ま、忍者だから当たり前か……」


 そこでふと、というか今さらながら、当たり前のことに気づかされる。


「そうか、いつも俺の速度に合わせてくれてたのか……」


 楓が家の近所に引っ越してきてからの7年間。四六時中ずっと側にいたのに、そのことに気づいてあげることが出来なかった。


 自分の正体を隠さなければならない決まりをずっと守り抜いてきた性格上、言いたいことも言えず、ずっと胸の奥で、本当の気持ちをひた隠しにしてきたのだ。


 だからあいつは、俺と同じ速度で歩きながら、答えを待っていた。

 忍者であるが故に、俺から思いを告げられる日を、今もひたすら、待ち続けている。

 楓の先祖が、主君に忠実に仕えていたという史実が、それを証明している。


 ペットボトルをポーチにしまって立ち上がり、


「だったら、こんな所でへこたれてないで、とっととご機嫌取りに行ってやんなきゃな。自称彼氏として」


 額に垂れ落ちる汗を拭い、傾斜がきつくなった山道に一歩足を踏み出す。


 それからノンストップで登り詰めた結果、頂上に辿り着くことが出来た。

 名前の知らない木の下で、膝を抱えて泣いている少女がいる。


 もちろん楓だ。


「遅くなったな、楓」


 楓は、俺の存在に気づき、顔を伏せたまま鼻水をすすり、


「みんなと遊んでくればよかったでござるに、なんで来たのでござるか?」


「そんなの決まってる」


 いつか、彼女にちゃんと告白をしよう。


「楓と一緒にいるのが一番だからに決まってるだろ」


 この言葉も暗に告白しているようなものだが、楓は鈍いので、おそらくそれに気づかないはずだ。

 それに、今の俺では、これが精一杯だ。


 楓は、目をこすりながら面を上げ、


「う、嘘じゃないでござるか?」


「今まで楓に嘘ついたことなんてなかったろ?」


「へへ、そうでござった。……やっぱり孝之氏は、心に決めた人でござる……」


 最後に小声でいった言葉は聞き取れなかったが、楓の笑顔を見て安堵し、その場に荷物を置いてへたり込む。


「あー腹減ったし、もうクッタクタ」


 楓が慌ててリュックの中から水筒を取り出し、コップにお茶を注いで俺に渡してきた。

 ありがとう、と言って一気に飲み干した。

 冷たさとお茶の旨味が喉を伝って全身に染みわたる。


「うまい! 楓、もう一杯」


「承知したでござる」


 楓はコップにお茶をつぎ足したあと、リュックの中から三つ鱗模様の風呂敷を取り出してその場に広げ、三段積みの重箱を手際よく並べて上品な箸を俺に手渡す。

 俺はさっそく、色とりどりのおかずの中から黄色い玉子焼きを箸ではさみ、口の中に放り込んだ。

 楓の手料理は初めてではないが、今までに感じた事のない味わいに思えた。


「めちゃくちゃうまいなこれ」


「ほ、ほんとでござるか!?」


 次の料理を頬張りながら頷き、


「うん、上達してるよ。楓を嫁さんにもらう人は幸せだな」


 冗談で言ったつもりだが、楓はその言葉にピクリと反応して、顔を真っ赤に染めて下を向き、


「……そんなの一人しかいないではござらんか……」


 また聞き逃してしまった。


「どうした、まさか俺に内緒で心当たりでもいるのか?」


 その言葉を聞いたとたん、楓はなぜか俺を睨み、手前にあった重箱を取り上げてそっぽ向き、


「鈍い人には内緒でござる」


 どっちがだよ。


 ……て、え? まさか、


「お、おい待てよ、図星か? 言えよ、誰なんだよそいつ! てか弁当まで取り上げることないだろ」


 楓は頬を一層に赤く染め、


「鈍い人にはお預けでござるっ!」

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