恋の桜吹雪の術 の巻

 新学期が始まって最初の土曜日を目前とした金曜日のホームルームで、担任の岩付が突然、明日実力テストを行うと言いだした。


 テンション低めの放課後の帰り道、楓はいつもの調子で元気にくるっと振り返り、


「孝之氏、明日の試験大丈夫でござるか?」


「岩付のやつ突然思いついたように言いやがって。絶対に嫌がらせだぞあれ」


 不躾な俺の言い草に、楓がぷくっと頬を膨らませ、


「先生を呼び捨てにするのはだめでござる! それに先生はきっと、三年に上がった私たちのためを思って、考えついたに違いないでござるよ」


「バカにしてないだけマシだと思うけど? それよりもさぁ、これからちょっと寄り道したい所があるんだけど、今からそこに――、」


「意味のない寄り道はだめだと何度も言ってるでござる」


「いや、意味はあるよ。楓にちょっと見せたいものが――、」


「言い訳は無用でござる! これから明日に向けての試験勉強を孝之氏と一緒に私の御屋敷でするのでござる。然るに、そんな道草を食っていては、」


「は? そんな話はじめて聞いたぞ? それに、寄り道はだめって言ったの楓だろ」


 楓が人差し指を突き合わせながら、


「し、試験期間中はしっかりと勉学に励むことがこの学び舎の習わしでござる……。だから孝之氏を御屋敷に招いて、」


「随分身勝手な生徒会長さんだこと。じゃあ、お前ん家行く前にちょっとだけ、」


 楓が突然涙ぐみ、


「……た、孝之氏には失望したでござる。もう絶交でござる!」


「だからなんでそうなる!」


  楓はそう言って、いつものように何か丸い物を掴んで地面に投げつけ、煙を発生させると共に姿を消した。

 住宅街の脇を走る川の上をスイスイと走り去っていく姿は、忍者そのものといえよう。多分あれは、水蜘蛛という忍者が使う道具だ。


 その背中に向かい、


「明日の放課後ちゃんと教室で待ってろよー!」


 次の日の放課後、昨日絶交と言ったにも関わらず楓は律儀にも自分の教室で俺を待っていた。

 思わず安堵のため息が漏れる。

 楓が座る机の前にたどり着き、


「ちょっとは機嫌直ったか?」


 楓はそっぽ向き、


「孝之氏とはもう口を利かないでござる」


 じゃあなんで待ってるんだ、とは言えない。


「昨日は悪かったよ。でも、どうしても楓に見せたいものがあったんだ」


 楓が様子を窺うように上目遣いで、


「……な、なんでござるか?」


「今の期間しか見れないモノだよ」


 そして俺たちは、帰り道を外れ、バスに乗ってその場所へと向かった。

 小高い丘の上にある、行ったことのない小さな公園。

 そこまで登ったあと、あまり知られていない小さな獣道を少し下ったところに、目的地はあった。


「あちゃー、そろそろヤバイって思ってたけど、やっぱ散ってたか……」


 そこは、畳20畳くらいの木々に囲まれた空間になっており、この季節の、ほんの短い期間にだけ、薄桃色の花を咲かせる桃源郷のような空間になる、はずだった。

 木々にはひとひらも花弁は残っておらず、緑色の地面に無残に散逸している。


「同じクラスのやつに、ここが超穴場の花見スポットって教えてもらってたんだ。散る前にどうしても楓に見せたくってさ……ま、しょうがないよな。それにまだ咲いてる場所もあるだろうし、そうだ、明日にでも――」


 楓が俯きながら、


「……どうして、もっと早く言ってくれなかったでござるか?」


 聞かなかったのお前じゃん、とは絶対に言えず、代わりに楓の頭に手を置き、


「俺たち生徒会役員が、堂々と道草しちゃ示しがつかないもんな」


 楓はチラッと俺を見て視線を逸らし、


「……やっぱり孝之氏はやさしい人でござる……」


「え、なんか言ったか?」


 楓は首を振り、微笑みながら俺を見て、


「なんでもないでござる。……それにしても、今日も風が強いでござるね、孝之氏」


「ん……、そうか?」


 楓が耳の裏に手を当て、


「ほら、耳をすませば、遠くから風の音が聞こえてくるでござる」


「忍者特有の聴力ってことか?」


 楓は俺の発言を無視して、


「さあ、孝之氏も早く目を閉じて耳をすますでござる」


 肩を竦め、言う通りにした。


 楓は、私がいいと言うまで目を開けちゃだめでござるよ、と言い、


『風魔忍法、こ、恋の桜吹雪!』


 耳を閉ざせることを忘れるところが、いかにも楓らしい。

 そして俺は、風が吹き荒れる中、楓の合図を待って目を開けた。


 辺り一面に大量の桜の花弁が、渦を巻くように舞い踊っている。


「すげえ……やっぱお前の忍術は一級品だな」


「こ、これは忍術ではござらん! 今はつむじ風の季節でござる。いつ何時このようなことが起こっても不思議ではないのでござるよ」


 毎度のことだが、そういうことにしといてやろう。


 そして俺はあることに気づいた。


「楓、お前、スカート……」


 それは桜の花弁のような色をしていた。


 楓は気づき、慌ててめくり上がるスカートを閉じようとしたが、風の勢いは静まろうとせず、押えつけた部分以外のところがまくり上げって隠しようがない状態だった。


 楓は恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして、


「見ちゃだめでござるー!」

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