夢見屋

道透

第1話

 この町のどこかに自分の夢の中に意識的に飛ぶことが出来てしまう店があると聞く。それは割と有名なことであるが、その店に入った人の話を聞いたことがない。本当にそんなものがあるのかと疑心が期待をする自分の胸に問いかける。

 一か月ほど前に友人と喧嘩をした私は雪でも降りそうなほどに冷たい風を浴びる。雲の浮かぶ青い空の下を制服で学校からの帰路を一人で歩く。地面を踏むローファーには二年ほどの汚れがたまっている。手袋のしていない手をブレザーのポケットに突っ込み、首元を守るマフラーの中で首を縮める。

 最近よく死にかける私は周囲に気を付ける。死にかけるというのは事故に遭いそうになるというようなことだ。ここ一週間で十回は回避してきた。例えば、今日の登校時に右折してきたトラックが私に気づかず突っ込んできたり、工事中の建物の傍を通ると上からモンキーレンチが落ちてきたり。一人だったからこそ回避出来た。さすがに誰かと会話しながらだと注意が足りず病院行になっていた。

 家まではまだ道のりがあり、生憎この辺りは山なのだ。短い距離でも長いように感じてしまう。

 車の音やすれ違う人々の声をBGMに今日の夢のことを考える。あまり楽しいというようなものではなかったのだが記憶の片隅で色濃く残っているのだ。

 夢の私は歩いていた。目の前には見たことのない薄暗い森が現れるのだ。どうやらその先には神社があるようで私は生き寄せられるようにして入って行ったのだ。生き物の気配はしなかった。でも森が生きているのではないかと悪寒がする。それでも足を止めることは出来なかった。まだ夕方でもないのにほとんどの光が足元まで入ってはこない。森の中を進んでいくと一社のお社が見えてくるのだ。そのお社から人影が現れる。夢はこれで終わりだった。

 三度も連続で同じ夢を見ている。一度目も気にはなったが、何度も見るうちに四六時中考えてしまうほどに気にかかってしまっていた。

 今日は用事もなく放課後になると途端にすることもなくなる。だから、私は夢見屋という夢の世界に行けるというお店を探しに行くことにした。見つからないことも承知だ。

 三十分も歩くと知らない路地に入ってしまった。

 日の傾きも早く、街灯の明かりが淡く光る。そろそろ人通りのある道に出なければ危ないかもしれない。もと来た道を戻ろうとして踵を軸に反転した。しかし、振り返った道は私の通ってきた道ではなかった。

「ここどこだろう?」

 とにかくどうにか大通りにでも出ないと。

 私が振り返り続く道を見るとその先にはさっきまでなかった薄暗い森が見えた。見覚えがあるその森は夢に見たものとそっくりだ。まるで神の領域とでも言うような奥山だ。

 道を戻ることが出来ないのなら進むのもありだな。

 私はその森の方に進むことにした。何だか気になって仕方なかった。何か夢の不思議が解き明かされるような気がする。

 森の入り口は遠くから見るよりも気味が悪く、人気がなかった。入ることに抵抗感は持ちつつも引き下がることで今後も夢のことを気にするのも納得がいかなかった。

 アンテナを何本も立てながらそろりそろりと歩いていく。森の中は静かで風の囁きだけが聞こえる。しばらくはまっすぐと道が続いているようだ。茂みが物音をたてることですら肩を震わせてしまう。

 五分ほど歩くと少し道の開けた場所に古びた小さなお社が落ち葉をかぶってぽつりと建っていた。それ以外は何もない。鳥居も狛犬も石灯籠も何もない。神様は祀られているのだあろうか。近づいて賽銭箱を覗くも指で数えられるほどしかなかった。いかにも怪しい。私はお社の中は閉められていて見られなかった。

 その時、背後から気配がした。誰かに見られているような感じだ。視線を感じる。

 思い切って振り返ってみた。そこには誰がいるわけでもなかった。気のせいだったのだろうか。まあ、足音も聞こえなかったのだから人外でもない限りあり得ないか。

 私はそのお社に向き直る。すると、お社の傍には長髪の黒髪を揺らして立つ一人の女性の姿があった。でもその顔はしっかりと見えない。目元が白い布で隠されているのだ。手には赤い一輪の彼岸花を持っていた。

 さっきまではなかったその姿に驚き声が出なかった。でも、やばいと直感で感じてしまう。足がすくんでとっさに動けない。

「誰ですか?」

 その人の表情が読めない。でも夢に出てきたあの人なのだろうか。夢の人をはっきりと見たことはない。

 一歩いっぽと歩いてくるその人の足は私の前で止まる。

「私は死んだ」

 その人は口を開いて言った。

 私は気味が悪くなった。途端に足に掛かっていたストッパーが外れたように駆けだした。

「何なの?」

 私はとにかく来た道を戻った。でもいくら走っても森を抜けれなかった。来た道は木々に囲まれた一本道だった。迷う方がおかしい。

「なんで帰れないの?」

 帰れると信じて諦めずに突き進んだ先にはあのお社があった。同じ場所に戻ってきた。一体どうなっているのだ。

 目の前には一輪の彼岸花を手に持つ女性がいた。

「あなたは冥界に行くのですよ、あと三分で」

「何の話をしてるんですか」

 三分? 冥界というとあの世のことだ。私は死んだとでもいうのか。

 頭は混乱しているが、害を与えてこない相手の様子を見ると少し冷静になれた。

「さあ、こっちへいらっしゃい」

 手を差し伸べられた。自分の手を預けられるほどこの人を信用は出来ない。

「どこへ行くんですか? 冥界という所ですか」

「そうです」

 差し伸べていた手を下ろして、彼岸花を私にむけた。

「夢で何度もあなたを案内しようとしました。けれど、あなたの意思は生きることを志願しているようです」

 夢で見た人影はやはりこの人のもののようだ。

「私は死んでいるといいたいんですか?」

「辛うじて生きているあなたの顔には濃い死相が浮き出ています。死が目前にあるということです。自分の意思に生かされているのです」

 その人は私に、何に囚われているのですか? と問うてきた。何にと聞かれても私は自分が死の間際にいることを未だに理解出来ていない。

 変な宗教に勧誘されている気分だ。

「あなたは誰なのですか?」

 ずっと気になっていたことを聞いた。私しか知らないはずである夢のことも知っているこの人はきっと今までのことで嘘をついている風には見えなかった。なぜか信じてしまう。説得力のようなものはあまり感じられないのだから不思議だ。

「私はあなたの案内人です」

 口元を緩ませながら言う。

「この彼岸花が散る時、あなたの命は地上にありません」

 むけられる彼岸花はもう何枚も花びらを散らせていた。私の命はそんな儚いものなのだろうか。突風でも吹けば一気に散ってしまいそうだ。

「さあ、行きましょう」

「嫌です」

 私の心の中にたった一人の友人の顔が浮かぶ。

 良く分からない人に連れていかれるのも死んでいるんだといわれるのも納得がいかない。私は自身の意思を貫きたい。

 もし本当に冥界に行くのなら、ちゃんと死んでからがいい。死んでもいないのに何年先か分からない未来を早送りしていいことなんてない。

「未練は友人ですか……」

 目の前のその人は彼岸花に目を落とす。何で悲しそうなんだろう。この人は私の心を見透かす能力でもあるのか。一言も友人という言葉を言っていないのに。

 友人と喧嘩したことは他言していない。する人もいない。

「生きるにはどうしたらいいの?」

「今の状況を維持することでしょうね。友人と仲を戻してしまったら未練もなくなってしまうでしょうから」

 でもこの人は分かっているはずだ。私が仲を戻さないことを望んでいないことを。私は望みを叶えると死んでしまうのか。

 自分の命か友人との関係か。二つに一つか。

「私は生きたいです」

 そう言った途端に突風が森の中を突っ切って行った。風は私の前にいるその人の目元を隠す白い布をなびかせた。そして、翻る布の先にあるその人の顔を見て思った。

 ――まるで鏡だ。

 驚いた私の顔を映している。目の前にいるのは私だった。そっくりというには完璧すぎる。全く気づかなかった。そもそも目の前に自分がいることを予期する人なんていないだろう。

 森がざわざわとする。私はその人の付ける白い布を取り、立ち尽くす。

 この人が開口一番に言った言葉を思い出す。


『私は死んだ』


 この人はもしかして、案内人なんかじゃなくてあの世に足をかける私なのではないか? この人が私にない未来に本来あったはずの私の命なのだとしたら……。

「生きたいのですか?」

 あの時に言った、あと三分が本当ならもう時間はないはず。

 何で死んでしまうのか。それはきっと運命という意思では逃れられないものなのだろう。

「今ある命の中で生きたい。そこで運命に従って死ぬのならば仕方がないと思う。けど、その彼岸花はまだ花びらをつけている。それなら生きるという選択をする以外に答えはないです」

 その人は私に彼岸花をむけて、私の体に押し付ける。すると、彼岸花は私の体の中に取り込まれていった。

 私はその彼岸花が体内に入って行くのをまじまじと見る。何だか体に重みが増したような気がした。

「私――」

 私は顔をあげると目の前にはその人の姿はなかった。お社も消えていた。ただの森になっていた。

 私は一本道を道なりに歩く。当たり前だがちゃんと来た道を戻れた。不思議なことは全く起きなかった。歩き続けると背後に森はなくなっていた。

 その日から私の夢にあのお社と人影は見えなくなっていた。それに常に感じていた身の危険も感じなくなっていた。たまに車に轢かれそうになるも、多分あれとは関係ないと思う。

 でも、何よりも私の心を軽くしたのは友人との仲直りだ。

 いつか私に寿命が来たらまたあのお社が現れるのかもしれない。その時は冥界への案内を頼もうか。

 私の足取りは随分と軽かった。なんせ、あと三分で死んでいた人なのだから。

 夢見屋とは本来自分の心の中に存在するものなのかもしれない。

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夢見屋 道透 @michitohru

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