夫婦(掌編)

文目みち

夫婦

 私たち夫婦にはいつつのルールがある。


 ひとつは、嘘をつかないこと。

 嘘と言っても、冗談や嬉しいサプライズとかなら良い。その境目は相手に禍根を残すか残さないか。その案配が難しいと思うかもしれないけど、私たち夫婦にとってちょっとした刺激は興奮剤でもある。


 ふたつめは、感謝を忘れないこと。

 何かをしてもらったりした時は必須。毎日の習慣的なことで、当たり前となってしまったことであれば尚のこと、感謝の言葉は必要なのだ。食事を用意したり家事をこなしたり、お互いに感謝し合えば不満は生まれない。


 みっつめは、相談をすること。

 せっかく夫婦となったのだから、悩み事は一人で抱えない。一番近くにいる存在を頼らないでどうする。仕事や人間関係。生活していれば生まれる悩み。相談することは、恥ずかしいことじゃない。むしろ誇るべき。力強い味方だ傍にいつのだから。それに相談された側は、きっと嬉しいはず。


 よっつめは、夢を描くこと。

 大きな夢じゃなくてもいい。夫婦が違った夢でもいい。小さな夢で構わない。ただ、その夢は夫婦にとって明るいものに限る。夢を持つことで前を向けるし、そこに向かって歩めるから。もしそれが夫婦同じなら、手を取り合って進めば良い。違ったら後ろから背中を押してあげる。


 そしていつつめは……。






「なあ、相談したいことがあるんだけど」


 彼は唐突にそう言った。


「なに?」


 相談することは、夫婦のルールに乗っ取っているから私も驚きはしない。とはいえ、彼の表情が少し暗かったので、彼の抱える悩みが哀しいものかもしれないという覚悟はしていた。


「この間の健康診断で再検査を受けたのは、知っているよね」

「うん」

「実は、その検査結果が……がんだったんだ」


 ルールの上で嘘はつかないはず。冗談にもほどがあった。


「……嫌よ。私たちまだ、これからじゃない」

「今までありがとうね」


 こんな時まで彼はルールに従うのか。こんな感謝の言葉ならいらない。


「ねぇ! 一緒に夢、叶えようって、約束は! 私一人じゃ叶えられないし、あなただって自分の夢語ってくれたじゃない。まだ諦めるのは早いわよ!」

「そんなこと言ってもね……もう、僕には時間がないんだ」


 彼の夢。

 私たちの夢。

 私はそのどちらも叶えたい。だからずっと彼の背中を押してきたし、一緒に手を取り合ってきた。私たち夫婦がきっと明るい未来へと輝けると信じて。

 すると。彼は瞳に涙を浮かべながら私に言った。


「最期に僕たちのルール、ひとつだけ破っても良いかな?」

「もしかして、いつつめの?」

「そう。いつつめのルールだけは、守れないから」


 ダメ。

 ルールはルールでしょ。それを破るってことは、夫婦を止めるってことになるじゃない。

 そう言おうと思ったとき、彼は私の口を彼の口で覆った。

 何も喋れない。息はできるけど、息苦しい。

 彼の口から漏れる息が、私の中で感じる。


「……君は、ルールばかりに縛られて……息苦しいって思ったことはないかい?」


 彼はそう良いながらも、私に返答の余地を許さない。自分が喋ったら、すぐに私の口塞いでくる。


「……君は、自分で自分の首を絞めているだけ。……ぼくがほどいてあげる」


 そのまま私の意識はだんだんと薄れていった。






 それから数ヶ月後。

 私たち夫婦のルールは消滅した。

 夫婦でなくなったのだから、当然ね。

 でも、新しいルールを私は作った。

 息子のための自分ルール。


 ひとつは、息苦しくないように息子を支えること。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夫婦(掌編) 文目みち @jumonji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ