第4話 始動
まだ少し肌寒い空気の中、自転車を走らせる。
自転車に乗ったのなんていつぶりだろう。なんて言えば少しはセンチメンタルになるかもしれないけど、今もバイトへ行くのに大活躍中だ。
自宅を出て、通っていた中学校の横を抜ける。学校の統廃合で今は小学校に変わったらしい。
橋を渡り、両脇を田んぼに挟まれた道へ入る。植えられたばかりの稲はまだ青く小さい。
小さな森の脇を通り、カーブを曲がる。開けた場所に現れた家は陽を浴びて白く明るい。
ここはテスト期間中、深夜に気分転換も兼ねてよく走りに来ていた。
卒業した小学校とは違う学区。見慣れない景色が新鮮だった。
こうして私が何度も真野くんの家の前を通っていたを知ったのは中学を卒業する直前。あの時はただ通り過ぎるだけ。背景の一つでしかなかった。
不思議だ。それが今ではひと際光って見えるのだから。
1回目の告白はその日の授業が終わった放課後。手紙を書いたけど渡す勇気が出せずに友達から渡してもらった。
3回目の告白はクラスの違う真野くんの教室の前。成長した私は自分の口から想いを伝えることが出来たけど、その場で振られた。
9回目は真野くんの誕生日。受験生なのに。真野くんには彼女がいたのに。迷惑でしかなかった。
でも、まさかここまで迷惑を引きずることになるなんて、さすがに思ってなかったな。
だって最初の告白から数えたらもう14年だよ、14年。中2じゃん。まさかの中学生2周目。異世界じゃなくて現世なんだけど、ここ。2周目なのに全体的にステータス下がってるってどんなバグなの?
って、思い出に浸っている場合じゃなかった。
今日は目的があってここにきたんだった。
『着いたよ』
レジで聞き出しておいた連絡先にメッセージを送る。
勇気を出して聞いたのに、非常にあっさりと教えてくれた。さすが大人だ。
ちなみにそのやり取りをチーフに見られていて閉店後すごく怒られた。
でも正直、そんなことはしなくても家の電話番号は知っていた。一度もかけたことはないけれど。嘘。一度かけて無言で切ったことがある。
『いま行く』
真野くんからの返信が来るとすぐに姿が見えた。
桜ちゃんと手を繋いで庭を歩いてくる。
「おはよう」
「おはよう」
「おはようございます!」
大人になるとどうして挨拶に元気がなくなっちゃうんだろうね。
「上手にご挨拶できてえらいね」
「さくら、もうすぐ4さいだからね! さくらがさいたら、4さいになるんだよ!」
春生まれだから『桜』。わかりやすい。
「これ」
真野くんに1冊のノートを差し出す。
『また描いてみたんだけど、読んでくれる?』
『いいよ』
たったそれだけのやり取りから始まって今日になった。
本当は描いてなんかいなかった。
それから焦って描き始め、思いつくままにシャーペンで大学ノートに描き殴っただけの、下書きとも、ネームとすら呼べないようなオリジナル漫画。もう何年も描いていなかったのに。
受け取ると無言で読み始める真野くん。
絵と文字を追って動く瞳。
ページを捲る手。
この瞬間だけはどれだけ真野くんを見ていても咎められることのない、私だけの時間。
そうか。
だから私は漫画を描いていたんだ。
何度振られても、漫画さえ描いていればまた真野くんと話すことが出来たから。
最後のページを読み終えた真野くんが顔を上げる。
視線が合う。
「やっぱり好きだよ、鈴さんの絵」
心臓に悪い。思わず死ぬところだった。
「変わらないね、鈴さんは。また読ませてくれる?」
「真野くんこそ変わってないよ、そのセリフ」
あれ、そうだっけ、なんて返しも懐かしくて笑ってしまう。
よかった。何も変わっていない。
「わー、おねえちゃん、え、じょうずだねー」
違う。変わっていないのは私だけだ。変われないまま生きていた。
いつから私の時間は止まっていたんだろう。
つまらないスーパーのレジ係。
とにかく疲れたライブ会場スタッフ。
1日をほぼ無言で過ごした工場での仕分け作業。
新卒で入ったけどなにも好きではなかったという理由で辞めた食品会社。
創作サークルに入ってノルマのようなサークル誌しか書かなかった大学。
家に近いから選んだだけの普通科高校。
行かなきゃいけないから通ってた中学校……。
――卒業式で出来なかった10回目の告白。
受け身でしか生きてこなかった私の、唯一自分から動けていた好きな人の存在。
だから私はきっと今でも中学校を卒業できていないんだ。
あの時出来なかったこと。それをやれば私は前に進めるんじゃないか。
いや、ダメだ、そんなの。
自分勝手っていうか、もはや自己満足の域。
真野くんは離婚手続き中で、桜ちゃんっていう子供もいて、それなのに私はいい歳したフリーターで。
今はもうただの中学生じゃない。好きだの好きじゃないだのを好き勝手言って許される年齢はとっくに終わっている。
「真野くん、あのね……」
「鈴さん……?」
終わっている?
いったい誰がそんなことを決めたの?
私が勝手にそう思ってるだけなんじゃないの?
終わってなんかいない。
どれだけ相手に迷惑がられようとも妄想炸裂のオリジナル漫画を読ませ続けている。何度振られても好きだと伝えてきた。
そんな私が今更遠慮することなんてある? ないよ。何も。何もない。
私はまだ――。
「今でも、真野くんのことが好き」
言って、しまった。
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