第3話 勇気
魔の17時台を迎える前、16時半のレジは平穏の最中にいた。
客足の少ない店内には緩いBGMが響き、ポリ袋をくしゅくしゅと丸める作業音すら聞こえてくる。つまり一言でいえば暇――じゃなくて、落ち着いていた。
手で袋を丸めながら虚空を見つめ、今日は真野くん来るのかな、なんて考えている。ものすごく考えている。むしろ出勤前から考えていた。
というか、だ。そもそもの話なんだけど。
私は今でも真野くんのことが好きなのか問題がある。たしかに今朝は真野くんの夢を見た。昨日、久し振りにその姿を見て、名前を呼ばれた時はドキりとした。それは事実だ。間違いない。
でも中学を卒業して以来、私は真野くんと一切連絡を取ってこなかった。これも事実だ。
友達から聞く噂話や、独自にSNSなんかを駆使して進学や就職の情報は掴んでいた。でもそれ以上のアクションを起こすことはなかった。さすがに9回も振られ、10回目を逃げられていれば身の程を弁えるというか、諦めるというか。
――なんていうのはきっと自分にとって都合のいい解釈で、どんどん遠くへ行ってしまう彼を追いかける勇気がなかっただけだ。きっと。そして私は今でも実家で両親と暮らしていて、こうしてまた、地元のスーパーで働きながら真野くんの方から来てくれるのを待っている。
こうした行動力の無さが私たちを引き裂いたんだと思う。や、くっ付きたくても拒否されてくっ付けなかったんだけど。だから引き裂かなくても離れてたんだけど。
改めて12年という時を考えてみる。
私にだって私なりにいろいろあったんだ。もちろん真野くんだって変わっているだろう。今の真野くんは、中学生の私が追いかけていた真野くんではないのかもしれない。
「これくだしゃい!」
「お願いします」
そう、現実ではこうして小さな娘さんを連れた立派なパパさんであって、私みたいな独り身ではないのだ。
って、真野くんほんとに来てくれてるし。いらっしゃいませ。
「ねぇ真野くん、私ここで働いて何か月か経つんだけど、来てくれたのって昨日が初めてだよね?」
レジなんて慣れてしまえば会話しながらでも問題なくこなせる。バレると怒られるけど。
「実家を出るまでは普通に来てたから初めてじゃないけど」
そういうことを聞きたいわけじゃない。このスーパーが長年地元に愛されている50年企業だとかそういうことじゃなくてここ最近のことを聞いているのだが、このちょっとズレた感じが真野くんなのだ。
「どうして戻ってきたの」
「奥さんが出てっちゃったし、ちょうど親からも帰って来ないか、って声もあったりして、それで」
「その子は?」
「桜、3歳。一応、娘」
「仕事は?」
「在宅で出来るようなことを細々と」
私が話しながら商品のバーコードをスキャンする度に真野くんからの答えが返ってくる。まるで商品の数だけ質問出来る制度みたいだ。
「再婚は?」
――ピッ、というスキャナー音より少し遅れて答えが返ってきた。
「今は考えてない」
ま、そうだよね。
「というか、まだ届けてないから離婚自体は成立していないんだけど」
きっと真野くんとのマイペースな結婚生活に刺激がなくて浮気でもしちゃったパターンなんじゃないの? 勝手な想像だけど、私くらい真野くんとの結婚生活を何度脳内シミュしたかわからないくらいのベテランになればそれくらいわかる。たしかに真野くんとの生活は刺激が少なくてつまらないと感じる人もいると思う。
「パパ、はなみず」
「ん」
でもこうやって子供にすごく優しいし、夕飯買い出しとか家事も手伝ってくれるし、夜はちょっと淡泊だけど幸福感のある営みをしてくれるんだ。全部妄想だけど。
「って、真野くん、そのタオル……」
「あぁ、これ? 憶えてる?」
そのくらいの歳の子ならもうプリキュアとかが好きだったりするんだろうか。なにかしらのキャラ物を使っていてもおかしくない。でも真野くんの手しているタオルは私が7回目の告白の時にあげたアディダスのハンドタオルだ。
ダサい。ダサすぎる。なんだアディダスって。何なのアディダスって。でも中学生の私にはそれが限界だったのだ。
「鈴さんがくれたやつなんだけど、すごく丈夫でまだ使ってる。いいね、これ。ありがとう」
いくら丈夫って言ったって無理がある。ほら、もうゴワゴワじゃん。
「でもあげたの13年くらい前だよ」
「全然使えるよ。桜もこのタオル好きだし。ね?」
「これすきー」
別に使ってくれているのはいいんだけど。いや、いいんだけどとかそういうレベルじゃない。嬉しい。なにこれ。すごく嬉しくてたまらない。絶対にいま顔ニヤけてる。嬉しいついでに聞いてみた。
「じゃ、じゃあ……まだあのぬいぐるみも持ってたり、するの?」
「ミュウツー? あるよ」
4回目の誕生日にミュウツーのぬいぐるみをあげた。これも今思えばアディダス並みにヤバい。当時、ポケモンにハマッていた真野くんへのプレゼントとしてポケモングッズを考えていた。私はポケモンのことよく知らなかったから、友達に一番強いポケモンは何かを聞いて、返ってきた答えの通りミュウツーのぬいぐるみを買った。いや、もっと他にあったでしょピカチュウとか、ラプラスとか。なんでよりによってミュウツー。強いけど。
「そ、そっか……あるんだ……」
すごいね、物持ちいいんだね、真野くんって。
「鈴さんからもらったものは、全部あるよ。食べたり、使ったりするもの以外」
なにそれ。反則でしょ。っていうか普通振った女からもらったもの取ってたりする? そりゃ奥さん怒るでしょ。家出てっちゃうでしょ。きっと真野くんのことだから全部正直に話しているに決まってる。そりゃまぁ元カノにもらったものとかよりはまだマシなんだろうけど、どっちにしろ知らない女からのプレゼントを大事に取っておく男という要素がプラスに働くことはないと思う。
会計を終えてサッカー台へ向かう後ろ姿。手にしたハンドタオル。これまでにあげた9個のプレゼントは全部憶えてる。渡せなかった10個目のプレゼントだって、まだ家にあるのだ。
「真野くん!」
同時に振り返る
「あの、あのね。私、しばらく描いてなかったけど、また、描こうと思うの。漫画。そしたら――」
どうして中学生の私が真野くんのことをあんなに好きだったのか、ようやくわかった気がする。
「そしたら、もう一度、読んでくれる?」
きっと、私に勇気をくれるのだ。新しく、なにかを踏み出す時の勇気を。
「もちろん、また読ませてよ」
そしてそれは今でも変わっていない。
中学生のように笑う真野くんを見て、私もようやく中学校を卒業できたのだと思った。
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