第12話
「……ん。」
もう高くまで上がった陽の光を顔に受け、安岐織姫は目を覚ましました。天井との距離が上手くつかめず、左目が塞がれていることに気付きました。体を動かそうとすると全身がうまく動かず、ところどころに鋭い痛みが走り、深く息を吐きました。
「あー! 姫様、目が覚めましたか⁉」
突然、キーンと甲高い声が耳に響きました。そしてその声の主はずかずかと部屋に入り込み、織姫を抱き起こしました。
「光咲、うるさい、痛い。」
「まあまあ、姫様が倒れてからもう1週間くらいですかね? 今日はいい天気です。そろそろ太陽の光でも浴びないと、腐っちゃいますよ!」
織姫の言うことなどまるで気にせず、光咲はどこから用意したのか車イスに織姫を乗せ、外に連れ出してしまいました。
「あー姫様、やっぱこの石階段長いですよ。コンベア式にしましょうコンベア式に。」
「なあ光咲、そろそろ状況が知りたいんだけどな」
ゆっくりゆっくりと後ろ向きに階段を下る光咲の言葉に、なすがままの織姫もさすがに口をはさみます。
「ああ、いいじゃないですか、そんなことは。それよりも見てください、上。姫の安土城ですよ。首が痛くなるでしょう。」
「私の城だからな。何度も見上げたよ」
「今くらいの時間になると、琵琶湖に反射した光がお城を包んで幻想的な姿を見せるんです。ほら、水面が城に映って、ゆらゆら揺れているでしょう。」
「ふふっ、光咲には言ってなかったが、今くらいの時間になると水面が城に映って綺麗だってことは知っていたんだ。」
「なぁんだ。姫様は何でも知っていますね」
「光咲は知らなかったかもしれないが、実はこの城は私が築城したんだ。すごいだろう」
「ほんとですか⁉ さすが姫様です、こんなに大きくて綺麗な名城、またとないでしょう」
「ふふ、そう褒めてくれるな、照れる」
「じゃあ、姫様、これは知ってますかねー?」
「?」
光咲は石階段から外れて、くるりと振り返りました。
そこには、昼間の活気にあふれた安土の城下町が広がっていました。
「姫様の作った街は、こんなに人の気力が集まる素晴らしい街になってたってことです。姫様、ずっと下に下りてくることなかったでしょ。」
「……ああ、知らなかったよ。」
「実は私、町では有名人なんですよ。もしかしたら、姫様より有名かも」
光咲はまたゆっくりと石階段を下り、城下町に入りました。
「きっとそうだろうな。光咲には坂本もあるのにこちらのことも任せてしまって、すまなかったよ。」
「そんなこと言わないでください。私もこんなデカい町仕切るの楽しかったですよ。めちゃんこ大変でしたけどね。」
しばらく城下町を歩き、郊外まで出てきました。光咲の言った通り、町人は光咲を見つけると頻繁に声をかけ、自分が包帯まみれとはいえまるで気付かれる気配もなかったことに、織姫は少しショックを受けていました。
「ほら、ここからだと私の坂本城もうっすら見えるでしょ。安土には負けますけど、かなりいい町作ってるのでまた見に来てくださいよ。」
「そうだったな、私はずっと、坂本どころか安土の町すらまともに見ていなかったんだな。」
織姫はすっと目を閉じ、空を見上げて言いました。
「なあ光咲、私は依姫を殺したんだろう?」
光咲は答えませんでした。
「五海殿たちと戦ったとき……確かに怨霊たちに侵されていたいたのかもしれないが、ようやく依姫の本音が聞けた気がするんだ。ふふっ、光咲や他の家臣たち、そして妹たち。大勢の人を巻き込んで、やったことは誰も幸せにならない自己満足だ。」
「いや何言ってるんです。姫様の自己満足に私たちがどれだけ付き合ってきたと思ってるんですか。今回のことなんて、少しいつもより期間が長かっただけですよ。」
光咲が呆れたように言います。
「あはは、すまない。光咲は何でもできるからなあ。つい頼りすぎてしまう」
「全くその通りですよ、今度有給まとめていただきますからね。にしても意外です。姫様っていっつも自信満々だしなんでも実行しちゃうし結局全部正しいし。神様か何かかと思ってましたよ。」
「魔王だから真逆だな。私の言うことなんて間違いだらけだ。」
「全くその通りです。少なくとも私は、依姫ちゃんと一緒に遊んでるときは幸せでした。依姫ちゃんだって絶対そうです。お城にいる他の人だって。」
「……ありがとう。」
織姫はゆっくりと顔を伏せました。
「おかげでこの1週間、寝る暇もなしで超大変だったんですから。ほら、もう着きますよ。」
織姫は光咲の言葉の意図を掴めず、ふいと顔を上げました。
すると、琵琶湖近くの小高い丘に、ちいさな神社ができていたのです。
「私が城にこもっている間に、こんなものができていたのか……これも知らなかったな。」
「姫様の平癒祈願に行きましょう!」
光咲は車イスを押す手に力を入れるのでした。
「ここからだと、琵琶湖も良く見えるな。」
境内から見下ろす琵琶湖は、真上から照らす太陽を映して、まるで金色に輝いていました。
「まさか、私が神頼みするとはなあ」
そう自嘲的に笑う織姫の隣で、ぱんぱんと手拍子の音が聞こえます。
「姫様の怪我か完治しますように! 一色五海一行にバチが当たりますように! 痛いやつ!」
大声で響く光咲の願い事に、ついつい織姫は噴き出してしまいました。
「ああ! 笑いましたね! 人の願い事を笑うとは失礼な!」
「いや、すまない、あまりにも私怨が酷かったものだから」
「私にはそれくらいの恨みがあるんですよ~!」
何があったのか、光咲は恨めしそうな顔を見せます。
「しかし、口に出してしまうと効果がなくなるんじゃないのか?」
「意外と信心深いんですね、言霊って言葉もあるんです。口に出す方が良いに決まってますよ!」「そ、そういうものか?」「そういうものです! ほら、姫様もご一緒に!」
光咲に押し切られる形になった織姫は、大人しく手を合わせ、目を閉じます。
「えーと、火傷が早く治りますように、かな。あとは……願わくは、依姫には安らかに眠ってほしい。」
織姫の声はゆっくりと、静かな境内にしみこんでゆきました。
「ほう、お主は唯一の妹に大人しく眠っててほしいと!」
ふと前方から、何者かの声が聞こえました。
「ああ、今までずっと私の都合で縛り付けてしまっていた。だからせめて、これからは静かに眠ってほしい」
織姫は目を閉じたまま顔を上げます。
「あの、姫様?」「うるさいぞ光咲、今私は神様と話してるんだ」「いや、そろそろ目を開いても」「失礼にあたるだろう」「そうそう、私は神様だからうんと崇めなさい」「ちょ、あなたも何言ってるんですか」
「だから少し静かにしていろ、光咲」
ついに織姫が目を開いたそのとき、湖に反射した太陽を後ろに受け、ぼんやりとした光に包まれた拝殿に依姫が立っていたのでした。
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