第11話

「ど、どういうことだ?」

 織姫が焦ったように稲荷に問います。

「4人どころじゃないわよ、これ。一体何十人分なのか……最近、この子について何か変だったことはない?」

「確かにここ数年、修復の魔術が上手くいかず、体の劣化が少しずつ進んでいた……しかし何故それを?」

「さっきも言ったでしょ、依姫ちゃんは“怨霊そのもの”。恨みが恨みを呼び、雪だるまみたいに膨れ上がってしまった! その膨れ上がった怨霊は織姫の魔術ではカバーしきれず体は劣化、そしてその力を抑えられず、私たちのところにまで影響を及ぼしてしまった……」

「なるほど、通りで織姫と話がかみ合わないわけだ。なあ稲荷、なんとかならんのか?」

 五海はぽんと手を打ちました。

「ここまでになると、もう天に送るくらいしか……」

 稲荷がそう言ったときでした。


「嫌だ。」

 それまで黙っていた依姫が声を上げます。

「そんなのずるいじゃない。あんなひどい思いをして死んでしまって、姉様の身勝手で呼び戻されたと思ったら、外にも出られない、ろくに人とも話せない、常に見張られて、私を殺した奴の仲間たちは私のことなんて忘れてのうのうと生きている……依姫が生きてきて、良いことなんて一つとしてなかったわ‼」

 その瞬間、周囲にぶわっと黒い霧が吹き出しました。五海がよく見ると、それはまるで人のような形をしているものの集合体に見えました。黒い霧は、あっという間に五海たちを包み込んでしまい、体中にまとわりつきました。

 それに触れると、まるで心の中にも真っ黒な霧がかかったように思考がうまく働かず、ずっしりとのしかかるように怒りが心を支配してゆきます。

「織姫頼む、依姫を止めてくれ! このままだと私たちだけじゃない、日ノ本にこの混乱が広がる!」

 しかし、それを聞いた織姫の反応は芳しくありません。

「わ、私には、姫をまた殺すことなんてできない……」

「そうだよね、姉様? 私はずっと姉様の自己満足に付き合わされてきたんだもん! ずっとその罪悪感を持ってたんだもんね? 外に出られず私が悲しそうな顔をするたび、体を修復する前のガサガサな肌を見るたび、全く成長しない私の体を見るたび、自分のしたことを悔いてきたんだもんね? ああ、可哀相な姉様。私、姉様のそういう愚かしいところが大好き。」

依姫は愛おしそうに織姫を見下ろします。


(織姫もやばかったが、こっちは違った意味でやばい……!)

 一度まとわりついた黒い霧は簡単には振り払うことはできず、心だけでなく、まるで人がのしかかったかのように体を重くしてゆきます。

「神様だろ、なんとかしろ稲荷!」

「こんなのどうしろってのよ! 織姫にしか分かんないわよ!」

 冷静さを失った二人は言葉も荒く、間もなく石階段に突っ伏すことになりました。

「なあ織姫、お願いだ、依姫を止めてくれ……」

 なんとか絞り出した言葉も織姫に届いているのか、まるで返答はありません。

「大丈夫だよ、みんな死んじゃったら私たちの仲間にしたげる! よかったね、もう痛い思いをしたり老いていく苦しみを味わわなくていいんだよ!」

 その代わりに聞こえてきたのは、依姫の無邪気な声でした。

「ふ、ふざけんなクソガキ、お前の不幸に私らを巻き込むな……!」

 その言葉とは裏腹に、五海に対抗する手段はありませんでした。

(おいおい、私ここで死ぬのか? 死んで、こんなよくわからん怨霊のうちの一人にされてしまうのか? くそっ、まさか本当に祟り神になってしまうとはな……今度から四大怨霊か……)


「おい織姫よ、その子のおかげでなあ、こっちは大混乱だったんだ。バテレンじゃない人たちはみんな、疑心暗鬼にとらわれ、攻撃的になって。挙句の果てには、戦まで起きてしまった。そりゃあ、あんたの言ってた戦とは違う甘いものかもしれないが……私は領主として、その原因は拭わなきゃならない。お前はどうなんだ織姫? このままだと、そのうち恨みの矛先は安土の人たちにも向くことになるぞ。やはり妹以外の人間はどうでもいいか?」

 五海は突っ伏したまま、最後の望みをかけ織姫に言葉をかけます。

「しかし私は、もう二度と妹を失いたくなどない!」

「じゃあそこにいる怨霊はお前の依姫なのかよ⁉」

 唸るような五海の言葉に、織姫からの返答はありませんでした。

「そいつはお前の妹なのか? それとも、依姫にまとわりついてきた怨霊たちの塊か?」

 織姫は答えません。

「姉様どうしたの? 他の人なんてどうだっていいじゃない。ずっと私と一緒にいましょう。私には姉様しかいないの。助けて、姉様。私はもう死にたくないの。」

「織姫よ、最初からずっと、依姫には未来なんて無かったんじゃないか。」

「姫、お前の言う通り私はずっと罪悪感に苛まれてきた。」

 ようやく、織姫は口を開きます。

「お前のためと言って私は魂を呼び戻し、その体を生き永らえさせてきた。だがずっと分かっていたんだ。所詮私の自己満足で、姫はその犠牲者だってことを。私は結局、自分が一番好きだったんだ。それを認めたくなくて、ずっと姫のせいにしてきた。」

「姉様……?」

「妹たちが本当に大切ならば、こうすべきだったんだ。」


 突如、織姫と依姫の周りを囲むように炎が現れました。それは黒い霧をかき消すように、辺りを照らしてゆきます。

「最後の最後まですまない。私の最後の自分勝手に付き合ってくれ」

織姫はその左腕で、依姫をぐっと抱きしめます。

「は、放せ、この! 嫌だ、私はもう死にたくない……!」

炎は激しく燃え上がり、安岐姉妹を飲み込んでゆきました。

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