第4話
「……まずいですね」
木陰で隠れていたクララが呟きました。どうやら五海は必要以上に羽衣を警戒してしまっているようで、まるで攻めに転じることができていません。
(あまり使いたくなかったのですが)
クララはどこから取り出したのか、やけに大きな風呂敷包みをまさぐるのでした。
(まずい。まるで防戦一方だ)
五海も焦りは感じていました。想像以上に羽衣の機動力が高く、振り切れないのです。切り刻んでしまおうにも、柔らかく受け流されてしまい手ごたえがありません。このままではじり貧だと弱気になった時でした。
ひゅ。
耳元で風を切る音が聞こえました。
そのとき、目の前で踊る五海の奥から突然黒い塊が現れ、糸を引くように小町の顔面へ向かってきました。不意を突かれた小町は咄嗟に袖で顔を覆いました。その重い振袖に防がれた鉄塊はぼとりと地面に落ち、ようやくそれが苦無であることが分かりました。
一瞬でも物体を消せる者がいる
反射的に小町は森へと視線を移し、そして、羽衣の動きが緩慢になりました。
五海はその隙を見逃しませんでした。
すかさず得物を横薙ぎに払い、小町の美しい着物にすっぱりと切れ目が入りました。そしてそのまま振りかぶり、頭から全力で振り下ろしました。
しかし小町の頭まであと10センチというところで手が止まってしまいます。手元を見ると、いつの間にか羽衣が薙刀に絡まっていました。
「あら残念」
小町がそう言うと羽衣がぴんと張りつめ、薙刀は五海の手を離れ、くるくると飛んで行ってしまいました。
「しまった」
「それにしても、二人がかりなんて卑怯じゃあないの?」
「騙し討ちで人を絞め殺した方をご存知ない? 私の目の前にいるんだけど」
「素手のあなたなら、あたしでも十分やりあえるけど」
「年の功ってやつか」
「むしろ厄介なのは奥で隠れている子ね」
ひゅいと羽衣が五海のもとを離れ、奥で控えているであろうクララの方へ向かいました。
これはまずいと五海が「クララ逃げろ!」と叫んだのと、森の方から「今です!」と叫び声がしたのは同時でした。その声を受けた五海はすかさず小町が落とした苦無を拾い上げ、焦点が合わず瞳を左右させている小町の脇腹にぐりとねじ込みました。
一寸遅れてようやく小町と五海の目と目が合い、吐き出した血が五海の鉢金を赤黒く染めたのでした。
小町が目を覚ますと、先ほどまで自分の脇腹に鉄の塊をねじ込んでいた張本人と、謎の少女が自分を見下ろしていました。その向こうは見慣れた天井で、お腹のあたりがなにやらぐるぐるとしていますが、もう何ともないようでした。
「それで、遂にあたしを追い出そうってわけ?」
「はぁ? お前が勝手に襲い掛かってきたからやり返しただけだろ?」
「そもそも、どうしてこういうことになったんですか」「あんたは?」「付き添いのクララです」「なるほど、あんたが厄介な方」「失礼な」
「で、だ」
どうにもそりが合わない二人の間に入った五海は無理やり話を変えます。
「私は小町を追い出すつもりも羽衣を奪うつもりもない。そもそも土地を任せたのも私だしな。一体どうしてそんな思考に至ったんだ?」
「そりゃあ、えっと」
小町は何か言おうとしましたがその先は出てこず、ふうむ、と首を傾げてしまいました。
「村の人たちも、今朝は戦々恐々って感じだったが、小町をここに運ぶときにはいつも通りに話しかけてきたし」「死体担いでる人間にいつも通りに話しかけるって、すごい胆力ですね」「パッと見では分からんだろ。」
「なんだかここ数日どうにも不安で、心の中がどんどん暗くなっていく気がしてね……どうしようもないくらい、疑心暗鬼になっていた。それが村の人にも分かったのか、みんなの様子もおかしくなってきたって感じかな」
「そこがおかしいんだよな。小町ひとりがそうなるなら個人の問題で済むところ、村の人全員同じような状態になってる。しかも小町が倒れたとたん、みんな元通り。やはりどうしてあんなに疑心暗鬼になってたのか不安がってた。」
「あたし、誰かに恨みを買うようなことしたかな?」
「いや、実は私のところもそうなんだ。クララが言うには宮津もそうらしいし。今朝は稲荷の調子が悪そうだったけど、今になってみれば小町と同じだったんだろうな。」
「では、私がお世話になっている村がその様子を見せないのは?」
「それは分からない。ただ、一つの大きな可能性がある。何者かが故意に起こした現象であるということだ」
「「故意に?」」
クララと小町はいっせいに五海に目を向けます。
「確かに、こんな現象を起こせる人もいるでしょうが……一体何のために?」
「あたしには目星がついたけどね」
今度は小町に視線が集まります。
「五海本人はともかく、稲荷を含めた村人全員。それにあたしの村、そして宮津までこの現象に飲み込まれてる。それなのに、一人だけピンピンしてる奴がいるじゃないか」
「……それって、私のことですか」
クララと小町、お互いに鋭い視線を向けます。
「お、おいおい、やめろよ小町。もしクララなら私に手を貸したりなんてしてないよ」
「そうならいいんだけどね」
「……」
三人間の空気が凍ったところに、突然の乱入者が現れました。
「五海ちゃん大変だ! 宮津の中興斎が、五海ちゃんの村に侵攻を始めた‼」
「な、なんだって⁉」
「稲荷ちゃんの使者が来た! まだ戦闘状態には入ってないらしいけど、最初から町人を動員しているそうだ、急いだほうがいい!」
「わ、分かった、急いで戻る!」「私も行きます!」五海が立ち上がると、クララもそれに続いて腰を上げました。二人は連れ立って行こうとしますが、それを小町が呼び止めました。
「ほんとにその子を連れて行っていいのかい? 唯一被害を受けてないことといい、被害を受けてるって言ってた中興斎の宮津が元気に侵攻してることといい、いささかあんた怪しすぎるんだよね」「い、今そんなことを言っている場合ですか! 一刻を争うんですよ⁉」「おいおい小町、言いすぎなんじゃないのか」「あいにくついさっき殺されたばかりなんで、完全に信用はできないね。その子が行くならあたしも行くよ。中興斎と組んで、五海を騙し討ちする可能性も無くないからね」
クララはうつむき、唇を噛みしめました。五海からは表情は見えませんでしたが、言い返すことはしませんでした。
「……分かりました。行きましょう」
三人は、最悪の雰囲気のまま五海の村へと向かうことになったのでした。
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