第3話

 オルガンの音がしました。誰かの歌声が聞こえました。柔らかくて暖かみのあるその音色は、まるで水中で揺蕩うかのようで、ゆっくりと浮かび上ってゆくようでした。

「……彼女は我々とは少し考え方は違いましたが、神はそれでも共に居てくださります。いつかまた彼女と出会うその時には、信仰を共にし、歩んでいきたいと願います。それでは、最後に讃美歌を……」

「勝手に殺すな」

棺桶の縁に突然現れた死者の手に、周りからはちょっとした悲鳴が上がりましたが、死者はそんなことを気にせずよっこらしょと起き上がりました。

「あら五海さん、生きていたんですか」「殺し合いで死ぬかよ」「せっかくお葬式を用意しましたのに」「だから勝手に殺すな……」「あ、ありがとうございます皆さん。死者は生き返りました。」「死んでない……」

 首にロザリオをつけた敬語の少女は五海の葬式に参列していた人たちを見送り、ようやく二人は目が合いました。

「とりあえずは、私を拾ってくれた礼から言わないとな」「小町さんを怒らせるようなことをしたのですか?」「してねーよ、一緒に飲もうと思っただけだ。ほら、酒だって……あれ、無い」「最初から無かったですよ」「あの野郎、土産だけ持っていきやがった……と。」五海はまじまじとロザリオの少女を見つめました。

「なんです?」「いや、クララは普通だなと思って」「普通?」

 五海の要領を得ない言葉に、ロザリオの少女クララ・ムーラングレイスは首を傾げます。彼女もまた、元々五海の村だったところにいつの間にか現れていつの間にか居座っていた少女の一人であり、いつの間にか異教を布教してしまっていたのでした。

「クララの村の人たちもおかしいところは無いか? やたらと元気が無いというか、不安そうというか。」「軟体動物状態のあなたを見つけた方はとても不安そうでしたが」「そういうことじゃなくてだな……」

「いえ、冗談はよしましょう。私がお世話になっている村はいつもと変わりありませんよ。ただ」「ただ?」「確かに先日小町さんに会ったとき、落ち着きがないとは思いました。村の方にも聞いたのですが、宮津の方々もそうだったとか」「実は私の村も、稲荷もそうなんだ。小町の村人もいきなり弓を向けてきたしな。でもクララんとこは何ともないんだよな? 一体どうなってるんだ……」「気圧では?」「気圧か! アホか」

 暫く考え込み、クララが口を開きます。

「しかし、情緒不安定になるだけならまだしも、小町さんによって死者まで出ているわけですからね……」「死んでない」「このままだと、村同士の交流がなくなってしまったり、本当に戦争状態になってしまうかもしれないですね。」「そりゃ困る。小町は悪いやつじゃなかったから村を任せてたが、完全に独立されるとなっちゃ話は別だ」「どうします?」「羽衣で絞め殺される屈辱も味わってるしな……」

 五海は指の関節を鳴らし、ニヤリと笑って言いました。

「殴り込みだ」「やっぱり死んだんじゃないですか」「死んでない」

 いざ打倒穂母衣小町と意気込む五海に、クララが話しかけます。

「小町さんのもとへ向かうなら、私もお供しますよ」「本当についてきてくれるのか?」「もちろんです。今の状態の小町さんがこちらに攻めてこないとは言い切れませんし、見送った五海さんがまた軟体動物になってしまうのも寝覚めが悪いですし」「お気遣いありがたいね」「と言うことで、私も出来る限りの準備をいたしませんと。」

 そう言うとクララはごそごそと物置をあさりに行きました。

「しかしクララが手伝ってくれるとは思わなかったよ、ありがとう」「どうしてです? 私だって自分の身は大切です。降りかかる火の粉は払います。……薙刀ならあります、どうぞ。」「ああ悪い。いや、クララは時々神がなんたら難しいこと言っててよく分かんないし、私たちと距離置いてると思ってたからな。」「……そうですか。」

 間もなくクララが肩の埃をはたきながら出てきたところで、二人は連れ立って小町のもとへ向かうのでした。


「それにしてもさ」

 道中、沈黙が続いていたところを五海が口を開きます。

「『できる限りの準備』って言ってたけど、風呂敷とか何も持ってないよね。身一つで十分ってこと?」「いいえ、ちゃんと持ってきていますよ。」

 五海はまじまじと見つめますが、どう見ても何かを持っているようには見えません。

「どういうトリック?」「隠しごとが得意、とだけ言っておきます」「ミステリアスな女は魅力的ってやつか」「そうなのですか?」「……。」

「そういや小町のやつ、何も奪われるものかとか言ってたけど一体何のことだろ?」「小町さんは人間というより、稲荷さんみたいに神に近い存在だそうですから。大昔のことでも思い出したんでしょう。全部のことを気にしているときりがないですよ。」「そ、そうか」

 それからはまた沈黙が続き、二人は一定の距離を保ったままでした。

「……そろそろ私がやられた場所だ」

 ばきばきと全身を砕かれた、苦い思い出が蘇り、否応にも警戒してしまいます。そして、得てしてそういう不安は的中するもので。

「また来たのかい」

 待ち構えていたかのように、穂母衣小町はそこに立っていました。

「ああ、今度はさっきのようにはいかないよ」

 問題の羽衣は小町が身に着けており、煌びやかな衣装の背後でふよふよと漂っています。辺りを見回す限り、視界も開けておりどうやら他の村人を潜ませていることもなさそうで、薙刀を振り回すのにも問題はなさそうです。

「まともにやり合ったら私が勝つだろうぜ」

「今日は蛸が大量ね、あたしは蟹の方が好きだけど」

「蛸って蟹の天敵らしいよ」

 言い終わるが速いか、五海は一気に加速して間を詰め、得物をぶおんと振り回します。小町もそれを予想していたのかふわりと後ろに退き、ぽんぽんと膝にかかった砂を払いました。勿論五海もそれを黙って見ているわけがなく、突きを繰り出そうとしました。しかしその瞬間、小町が身に着けていたはずの羽衣が右腕に絡まろうとしていたのです。五海は慌てて飛び退き、それを回避しました。しかし羽衣はしつこく五海を狙い続け、捕縛を避けるので精いっぱいという展開になっていました。

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