第2話

 そんな日の翌日、稲荷が一色邸に赴くと、どうやら五海は外出の用意をしているようでした。

「あら五海、どこか出かけるの?」「ああ。ちょっと伊根の、小町んところに」

 小町とは名前を穂母衣(ほほろ)小町(こまち)といい、五海が治めていたはずの伊根地域にいつの間にか現れ、いつの間にか住み着いていた少女でした。

「小町んとこでは美味い地酒作ってるからな、ちょっともらいに行こうかなと思って。良かったら稲荷も行かない? あそこはカニも獲れるしな!」

 五海は既にその時のことを考えているようで、完全に浮かれている様子でした。しかし、

「この間斎との戦があったばかりなのに、逆侵攻とか気にならないの?」

 いつもなら喜び勇んでついてくるはずの稲荷はやけに深刻そうに尋ねます。

「斎? そんなの気にするなよ、あいつから攻めてきたことなんてほとんど無いし。大丈夫だろ」

五海はいつものように笑って返しますが、どうも稲荷は気になるようで、五海ははてと首をかしげます。

「じゃあ私は行ってくるから。心配なら、斎が攻めてこないか見張りをしててくれよ」「んー、そうする。なんか寒気もするし。山道通るなら気を付けなさいよ。何が出てくるか分からないし」「そんなに心配してどうしたんだよ?」「なんか気になるのよね」「……月一?」「バカタレ!」

結局、五海は稲荷を置いて出発したのでした。

 道中、ついでに村の様子も見て行こうと思った五海ですが、何やら違和感を感じます。心なしか、村人に元気がないような気がするのです。

「やあ、鍛冶屋のおっちゃん、調子どう? 頼んでたものは?」「ああ、五海ちゃんか……まだなんだ。ほんとにこの田舎で鉄砲なんてできるのかなって不安になっちゃって」

五海が鉄砲の作成を依頼している鍛冶屋の主人も、例に漏れず元気が無いようでした。

「おいおい頼むよおっちゃん、ひとつ完成すれば後は量産だってできるさ。それにひとつあれば、私が持てば無敵だよ」「そもそも、よそから来る商人から買えばそれでいいんだよな。もう俺が鍛冶屋やってる意味なんて無いんじゃないか……?」「おいおい、いつもの自信はどこにいったんだよ? ……もしかしてアレか? 私が斎に負けてばっかだから、宮津に引っ越しとか考えてるんじゃないよな? うわあごめん、毎回呼び出して! 次は勝つようにする! いや、今度からは2か月に一回くらいにするから! なんなら稲荷に手伝わせるように言うから、頼むから出て行かないでくれ~!」

励ましから徐々に懇願に変わってきてしまっていた五海の言葉に、暗い顔だった鍛冶屋の主人もついつい失笑してしまいました。

「ふふっ、いやあ、申し訳ない。出ていくなんてことはないさ。この村も住みやすいしね。さーて五海ちゃんに元気づけてもらったし、今日も一日頑張るよ。」

「ほ、ほんとか? ありがとう」

 ようやく笑顔を見せた主人に安心して、五海も思わず口元が緩みます。

「しかし今日はみんな調子が悪いみたいだけど、やっぱりこの間の戦の疲れがたまってるのかな」「普段はそんなに疲れが残ることは無いんだけどな……気圧かな?」「気圧か!」「気圧だ!」

この違和感の一定の答えを見つけた五海は先へ進むのでした。

そして五海は伊根への山道を進むのですが、やけに森が静かな気がします。いつもならば少しは鳥や獣が騒ぐ音がするはずだ、人が全くいないのも気になる、と普段気にならないようなことも、稲荷や村人たちの様子も相まって不気味に感じてしまいます。元々は自分の土地だというのに、すぐにでも森を出てしまいたいという気持ちはどんどん増していき、まだ日も高いというのにまるで月を怖がる子供のようにその背は小さくなっていました。

そしてようやく森を抜けようとして、気が抜けたところでした。

がさり。

と茂みから音がして、五海は声にならない悲鳴を上げるのでした。

「な、なな、何者⁉」

 尻もちをつき、なんとか絞り出した言葉の前に立っていたのは、

「な、なんだ。五海ちゃんか……」

 弓矢を構えた、五海も何度か会ったこともある伊根の村人でした。

「なんだじゃあないよ、いきなり人に向かって弓を向けるなんて」「何者かがうちの村に攻めてきたのかと……」「ここらへんはどの村の人間も顔見知りだろ? それに誰が攻めてくるっていうんだよ? 外から何か来たならきっと騒ぎになってるし。」「た、確かにそうかもしれないけど、どうしようもなく心配で……村のみんなもピリピリしてるんだ」

ふうむ、と五海は首を傾げます。稲荷や自分の村人たちはともかく、小町の村の人間までどこかおかしいのです。これはいよいよ、早く小町に会わなくてはならなくなりました。宴会どころの話ではないのかもしれません。先を急がねばと思ったところに、

「やはり来たか」

当の本人が現れました。

「よう小町、ちょうど今から向かおうと思っていたところだ。そっちの方から出迎えてくれるとは」「嫌な感じがしてもしやと思って見回りに来てみると案の定とはな、何の用だ」「おいおい、元々ここらは私の土地だぞ? 嫌な感じとは随分じゃあないか。今日は一緒に飲もうと酒も持ってきてるんだけど、稲荷たちと一緒で調子が悪いみたいだな。日を改めた方がいいかな」

 そう言って五海が引き返そうとすると、

「ああ、いや、すまなかった。少し気が立っててね……せっかく来てもらったんだ、歓迎するよ」

小町はくるりと態度を翻しました。

「そうか? それじゃあありがたくお邪魔するよ。悪いね。」「いや、悪いなんてことないよ」「だって、急いで来てくれたんだろう?」「?」「自慢の羽衣を忘れているじゃあないか」「ああ、羽衣はね……」

「ここにあるのさ」

 次の瞬間、五海の体を強烈な締め付けが襲い、地面に突っ伏していました。それはいつも小町が身に着けていた自慢の羽衣であり、今は五海の体をぎゅうぎゅうと締めあげていました。

「ど、どういうつもりだ」

「……油断させようとしてもそうはいかないよ。誰の指図かは知らないけど、私はどこへも行かないよ。何も奪われてなるものか!」

「ウ、ウグ、違う、話を」

「だからあんたが一人の今、殺す」

 小町が掲げた右手をぎゅっと握ると、五海の体中からみしみしと骨が軋む音が聞こえ、だんだんばきばきという音に変わってゆきました。

「ウ、グ、グ」

 五海はそのうち呼吸することすらできなくなり、意識はぷつりと途切れたのでした。

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