31:愛莉の魂



 ゲートにきつく抱きしめられながら、愛莉は全てを思い出していた。

 自分の滑稽さに、知らず自嘲の笑みが浮かぶ。

「ずっと探してたんです。あのときは団長の保護術に邪魔されて、魂を完全に奪えませんでしたから」

 耳元に聞こえる彼の声は、あの夜の男と同じ声だ。

 その茶色に近い金髪も、深く底の知れない緑の瞳も。

「まさかアイリちゃんの中に、あなたがいたなんて……」

〈?〉

 その言葉に違和感を覚えた。自分の中に、彼の言う〝あなた〟がいる? 

 それは間違いなく王女のことだろう。けれど、愛莉の中に王女はいない。

「ごめんね、アイリちゃん。俺、どうしても手に入れたい人がいるんだ。一目惚れでさ。その人を手に入れるために、君には申し訳ないけど、死んでもらうね」

 抱きしめられていた腕が解かれ、ようやく正面からゲートと目が合う。

 そこには酔い潰れていた彼はおらず、狂気を孕んだ瞳で愛莉を見ている。

 それを見返しながら、愛莉は微苦笑した。

〈まさか、ゲートさんにそんなこと言われるなんてね〉

 こんなときなのに、不思議と心は凪いでいた。

 自分を殺すと宣言した男が目の前にいるのに、怖いとはちっとも思わなかった。

(だって、信じてるもの)

 信じている。それは今も、昔も、変わらず一人だけを。

 愛莉を殺せるのも、生かせるのも、彼一人だけだから。

「ごめん、ごめんっ……、ごめんアイリちゃん」

 必死に謝りながらも、ゲートは術を展開させていく。

 あの夜と同じように、愛莉を中心として円形の陣が浮かび上がる。

〈ううん、謝らないで。謝るのは私のほう。ごめんなさい。あなたに気づいてあげられなくて。こんなことがなかったら、私はあなたを知らないままだった〉

「アイリちゃん? 何言って……」

 陣が大きく光る。術が発動していく。

 それでも愛莉は取り乱さなかった。

 むしろ困ったように首を傾けて。

〈やっぱり、わからないよね。だって髪色も、瞳の色も、顔つきだって、何もかもが違うから。でもね〉

 とん、とゲートの肩を押した。

 それまで大人しかった愛莉から反撃されて、油断していたゲートは地面に尻餅をつく。

 立ち上がった愛莉は、打って変わって、そんなゲートを不敵な笑みで見下ろした。

〈でもね、あの人はきっと、気づいてくれるよ〉

 そのときだ。

「――――エイレーネ様‼︎」

 待ち焦がれた人の声が聞こえたと思ったら、一瞬のうちに愛莉を守るようにゲートの前に影が立つ。

 その見慣れた背中を認めた途端、愛莉は思わず泣きそうになった。

 彼だ。やっぱり来てくれた。

 いつだって危ないところを助けてくれるのは、彼だった。

 そして、今も。

「残念だ、ゲート。最後まで信じたかったんだがな」


 *


「信じたかった……? はは、嘘っぽいなぁ」

 ヴァイオスからの言葉で、第五騎士団が揃いも揃って現れた理由に、ゲートは瞬時に感づく。

 ずっと当たり障りない関係を築いてきたけれど、今は取り繕う余裕を失くしていた。いや、目的のものを見つけたときに、取り繕う必要はなくなった。

 だから、ゲートはいつもの笑みをしまって、嫌悪も露わに顔を歪める。

「ほんと、嫌んなりますよ団長。あんたはいっつも大事なところで俺の邪魔ばっかりしてさぁ。そんな信じたかったんなら、最後まで信じてくれればいいのに。なのにどうして……どうして邪魔すんだよ! だからあんたは嫌いなんだ! なんでも持ってるくせに、彼女まで俺から奪っていく……!」

 ゲートが剣を構える。ヴァイオスも静かに倣った。

 最悪な展開だ。そう思う。

 本当はゲートが酔い潰れているのなら、そのまま穏便に拘束して王宮に戻るだけでよかった。

 けれど、駆けつけた先で見えたのは、ゲートが魔術を展開し、その中に見知った霊を閉じ込めているところだった。

 いや、あの瞬間。正直なことを言えば、ヴァイオスは別のものを見た。陣の中に浮かぶ愛莉が、なぜかエイレーネに見えたのだ。

 髪色も、瞳の色も、顔形さえ違うのに。

 重なった面影に、気づけば叫んでいた。

『エイレーネ様‼︎』

 自分で自分がわからない。けれど、今大切なのは己の疑問ではないと頭を振る。

 今やらなくてはいけないのは、道を外した部下を諌め、愛莉を守ることだ。

「バートラム、アイリにかけられた術を解いてくれ」

「お任せください」

「もう遅いっすよ。術はほぼ完成してます。あとはアイリちゃんの中から姫様の魂を取り出すだけです」

「アイリの中から? どういうことだ」

 てっきりヤケを起こしただけだと思っていたら、ゲートは何かの目的を持って術を展開させているという。

 それがどんな術なのか確認していなかったヴァイオスは、ちらりとバートラムに視線を送った。

「! 団長、まずいですぞっ」

 ヴァイオスの意図を汲み取って陣に描かれた術を読み取ったバートラムが、珍しく焦りの声をあげる。

「これは禁術……アイリ殿の魂を抜いております……!」

「なっ。急いで止めろ、バートラム!」

「は!」

 何人かの団員と協力して解術に挑む。そんな仲間を、ゲートはせせら笑うように眺めていた。

「だから無理ですって。言ったじゃないですか。俺が禁術を扱えるようになるために、どんだけ頑張ったと思ってんすか? そう簡単に解けてたまるか」

「一つ訊くが……おまえは結局のところ、何がしたいんだ? あの方を殺して、それであの方が手に入るとでも思ったのか?」

「ははっ。違いますって団長。それ彼女にも言われましたけど、俺は殺すつもりなんてないっすよ。ただその魂をいただいて、姫様そっくりの人形に移すんです。そうすれば彼女はいつまでも美しいまま俺の許にいてくれる! 人形の彼女なんて誰も相手にしない。誰にも奪われない。あの方は俺に頼るしかなくなる!」

 テオにも負けない狂気さで、ゲートは愉快そうに笑った。

 これにはヴァイオスだけでなく、他の団員たちも絶句する。仲間だと思っていた彼が、まさかこれほどの闇を抱えていたなんて。

 気づけなかった。だから、かける声を失った。

「本当はあの日、あの夜に全てが叶う予定だった! なのに団長、あんたが邪魔したんすよ。あんたの術のせいで俺はあの方の魂を見失った。探して、探しまくって、ようやく見つけたんだ……!」

 ゲートが真っ直ぐと指を差したのは、陣の中に閉じ込められていた愛莉だった。

 みんなの視線が一斉に集まる。愛莉はどんな反応をすればいいのかわからず、とりあえずへらりと苦笑してみせた。

 緊張感のないその態度には、誰もが呆気にとられる。

「さっきから思ってたけど、アイリちゃんもしかして、自分の置かれてる状況わかってない?」

 思わず尋ねたゲートに、愛莉はゆっくりと首を横に振る。

〈ううん、わかってるよ。そりゃあもう、とーーっても! つまりゲートさんは、エイレーネを独り占めしたくてこんなことしてるってことだよね〉

「それだけじゃないよ。そのために君を殺そうとしてるんだよ」

 淀んだ瞳でそんなことを言うゲートに、愛莉はやはり困ったように眉尻を下げた。

〈そっか。ある意味そうなっちゃうのかな。でも大丈夫! 私は死なないよ。それにね、残念だけど、エイレーネはあなたのものにはならないよ〉

「っ、アイリちゃんもそんなこと言うんだ? そうだよな、君も団長がいいって言ってたもんなぁ……ほんと、ムカつく!」

 ゲートが踏み出す。振り下ろされた剣をヴァイオスが受け止める。

「なんであんたなんだ! 地位も名誉も、何もかも持ってて。女だって選び放題だろっ。そうやって姫様から逃げてるあんたを、なんであの方は信じるんだ……! あんたが大事にしないから、だから俺はっ」

 そのとき、ヴァイオスに一瞬の隙ができる。ゲートは容赦なく蹴りを入れた。

 普段であれば、もちろん力量はゲートよりもヴァイオスのほうが上である。しかしゲートが吐き出した言葉は、ヴァイオスの痛いところを確実に突いていた。

 ――〝そうやって姫様から逃げてるあんたを〟

 ゲートの言ったことは正しい。逃げていた。ずっと、彼女の真っ直ぐな想いから。見て見ぬ振りをし続けていた。

 それができなくなったあの日のことを、ヴァイオスが忘れたことはない。

 その日は後悔の連続で。

 今でも思う。あのとき少しでも、自分が彼女と向き合っていたなら。あの夜、あんな悲劇は起こらなかったのかと。

「生意気に言ってくれるじゃないか、ゲート!」

 反撃する。二人の激しい剣戟に、けれどやはりヴァイオスに分があった。

 徐々に追い詰められていくゲートは、何を思ったか、愛莉に向けて氷の魔術を放つ。

「アイリ!」


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