28:告げずに終わる恋もある


 *


 愛莉は現在、有休を取ったというゲートを連れ出して、王都の観光どころを回っていた。

 ルヴェニエ王国一大きいというノストリッチ教会、ガルディア美術館、他にもマーケットや女性に人気のカフェなどなど。

 後味は悪かったけれど、それでも事件は解決した。あとはテオがエイレーネのことも素直に話して、エイレーネが目覚めれば、全てが解決万々歳だ。

 というわけで、暇そうなゲートを無理やり連れ出し、異世界観光と決め込んだのである。

 犯人が捕まったのなら、愛莉にできることはもう何もないから。

〈で、なんでミリアーナさんまで来たの?〉

〈あら、別にいいでしょ。私も暇なのよ。王宮にはおっかない人が戻ってくるから出て行ったほうがいいって、団長様に言われたし〉

 ああエウゲンか、と愛莉は遠い目をした。彼に追いかけ回されたことは、昨日のことのように思い出せる。

「そんなことよりさぁ、アイリちゃん」

 休憩がてら入ったカフェは、やはり人気店だけあって人が多い。三人――正確には一人と霊二人は、現在そのテラスにいる。

 季節は冬至ユールに向かい、日に日に寒さを増しているが、愛莉とミリアーナは霊だから寒さを感じない。

 ゲートも特に寒がってはいないようだ。他にもテラスでお茶を楽しむ女性たちはいるが、その誰もが平気な顔で談笑している。寒さに強い国民性なのだろう。

「これ、楽しい?」

 ゲートが涙目で訊いてきた。

〈楽しくない〉

 愛莉は即答した。ミリアーナもまた、うんうんと大きく頷いている。

〈私も同意見ね。つまんない。あんた女性にモテるんでしょ? そこらへんの女が満足できるようなものじゃなくて、いい女が満足できる場所に案内しなさいよ〉

「いやいや、これそういう問題じゃないからね? それ以前の問題だからね? なんで食べれないのわかっててこんなにケーキ頼んじゃったの⁉︎」

 テーブルの上には苺のケーキ、チョコのケーキ、オレンジのケーキ、チーズケーキと、種類豊富なケーキが並べられている。どれもこれも実に美味しそうな見た目だが、もちろん霊である愛莉とミリアーナは食べられない。

 そして側から見れば、その大量のケーキはゲート一人――つまり男が一人で注文したようにしか見えないのだ。

 そのため、先ほどから他の客による好奇な視線が、ちらちらとゲートに突き刺さっている。

「だから俺言ったのに〜。食べれないのに注文しても、なんも楽しくないよって」

〈……〉

 ゲートの言うことは最もだ。愛莉とて普段ならこんなわがままは言わない。人にお金まで使わせて困らせるなんて、愛莉の両親は娘をそこまで図太く育てていない。

 ただ、どうしてか無性に、やけ食いがしたい気分だったのだ。

〈うん、ごめんね、ゲートさん〉

 いや、どうしてか、なんて。

 そんなの、本当はわかりきっているのに。

「どした? アイリちゃん、もしかしてなんかあった?」

 愛莉の元気がないことに気づいたらしく、ゲートが苺のケーキにちょいとフォークを刺しながら尋ねる。

〈ううん、別に何も。何も……ない、よ〉

「えー絶対何かあったよねそれ。いつもの元気はどこいったの」

 周りからはひとり言を言っているようにしか見えないため、ゲートはますます好奇の視線を浴びている。

 愛莉はそれに気づくと、申し訳なさそうに眉尻を下げた。

〈ゲートさん、とりあえずこれ、お持ち帰りにしようか〉



 カフェを出た三人は、ゲート曰く穴場の広場にやってきた。そこは王都の中でも治安があまり良くないため、夜はほとんど誰も近づかない。

 が、ゲートは失念していた。

「あー、そっか。そういえばそうだった」

 夜は誰も近づかないが、昼はなぜか恋人たちの逢瀬の場になっていることを。

 軽く休憩できるベンチがあり、人通りも少なく、二人だけの世界に入りたいカップルにとってここは穴場なのである。周囲は開けているため、昼なら視界も良くそこまで危険なところじゃない。

 そしてゲートもまた、女性との逢瀬でここを訪れたことがあった。その記憶を元に「穴場」だと言ったのだが、誰にとっての穴場かをすっかり忘れていたのである。

「あー、なんと言うかその……」

〈あんたが欲求不満なのがよくわかったわ〉

 ミリアーナが半目になる。

 ゲートが慌てて弁解した。

「違うんだって。すっかり忘れてたっていうか。俺もこれは予想外というか!」

 広場には三組のカップルがいた。

 一組は二つあるうちの一つのベンチに座って、楽しそうに肩を寄せ合っている。他二組はここを囲むように植えられている木の陰で、随分と濃厚なキスを堪能しているようだ。

 愛莉はその二組に視線が釘付けになった。

 彼らは人に見られていても全く気にしないのか、はたまた気づいていないのか。どちらにしろ、日本人である愛莉とは感覚からして違う。自分なら恥ずかしくて外でキスなんて考えられないけれど、そんな彼らが今は羨ましくもあった。

〈……いいなぁ〉

 つい、本音が口からこぼれ落ちる。

「え、『いいなぁ』? アイリちゃん、キスしたいの?」

〈バカなのあなた。これはどう見てもそういう意味で言ってないでしょ。しかも心ここに在らずで、あなたの質問なんて耳に入ってないわよ、この子〉

 ミリアーナの言うとおり、今の愛莉の耳には何も届かない。

 ただぼーっと幸せそうな恋人たちを眺めている。

 ――羨ましいな。

 そう思うのは、好きな人ができてしまったから。

 そしてその好きな人に、別の想い人がいるからだ。

 両想いにはなり得ないから、そんな奇跡を起こした人たちが羨ましいと思う。

 しかもきっと、エイレーネはもうすぐ目覚めるだろう。なんとなくそんな予感があった。

(そうなったら、どうしようかなぁ)

 エイレーネが目覚めて、これを機に二人が互いの気持ちを打ち明けたら。

(物語によくあるやつだよ。困難を乗り越えて、想い合ってた二人が結ばれる。しかも身分差がある恋なんて、そりゃ盛り上がるに決まってるよね)

 恋は障害が多ければ多いほど盛り上がるという。

 エイレーネが目覚めたときが、物語としてのピークにあたるのだろう。

〈ほんと、どうしようかな〉

「どうしようって、何がー?」

 さすがに目の前で手を振られれば、愛莉も思考の底から浮き上がった。

〈ゲートさん、近い。離れて〉

「せっかく心配してあげたのにその言い草⁉︎ 酷くない⁉︎」

〈ねぇあんた、本当に女性にモテるの? なんか半信半疑だわ〉

「こっちも酷いんだけど……!」

 女二人から雑に扱われて、ゲートはどんよりと肩を落とす。顔だけなら、確かにモテるだろうと思われるが。

「あーあ、ほんと、なんでみんな団長ばっかなのかなぁ……。俺だってそれなりにかっこいいのに……強いのに……」

 ぶつぶつと呟くその姿は、とてもモテる男のものとは思えない。

「よっしゃわかった! 二人に俺のモテ姿を見せてあげよう」

 途端意味不明なことを言い出したゲートに、愛莉とミリアーナはそろって怪訝な顔をした。

 けれど、男の面子を保ちたいゲートは、ずんずんと歩き出す。

 やがて一行は、王都で有名な歓楽街へと来ていた。愛莉はそこがどういう地区なのか知らなかったが、なんとなく、周囲の雰囲気で察せるものがある。

 隣にいるミリアーナなんかはゴミ屑を見るような目でゲートを見ていた。

〈ちょっとあんた、モテるってまさか、娼婦に?〉

「そういう言い方はよくないよー。そんなの関係なしに、女性は女性だから」

 るんるんと足取り軽く歩いていくゲートの後ろで、ミリアーナが愛莉に耳打ちする。

〈どうする、置いてく?〉

〈でも帰り道わかんないよ〉

〈王宮なら私がわかるわ。私は入れなくても、あんたは入れるんでしょ? 送ってってあげるわよ〉

〈え、なんかミリアーナさんが優しい〉

〈うっさいわね。私だって優しくもなんのよ。特に……失恋したばっかの同性にはね〉

〈!〉

 内心の気持ちを言い当てられて、愛莉は息を呑んだ。

〈女の勘、なめんじゃないわよ〉

 ミリアーナがニヤリと笑ってくれたから、愛莉もつられて微笑をこぼす。ここで哀れに思われなかったことが、思いのほか愛莉の心を軽くした。

〈ね、せっかくだから、ついて行こっか?〉

〈はあ? あんたも物好きね。別にあの騎士様がモテてようがモテなかろうが、どうでもいいじゃない〉

〈でもかわいそうだし。ゲートさんを無理やり連れ出したの、私だしね〉

〈……ま、少しくらいなら〉

 客寄せの女性にさっそく捕まっているゲートを、二人は追いかけた。

 その鼻の下はだらしなく伸びきっているが、ゲートは誘いを断って進み続ける。まるで目的地があるようだ。

 愛莉はこの歓楽街こそがゲートの目的地だと思っていたので、不思議に思いながらもついていく。

 そうして辿り着いたのは、娼館でも何でもなく、この華やかな場所に似つかわしくないほど古びた建物だった。

 表には葡萄の蔓を描いた看板が吊るされていて、ここが酒場であることを愛莉にも教える。

 躊躇いなくその扉を開けたゲートに続き、愛莉とミリアーナも中に入った。

「いらっしゃ……ってあらやだ、ゲートじゃないの!」

 入ってすぐに店員らしき女性に迎えられる。その様子から、ゲートがここに来るのは初めてではないとうかがわせる。

 むしろ常連のような扱いだ。店員の声に気づいた別の女性二人も、同じように「本当にゲートだわ!」と嬉しそうに声を上げていた。

「久しぶりー。元気だった?」

「ええ。そういうあなたも元気そうね。でもしばらくは来れないんじゃなかったの?」

「まあねー。でも予定外に時間が空いちゃったから、久々に来ようかなって」

「ふふ。私たちはもちろん大歓迎だけどね?」

 どうやら最初に声をかけたのが店主のようで、入店したゲートを嬉しそうに囲んだのが店員のようだった。

 いや、普通の店員というには、その格好には際どいものがある。愛莉の元の世界でいうなら、まるで海外の踊り子のような衣装を着ている。

「ねぇゲート、せっかく来てくれたんだから、踊り見ていってくれるよね?」

「もちろん。この後はマヤが踊る感じ?」

「そうよ!」

「えー、ゲートが来てくれたなら、私ももう一回踊りたーい。ね、店長、いい?」

「まったくあなたたちは。まあいいわ。特別よ」

「やったー!」

 張り切る女性二人を見て、愛莉とミリアーナはぽかんである。ゲートが本当にモテている。

「ほら、俺もやればできるっしょ?」

 周りに聞こえないよう、小声で二人に自慢した。

 愛莉とミリアーナは互いに顔を見合わせると、もう一度神妙な顔つきでゲートを見やる。そして。

〈〈まあ、顔だけは……〉〉

 言われたゲートがテーブルに突っ伏したのは、言うまでもない。


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