22:迷える子羊たち



「あ、おはようございます団長ー。ってどうしたんすか。なんか顔色悪くないっすか?」

「おはよう。これはまあ……気にするな」

 第五騎士団の詰所に出勤すると、ゲートが一番に声をかけてきた。指摘されたことが情けなくて、ヴァイオスはさらに自己嫌悪に陥る。

「お、アイリちゃんもおはよー」

〈おはよう、ゲートさん〉

 後ろから聞こえた愛莉の声に、なぜか心臓がどきりと鳴った。

 いや、理由は明らかだ。ゲートに指摘された顔色の悪さだって、別に寝不足からきているものではない。

 なぜなら昨夜は、またぐっすりと眠れたからだ。

『――やっぱり寝てなかったね?』

 困ったように眉尻を下げた愛莉が、驚いて固まるヴァイオスにふらりと寄った。

『アイ、リ? なんでここに』

 エウゲンに見つかってしまってからは、もう愛莉はヴァイオスの部屋からは出て行っている。最初はそれを許さなかったヴァイオスだったけれど、ついに愛莉が本気でゲートのところに行こうとするものだから、それよりはマシだと考え空室の滞在を許可したのだ。

 ただもちろん、エウゲンに寝込みを襲われないよう、部屋には内緒で厳重な結界を張ったが。

 だから、愛莉がヴァイオスの部屋にいるのはおかしいのだ。他でもない彼女自身が出て行くと言って聞かなかったのだから。

『それがね、部屋で一人休んでたんだけど、なんか落ち着かなくて。ほら、私って暗いところ苦手だし? だからちょっと、おにーさんに甘えようかなって』

 愛莉が早口で言う。

 それが彼女の思いついた、一番無難で誤魔化せると踏んだ理由だったのだろう。

 彼女が自分を心配して来てくれたことなど、ヴァイオスには丸わかりだった。なぜなら、暗いところが苦手なら、もっと早くヴァイオスのところに来ていたはずだからだ。

 団員にもバレていないのに、どうやら彼女には自分が寝ていないことに気づかれてしまったらしい。

 まずそこで、ヴァイオスは情けない自分に落ち込んだ。年下の女の子に心配されるなんて、と。

『あの、ね? だから一緒に寝ても、い、いいかなっ?』

 ちょっとだけ裏返った声が、彼女がいかに緊張しているかを物語っていた。

 それがなんだか微笑ましくて。自分のために勇気を振り絞ってくれた彼女がかわいくて。

『……いいよ。おいで』

 気づいたら、受け入れていた。

 そこからはもう、いつのまにかぐうぐうすうすう快眠を貪っていて。まぶたの裏の〝彼女〟が、そんな自分を見て苦笑したような気がした。

(――駄目だ。おかしい。自分で自分がわからない)

 朝起きて、ヴァイオスは確信した。愛莉と寝ると、不思議と眠れることを。

 そして愛莉と眠るときだけ、〝彼女〟の表情が変わることに。

 朝、目が覚めて。

 隣に愛莉がいるのを確認すれば、我知らずほっと息をつく。前はエウゲンのせいで――正確にはユリウスのせいで――愛莉が隣にいなくて密かに落胆したことがあったから。

 でもこんな感情、持ってはいけないはずなのだ。

 自分が愛しく想っているのは、エイレーネ一人だけなのだから。たとえ叶わないとしても、想うだけは許されたいと、必死に物分かりのいい風を装ってもきた。

 女性から声をかけられれば応えて、王女をどうにかしようなんて微塵も考えていないことをアピールした。

 でなければ、間違いなくユリウスに飛ばされる。辺境の地に飛ばされて、彼女の近くで彼女を守れなくなるくらいなら、いくらでも自分の想いなど犠牲にしようと決意した。

 というのも。

 ユリウスは重度の妹好きで、妹の願いならなんでも叶えようとするけれど。

 それでも彼は、やはり王太子である。

 一国を背負う兄は、妹の結婚相手だけは自由にさせるつもりはないと淡々と語っていた。

「団長、今日は捜索範囲を広げるということでよろしいでしょうか?」

 呼びかけられて、思考の淵から戻ってくる。

「ああ。三つの町に分かれて捜索を行う。本命は被害者女性の故郷カナンの町だが、たぶんいないだろうしな」

「どうしてそう思われるんですか?」

 ラビスが首をこてんと傾けた。

 彼は愛莉が魔物に襲われかけたとき、ゲートと共に魔物を倒してくれた騎士である。栗色の短髪に、意思の強い琥珀の瞳が印象的だ。年は愛莉とそう変わらないくらいで、真面目そうな雰囲気を持っている。

 だからというわけではないが、ほとんど表情が変わらない。だいたい真顔か、きょとんと驚く顔しか見たことがない。

 そんなラビスの頭を、ヴァイオスがくしゃりと乱暴に撫でた。

「簡単だ。彼女にとって、カナンにいい思い出はないからだ」


 *


 愛莉は現在、王都ガルディアの中央市場に来ていた。

 円形の広場を利用したそこは、愛莉の元の世界でいう祭りのように、ぐるりと屋台がひしめき合っている。採れたての野菜、瑞々しい果物、ちょっとした雑貨やアクセサリー類。

 観光名所の一つにもなっているため、週に一度、ここは多くの人で賑わう。

 軽食を食べられる屋台もあるようで、円形広場の中央は、そういう人たちのために椅子やテーブルが設えられていた。

 誰もが笑顔で市場を楽しむ中、愛莉は一人、真逆の表情で市場を見下ろしている。

〈みんなして酷い! 私を除け者にするなんて〉

 そう、愛莉は今、一人なのだ。

 近くにはヴァイオスはおろか、第五騎士団員さえいない。

〈一番はおにーさんだよっ。バカ!〉

 ぷんすか文句を垂れながら、下を歩く楽しそうな人々を眺める。

 愛莉がここに一人でいるのは、ヴァイオスから王宮待機命令が下ったからだ。

『悪いが、今回愛莉は留守番だ。いいか、必ず俺の部屋かおまえの部屋にいろよ』

 そう言って、彼は部下を連れて捜索に行ってしまった。

 理由は説明してくれなかった。だから、愛莉は嫌な妄想を広げてしまう。

(どうせもう、私なんか用済みってことなんでしょ)

 なぜなら、愛莉が目撃した被害者女性が誰だったのか、ようやく判明したからだ。それは元娼婦の、普通の町娘だった。

 あとはその女性の霊がどこにいるかさえ掴めれば、事件は大きく解決に向けて動き出すことだろう。

 愛莉の〝見たことを思い出す〟という役目は、もう終わったのである。

〈でも、用済みになったんだったら、そう言ってくれればいいのにっ〉

 言われたら言われたで傷つくだろうに、今の愛莉はそんな捻くれたことを思ってしまう。中途半端に置いていかれて、なんだかもやもやしている。

 けど本当は、きっといつだって、彼に必要とされていたいのだろう。

〈いいよ、おにーさんがそうなら、私だって勝手にするんだから。別に私、おにーさんの部下じゃないし〉

 命令を聞く義務など愛莉にはない。

 ということで、愛莉は街にやってきた。

 今日は休暇のゲートを共犯にしようかと思ったが、彼は彼でさっさと女性とのデートに出かけてしまった。その後ろ姿にハゲろと呪いを吐いてやったのは言うまでもない。徹夜続きだったくせに、そういう元気だけはあるゲートに、感心すればいいのか呆れればいいのか。

〈あぁぁ、美味しそうな匂いはするしかわいい雑貨もあるのに……眺めてるだけなんて〉

 せっかくゲートの後を尾けて出た街で、楽しそうな市場を見つけたというのに。愛莉では買えない。触れない。食べられない。

〈ゲートさんは見失っちゃうし!〉

 おかげで帰り道はどうしようと悩む。ただ幸いにして、王宮は少しだけ街よりも高い位置にあるので、空を飛べる愛莉なら帰ろうと思えば帰れるだろう。

 そのかわり、王宮が見えなくなる範囲には行けなくなってしまったけれど。

〈……範囲は狭くなっちゃったけど、仕方ないか。よし、頑張ろ〉

 気合いを入れて頬を叩く。

 愛莉の本当の目的は、何も街の観光なわけじゃない。偶然見かけた市場に心惹かれたのは確かだけれど、もともと愛莉は人を探すために外に出た。

 そう、事件の被害者女性――ミリアーナの霊を。

〈ミリアーナさーん、どこにいますかー? いたら返事してくださーい〉

 霊になって便利だと思ったのは、まず空を飛べること。次にどれだけ大声を出しても、ほとんどの人が気づかないこと。おかげで愛莉がどんな奇行に走ろうと、魔力持ち以外は気づけないのである。

 市場を抜けて、住宅街に入る。喧騒が一気に収まって、視界を埋め尽くしていた人の数もがくんと減った。

〈ミリアーナさーん、お仲間ですよー。私も幽霊なんです。一緒にお茶しませんかー〉

 なんとも馬鹿丸出しの誘い文句を叫びながら、愛莉はふよふよと適当に飛び回る。

 王都の捜索はすでに第五騎士団が終わらせており、高確率で空振りになる可能性がある。それでも、何もしないで王宮にいるよりは、わずかな可能性にかけてみたかった。

 たぶんそれは、下心もあったのだろう。

 もし愛莉が、ミリアーナの霊を見つけたら。きっとヴァイオスが褒めてくれる。

 彼を諦めなきゃいけないとわかっていても、恋する乙女はどうしてか矛盾した行動を選んでしまったというわけだ。

 たとえ見つけたその先に、恋敵が待ち受けているとしても。

〈ミリアーナさーん。どこですかー? 今ならお茶のお供に、チョコレートつけちゃいますよ。美味しいですよー〉

 やはり馬鹿丸出しの呼び込みに、しかし、引っかかった者がいた。

「あ、あの〜」

 遠慮がちなその声は、愛莉の下方から聞こえてきた。

 青年のような声だったので、初め愛莉は自分に言われているとは気づかなかった。なにせ、探しているのは女性の霊だ。高い声にしか興味はない。が。

「あの、あなたです。そこの浮いてる幽霊さん」

〈……え? ん? もしかして、私?〉

 幽霊さんという言葉に反応して、愛莉がようやく下を向く。

 そこには一人の青年がいた。亜麻色の髪は清潔に整えられており、髪と同じ色の瞳は大きくもなく小さくもなく。

 愛莉の反応に苦笑するその顔には、わずかにえくぼができている。

 ひと言で表すなら、地味顔だ。可もなく不可もなく。周囲に一瞬にして溶け込めそうな、そんなどこにでもいそうな見た目。

 どれくらい互いに見つめ合っていただろう。ようやく愛莉が我に返った。

〈あなた、私が視えるの⁉︎〉

 愛莉がすぐに言葉を返せなかったのは、まさしくそのせいである。まさか、騎士団以外の魔力持ちに出会うとは。

「えーと、視えるよ。これでも一応、第五騎士団志望の魔力持ちだから」

 照れくさそうに笑う彼は、不思議と人を癒す空気を持っていた。


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