21:面影に苛む


 と、そこで全てが丸く収まればよかったものの、収まるはずがなかった。

 不機嫌を隠すことなく前面に押し出すヴァイオスに、どうしてエウゲンに追われる羽目になったのか、事の始終を詰問されたからである。

 しかし愛莉としては、きっかけは正直わからない。

〈だって、エウゲンさんがいきなりおにーさんの部屋のドアを開けてきたんだもん〉

 愛莉がそう言うと、団員全員の視線がヴァイオスに注がれた。

 まるで「団長のせいじゃねーか」みたいな眼差しに、ヴァイオスは本気で心当たりのない顔をしていた。

 結局、エウゲンがヴァイオスの部屋を訪れたのは、どうやらユリウスのせいだということが判明する。

「なかなか成果を上げてくれないから、やきもきしてね」そう言った彼に殺意が芽生えたのは、たぶん愛莉だけではない。

「あの人はふざけてるのか⁉︎ いくらなんでもエウゲンをけしかけるなんて、たちが悪すぎる!」

 全くだ。愛莉もこくこくと頷いた。

 ユリウス曰く、けしかけたのは脅しの一環だったとか。笑顔でそれを告げた彼に、言われたほうのヴァイオスを止めるのが大変だったと、同じ場でそれを聞いていたバートラムが涙ながらに語った。

 しかしそこまでなら、愛莉はユリウスを怖い人と認識して終わるだけだっただろう。そうならなかったのは、ひとえにバートラムからこっそりと教えてもらった、彼からの伝言が原因だ。

 ――〝これでもう、君は自由だね?〟

 はっとした。その言葉を聞いて。

 なぜなら、彼がこんな事件を起こしてくれなかったら、愛莉はずっとヴァイオスの部屋の中か、ヴァイオスやバートラムにくっついていなければならなかったから。それがやっぱり申し訳なくて。

 だから愛莉は、ユリウスを嫌いにはなれなかった。

「嬉しそうだな、アイリ。そんなに俺と離れたかったのか?」

 ぶすっとヴァイオスが唇を尖らせる。

 心外だと手を振った。

〈違うよ! そういうわけじゃなくて、これでおにーさんたちが余計なことに神経使わなくてよくなるから、私としてもよかったなって〉

「ふーん、どうだか」

 一向に機嫌が回復しない彼に、愛莉はどうしたものかと悩む。

〈ねぇ、なんでおにーさん、こんなに怒ってるの?〉

 周りにいる団員たちに問いかけてみるも、みんな「さあ?」との返事しかしてくれない。それよりも、再開された被害者探しに夢中のようである。

 ヴァイオスも同じように被害者を探すため、その視線は机に向かっているはずなのに、なぜか愛莉への詰問は終わらない。

「ほっほ。気にせずともよいですぞ、アイリ殿。団長は拗ねておるだけですからな。アイリ殿がレディントン殿に『かっこいい』と褒めたことを」

〈ええ? でもあれは、別に深い意味なんてないよ? 短いほうが男性としては似合うなって。好みの問題というか〉

「チッ、なら切らなきゃよかった」

 ヴァイオスの不機嫌オーラがさらに増した。

 けど、愛莉としては訳がわからなかった。たとえ愛莉がどういう意味でエウゲンを褒めたのだとしても、ヴァイオスには全く関係ないはずだ。

 これではまるで、ヴァイオスがエウゲンに嫉妬しているみたいではないか。

(え、ええ〜? それこそない、ないないありえない)

 そう思いながらも、顔にはほんのりと熱が帯びていく。

「アイリ? なんでそこで頬を染める? 今何を思った?」

〈べ、別にっ? それよりほら、早く被害者さん見つけよう? ねっ〉

 そうして寝る間も惜しんでデータと睨めっこした結果、被害者が見つかったのは、この二日後のことだった。


 *


 ばふ、とベッドにダイブする。

 疲れた。今のヴァイオスが呟くならこのひと言に尽きるだろう。

 予想していたとおり、被害者と思われていた女性は、最近被害に遭うことが多かった貴族女性ではなく、平民の女性だった。

 彼女には失踪届も死亡届も出されておらず、天涯孤独だったことが判明している。しかし、彼女のことを知る人間はもちろんいて、聞き込みの結果、彼女には恋人がいたことが明らかになった。

 でも、数日前から、その恋人共々姿を見かけなくなったのだと。

(駆け落ちってのは、周りに許されない恋をしたからこそするものだ)

 だから、これは駆け落ちなんかじゃない。

 聞き込みを行った住民たちは、みんな呑気にそう言っていたが。

 周囲は彼らを祝福していた。温かく見守っていた。

 相手の男も、別に貴族というような身分ある者ではなかったらしい。

(となると、怪しいのはその男なんだが)

 これがまた厄介で、いくら聞いて回っても、誰も男の素性を知らなかったのだ。男がどこの生まれで、何をしていて、どこで暮らしているのか、人々は誰も聞いていなかった。

 ならせめて、二人の思い出の場所などを知らないかと尋ねれば、近くの公園がそうだと言う。二人はいつもそこで待ち合わせをしていたらしい。

 でも、そこに女性の霊はいなかった。

「もう、半月か」

 ぽつりとこぼれたのは、エイレーネが倒れてから経過した日数だ。その間、ヴァイオスはほぼ毎日エイレーネの許を訪れている。

 今日こそは目覚めるのでは。

 指先一本でも動くのでは。

 もしかしたらまぶたを震わせるかもしれない。

 そんな期待を持って訪れては、粉々に砕け散って帰っていく。

「はぁ……」

 仰向けに寝返りを打つ。目元を腕で覆って、そっとまぶたを閉じた。

 こうすると、いつも脳裏にエイレーネが浮かぶ。彼女が倒れたと聞いたその日から。

 そしてそれは、決まって同じ日の彼女だった。

 今にも泣きそうな顔で彼女が笑う。

 ――〝ねぇ、ヴァイオス〟

 気丈に振る舞おうとしているのがこちらにも伝わってきて、ヴァイオスの心に痛みが走る。

 ――〝振るなら、ちゃんと振って。私にあなたを諦めさせて〟

 そんなことを言わないでくれ。そう叫び出しそうになるのを、血が滲むまで唇を噛んで耐えた。

 何も言わない自分に、彼女は愛想を尽かしただろうか。

 けど、どうして言えるというのだろう。

 好きなんて言葉で片付けられるほど、この想いは優しいものじゃない。まだ見ぬ彼女の婚約者に嫉妬するほど、気が狂うように愛しているのに。

「俺を責めますか。だからあなたは、敵の手に落ちたのですか」

 その問いかけに、もちろん応えなどあるはずもなく。

 ああ、今日も眠れないなと。

 彼女が倒れたその日から、いつも脳裏に浮かぶ彼女が、自分を責めるように見つめてくる。

(でもそういえば、あのときは久々に眠れたな)

 事件解決の協力者である、愛莉と名乗った少女と眠ったとき。

 あのときは、それまでの睡眠不足も合わさって、ヴァイオスは間違いなく思考力が低下していた。でなければ、いくら霊とはいえ、一緒に眠ることなんてしなかっただろう。誰かと共に寝るというのは、昔から苦手だったから。

 しかし、愛莉を抱きしめて眠ったときは、不思議と熟睡できたのだ。それをエウゲンに邪魔されたとわかったときは、胸の奥が冷たく凍えたけれど。

(何をしてるんだ、俺は)

 ここ最近の自分がおかしいことなんて、ヴァイオスはとっくに気づいている。

 やたらと愛莉を構いたがるし、愛莉に他の男が近づくと苛々が止まらない。

 昔から意味もなく突っかかってくる苦手なエウゲンのことを愛莉が〈かっこいい〉と言ったときには、その口を塞ぎたくもなった。

(ほんと、何がしたいんだか)

 なんとなく、最初はペットのようだと思っていた。おいでと言えば飛び込んでくるし、頭を撫でれば嬉しそうに笑う。

 その素直な反応が〝彼女〟に似ていて、好ましいと思った。

(だからって、ちょっとそろそろ、考えないとな)

 何事も過剰はよくない。過剰に構いすぎて、あの少女を縛るのは間違っている。

 ましてや自分は、少女を利用しているのに。

(ああ、今日も、眠れないか)

 脳裏に浮かぶ、悲しげな彼女。その瞳がこちらを責めている。

「俺はどうすれば……」

〈うーん、とりあえず、寝ればいいんじゃない?〉

「⁉︎」

 慌てて飛び起きた。

 答えなど求めていないひとり言に、答えが返ってきた。しかも、たった今考えていた少女の声で。

〈やっほー、おにーさん。やっぱり寝てなかったね?〉

 困ったように笑った少女が、どうしてか彼女と重なった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る