19:噂の浄化師


 翌日、愛莉が目覚めた時も、ヴァイオスはまだ眠っていた。

 ので、そっとベッドから抜け出して、隣の書斎に移動する。

(昨日のおにーさんはおかしかったから、正気に戻ったらきっと驚いちゃうもんね)

 隣で愛莉が寝ていることに、彼はきっと酷く動揺するだろう。そう考えて、愛莉は早めに目を覚ました。

 というより、眠れなかったというのが正しいのだが。

(だってこっちは自覚しちゃったんだよ! そりゃ眠れないよ)

 ヴァイオスのことが好きだと、はっきり気づいてしまった。

 いや、気づかないふりができなくなるほど、いつのまにかその想いが強くなってしまっていた。

 今さら霊だからという言い訳は、なんの処方箋にもならないだろう。

(あああバカだバカだと言われ続けて五年。私って本当にバカだったんだね。ごめんね、当時は反抗したりなんかして)

 内心で懺悔する相手は、愛莉に中学からずっとそれを言い続けてきた友人Mである。当時、彼女の忠告を真面目に受け止め、改心していたらこんなことにはならなかったかもしれない。

(これからどうしよう。悪霊にならないために、早めに諦めないといけないけど、どうやって諦めればいいんだろ)

 最初から振り向かせるという選択肢がないのは、良くも悪くも、愛莉は自分の置かれた状況を冷静に理解しているからだ。

〈うーーん〉

 考え事をしながら、宙でくるくると回る。

 じっとしていられないのは、彼女の元からの性格だ。

〈よしっ〉

 ぴたりと動きを止める。それが逆さまだろうと気にしないのは幽霊うんぬんパート2。

 とりあえず、今日からもバートラムの筋肉にお世話になろう。その結論に達したところで、がちゃりと扉が開いた。

 寝室との続きの扉、ではなくて。

 開いたのは廊下に繋がる扉だった。

「…………」

〈…………〉

 え、ノックは? という礼儀正しい疑問は、しかし口に出せなかった。

 勝手知ったるように扉を開け、なんの遠慮もなく部屋に入ろうとしてきた人物が、常人つねびとには視えないはずの愛莉を凝視してきたからだ。

 それが第五騎士団員の誰かだったら、愛莉は何も思わなかった。

 それが顔見知りのユリウスだったら、やはり愛莉は何も思わなかった。

 けど、それが全くの初対面で、背景にきらきらを撒き散らす絶世の美人とくれば、愛莉はごくりと喉を鳴らした。

〈ハ、ハロー……ハーワーユー〉

 なんちゃって。

 でも相手に冗談は通じなかった。

「っ、術式展開!」

〈えっ、ジュツシキテンカイ? なにそれやばそうな響き!〉

 慌てて逃げる。でも、この部屋の逃げられるところなんてたかが知れている。

 隣室にはヴァイオスがいるから、愛莉は最初からその逃げ道を捨てていた。ようやく休息が取れている彼を起こしたくはない。

 とくれば、愛莉の逃げ道はただ一つ。窓の外だ。

〈これも幽霊業に慣れてきた証……!〉

 意味のわからないことを叫びながら、窓をすり抜け外に出る。

 これでほっとしたのも束の間、なぜだか悪寒がして振り返ると。

「待てッ、王宮に忍び込んだ不届き者め!」

〈ぎゃーっ、なんで飛べるのあなた!〉

 窓を開け、愛莉と同じように空を飛ぶ美人が、諦め悪く追ってきていた。

 そこでその美人の着ている服が、ヴァイオスたちと同じ形の、けれど白で整えられていることにようやく気づく。

 つまり、その正体は。

〈浄化師⁉︎〉

「私を知っているか。なら話は早い。さっさと浄化してやろう」

〈むりむりむり! お願いだから見逃してーっ〉

 空はだめだと本能で悟り、愛莉はまた壁抜けをして建物内に入る。

 ただそこは、ヴァイオスの部屋ではなく、また別の部屋だった。といっても、何の部屋なのかは愛莉が知るはずもなく、ただがむしゃらに逃げ惑う。

 抜けて、抜けて、また抜けて。

 が、美人もなかなかどうして、しつこかった。

「どうせあの男に惚れて、振られた未練でもあるんだろう。だが昇天すればそんなものも忘れる。浄化されて楽になりたいとは思わないのか」

〈思いませんから放っといてーっ〉

「この私が直々に気持ちよく昇天させてやると言っているのにか。遠慮は不要だ」

〈遠慮じゃないしそれ別の意味に聞こえるからやめて⁉︎ 危ない扉を開きそう!〉

 まさか美人の口から卑猥とも取れる言葉を聞いてしまうとは。なぜかちょっと赤面してしまう愛莉である。

 彼女の様子から、言った本人もその意味に気づいたようで。

「ば……っ、そういう意味じゃない!」

 こちらも顔を真っ赤にさせた。どうやら愛莉よりも初心なようである。

「なんて破廉恥な娘だ!」

〈いやわかってますよ⁉︎ 女同士ですからね! でもあなたの言い方も悪いと思ったり思わなかったり!〉

「ああん⁉︎ 今なんて言った! 言っておくが私は――男だ‼︎」

 ぴた、と思わず止まる。

 恐る恐る振り返れば、眉をこれでもかとつり上げた美人がそこにいる。ただの美人ではない。絶世の、美人である。

 長い銀髪はさらさらで、高い位置で一つに括っている。瞳は氷のように透き通る薄水色で、愛莉よりもぱっちりとしていて大きい。口は小鳥のように小さくて、笑えば間違いなく上品な印象を相手に与えることだろう。

 どう見ても、女の人だ。中性的ではあるけれど、細い身体もそう思わせるのに一役買っている。

〈嘘はやめてください。あなたが男性だったら私、泣きますよ〉

 真顔で言う。心の底からの本音だった。

 こんな美人が男とか、もったいないにもほどがある。

「嘘などつくか! 貴様……私が女に間違われるのを嫌っていると知っての狼藉か⁉︎ 昨日も軟派な男が間違えてきて……っ。この屈辱を思い知れ!」

〈ちょ、それ八つ当た、り⁉︎〉

 突然が足元が光ったと思ったら、そこに陣のようなものが現れる。愛莉にはよくわからない文字で書かれたそれは、漫画やアニメでよく見る魔法陣のようで。

〈ものすごく嫌な予感……!〉

 勝手に円の中心にさせられていた愛莉は、急いでそこから出ようとする。

 しかしそれを許さないとばかりに、陣から無数の白い〝手〟が伸びてきた。ホラーだ。恐怖だ。化け物だ。

〈やだやだ離して何これ⁉︎〉

 実体のない自分の足を捕らえ、腰に巻きつき、徐々に首元まで伸びてくる。

 ずん、と久しぶりに重力のようなものを感じたと思ったら、その数多の手が、愛莉を陣の中に引きずり込もうとしているではないか。

〈や……ちょっと! 私まだ死にたくないのに! 助けておにーさんっ〉

 無意識に求めたのは、恋しい人。

 想いに気づいたばかりなのに、お別れも言えないまま消えるなんてあんまりだと思った。

「怖がる必要はない。それは貴様を天へと連れていってくれる」

〈そんなの望んでない! おにーさんがいないなら、天国なんて行きたくない!〉

「哀れな。このままではいずれ悪霊となるのだぞ? そうなる前に美しい思い出を持ったまま逝くのが幸せだと、なぜわからない?」

〈そんなの知らない。美しい思い出とか、どうでもいいし!〉

 恐怖の中に、だんだんと怒りが沸いてくる。人の話を全然聞いてくれない目の前の男に、言いようのない苛立ちが募っていく。

 ヴァイオスたちが注意していたのはこういうことかと、激しく納得した。

 ここまで自分の行いを善として疑わないのも、ある意味すごいと思う。

 でも、おかげで力が湧いてきた。怒りが原動力となり、愛莉は白い手に反抗する。

〈ふんっ、ぬぅぅう〉

「無駄な足掻きをするな」

〈するにっ、決まってんじゃない無駄美人んんん〉

「まだ言うか! 抵抗すればするほど、苦しむのは貴様だぞ!」

〈そういうのいいからちょっと黙ってて! ここが踏ん張りどころ、なん、だからぁ……っ〉

 手に力を入れて、腹に力を入れて。白い手を振り払うように足をばたつかせる。

 そこでふと思いついたのが、クロールだった。愛莉は全力のクロールでもって、白い手の拘束から逃れようとする。

 今だけは周りの目など気にしていられない。どんなにシュールな光景だろうと、消えるよりかはマシである。

〈絶対ぜったい、生きて、おにーさんのところに帰るんだから――!〉


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る