17:結局惚れてました、なんて
愛莉の役目は、目撃した霊の特徴を書き出し、団員が見つけ出したその条件に合致する人間の登録データを見て、それが当たりか否かを判ずることだ。
驚いたのは、日本のようにカメラや写真という技術がないこの世界でも、魔術による顔の登録は可能なようで、基本的には国民の管理がしっかりとなされているとのことだった。世界の中でもトップクラスのルヴェニエ王国だからこそ、できることなのだとか。
そういうわけで、通暁の作業を三日と続けていたところ。
さすがに脱落者が出始めた。
「もう……だめだ……。みんな、あとは頼んだ」
「おいふざけんなっ。誰かが倒れたら、残されたほうはどうなると思ってる!」
「そうだ。まだやれる……まだ、やれ……ぐぅ」
「寝るんじゃねぇぇえ! 起きろ馬鹿野郎!」
ある意味修羅場と化した第五騎士団を、愛莉は同情の眼差しで見やる。
むしろ彼らはよくやっていた。愛莉がもし生身の人間だったなら、三日三晩も徹夜なんて絶対にできない。間違いなく途中でリタイアしているはずだ。
しかし幸か不幸か、今は霊である。霊も寝ることは実証されたが、寝なくても案外平気なことが、この三日で実証された。
とうとう頭がおかしくなってきたのか、団員たちが意味のない乱闘をおっ始める。
それでも一人冷静なのが、バートラムだ。彼の逞しい腕にぶら下がりながら、愛莉は彼に話しかけた。
〈バートラムさんは眠たくないの?〉
「もちろんですぞ。そんな柔な鍛え方はしておりませぬゆえ」
ふんぬ、と腕の筋肉に力を入れる。ぐんと盛り上がったそれに、愛莉は〈おおっ〉と喜んだ。
この三日。愛莉もほとんど寝ていない。つまり、バートラムが湯浴みやら何やらと席を外す以外は、常に彼と共にいた。
そうなってくれば、愛莉もこの隆々とした筋肉に慣れてくるというものだ。そして次第に筋肉を楽しむことを覚えた。
今ではバートラムの筋肉で遊ぶのが、愛莉の中の流行である。彼もまた面倒見がいいのか、嫌な顔一つせず愛莉に応えてくれる。
「アイリ殿、この人物はどうですかな。長髪、華奢、高い身長、年齢も若く、条件には合っております」
〈うーん。ちょっと違う気が。昨日も言ったけど、前髪も長かったんだよね〉
「ふむ。そういえばそうでしたな」
そうしてまた、別の顔データを漁り始める。
愛莉が被害者と思われる霊を見たのは、ちらりとだけだ。だからそのせいで、細かい特徴まで彼女は把握していなかった。
彼らの捜査が難航しているのは、それが原因だ。探し当てる条件に幅がありすぎた。
女性。長髪。線は細く、背は愛莉よりも高い。ぱっと見た感じは若く、おそらく髪色はプラチナブロンド。白に近い金髪だ。そんな人間はたくさんいる。
団員たちの乱闘が、いつしか物の投げ合いに移っていた。頭上で色んなものが飛び交う中、愛莉は扉を見ながら呟いた。
〈ねぇ、バートラムさん。おにーさん、まだ戻ってこないね?〉
「ですな。あの団長といえど、さすがに今回は溜め込みすぎましたからなぁ」
〈普段からあんな感じなの?〉
「まあ、たまにですがね。自分の出来る範囲で仕事を残して抜け出すのです。その加減がまた絶妙でして。ある意味あれも才能ですな、はっはっは」
〈び、微妙な才能だね。でもじゃあ、なんで今回はあんなに溜め込んじゃったの?〉
今度は円回内筋にぶら下がりながら訊いてみる。
愛莉としては気軽に尋ねた質問だったが、バートラムが答えを躊躇った。それに違和感を感じていると、なぜかじっと見つめられた。
〈あの?〉
「……アイリ殿は、今回の事件の被害者について、何か聞いておりますかな?」
突然の質問に戸惑いながらも、とりあえず頷いておく。
「ではその中に、高貴なお方がいたことも?」
〈聞いたよ。王女様でしょ?〉
「はい。実はその王女殿下と団長は、とあるきっかけから親しくしておりましてな」
〈親しく?〉
嫌な予感がした。これは聞かないほうがいいやつだ。女の勘がそう言っている。
けど同時に、気になっている自分もいて。
「ええ。七年ほど前でしょうか。王女殿下がお忍び先で、悪霊に襲われそうになったことがありましてな。それを助けたのが、当時はまだただの団員だった団長だったのです。それからお二人はよく話すようになり……。これはおそらくほとんどの人間が気づいていないでしょうが、私が思うに、お二人は想い合っていたのではないかと」
ああ、やっぱり。
そんな思いが胸の内に広がる。やっぱり、ヴァイオスは。
(そっか。そう、だよね。だってなんか、そんな感じはしてたし)
嫌な予感ほどよく当たる。愛莉は昔からそうだった。
鉛を流し込まれたように、胸がずんと重くなった。
「そのせいで、王女殿下が倒れられたと聞いた時は、それはもう大変でした。しばらくお会いになっていなかったようで、それもあったのでしょうな、団長は酷くご自分を責められて。そばで守れなかったことはもちろん、自分がさっさと事件を解決していれば、と」
ですが、とバートラムが続ける。
「仕方のないことだったのです。これは団長を庇うわけでも、言い訳をするわけでもございませんが、全てにおいて圧倒的に時間が足りなかった」
うん、と愛莉は静かに相槌を打つ。
「一応、他の団員たちには心配をかけないよう気丈に振る舞ってはいるようですが、団長は今でも夜は寝ていないみたいでしてな。通常業務があんなに溜まったのも、王女殿下を害そうとした犯人を血眼になって探しているからなのです」
だから、普段は溜め込まない仕事が、雪崩を起こしそうなほど溜まってしまったのだとか。
そんな事態を招くほど、ヴァイオスはエイレーネのことを想っている。その事実がたまらなく嫌だと思った。
思ったからこそ、愛莉は降参した。
(バカだなぁ、私。結局好きになってたなんて)
馬鹿以外の何者でもない。大馬鹿者だ。
自分でもわかっていたはずだ。恋をしても、叶わないことくらい。
そもそも自分は霊なのに。
〈でも、おにーさんは女性関係がふしだらだって、ゲートさんが言ってたよ〉
だからどうしてそんなことを言ったのか、愛莉は自分で自分がよくわからなかった。もしかしたら、ヴァイオスに本命がいるよりも、まだ遊び人であってくれたほうがいいと諦めの悪い自分がいたからかもしれない。
ただの遊び人なら、彼の心はまだ誰のものでもないからと。
けどそんな自分を認めたくなくて、愛莉は目を背けた。
「ふむ。これは私の主観ですが、よろしいかな?」
そう前置きをして、バートラムが言う。
「おそらく団長はわざとそうしているのでしょう。たとえ想い合っていたとしても、相手は一国の王女殿下であらせられます。団長は伯爵家の生まれで、ましてや次男。身分差を気にされたのでしょうな。ですから、王女殿下を諦めるために――」
〈ストップ! そっか。うん、よくわかったから、それ以上は、大丈夫〉
それ以上は、心が激痛で悲鳴をあげそうだ。
だってそれではまるで、ヴァイオスが本気で王女に惚れていることになってしまう。
(違う。〝まるで〟なんかじゃない。おにーさんは本気で……)
まだ見ぬ王女に――エイレーネ・アンナ・ルヴェニエという女性に、愛莉はこのとき、確かに嫉妬した。
あの魅力的すぎる彼に一心に想われているだろう女性に、間違いなく悋気した。
だから、思ってしまった。ほんのわずかでも、人として最低なことを、愛莉は考えてしまった。
(このまま王女様なんて、目覚めなければいいのに……)
思ってすぐ、ハッとする。
(私いま、何を思って……!)
自分で自分が信じられない。自分の思考に恐怖した。
愛莉のこれまでの人生は、良い意味でも悪い意味でも平凡だった。
だから、これほど強い感情に支配されたことは、今まで一度もなかったのだ。穏やかに人を好きになり、穏やかな付き合いを重ね、なんか違うねと穏やかに別れた。
誰かの不幸を望んでまで、誰かを欲したことはない。
なのに。
〈バートラムさん、どうしよう。わたしっ〉
「? どうされました、アイリ殿」
〈私……っ〉
そのとき、バンっとこの部屋の扉が開いた。
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