12:ザ・王子様



「へぇ、この子が君の言っていた浮遊霊か。ずいぶんとかわいらしい子だね?」

 上から順に、金髪、碧眼、薔薇色の唇。華奢な身体に白い肌。

 そう、これぞまさに。

〈王子様!〉

 後光が眩しすぎて目が痛い。

「あれ、僕のこと知ってるの? ヴァイオスからは遠方の国出身で、ほとんど何も知らないって聞いていたんだけれど」

 愛莉はきょとんとした。

〈え? どういうこと? まさか本当に王子様? 本物の?〉

 愛莉が叫んだ「王子様」は、いわゆる物語に出てくる王子様のことである。金髪碧眼イケメンなんて、王子様のテンプレートみたいなものだろう。

 けど、目の前のテンプレート王子は、愛莉の問いに「本物だよ」と爽やかな笑みを浮かべた。

「初めまして。僕はこのルヴェニエ王国の王太子、ユリウス・ロイ・ルヴェニエだ。君のことは彼から聞いているよ。そこで、僕も君にお願いをしようと思ってここまでわざわざ来たということだね」

 ユリウスの笑みが濃くなった。

 それを見て、愛莉は思う。こんなに圧のある笑顔、生まれて初めて向けられたと。

「わざわざ」というところを強調するあたり、無言の押しの強さを感じる。

〈えーと、こちらこそ初めまして。愛莉と申しますー……〉

 精一杯笑顔を作りながら、愛莉はすすすぅとヴァイオスの後ろに隠れた。

 それまで黙って二人のやりとりを見ていたヴァイオスが、少しだけ驚いたように愛莉を見る。

 一方ユリウスは、そんなアイリにニヤリと口角を上げた。

「ふぅん、なるほど。アイリは他人の感情に敏感なのかな? 初対面で逃げられたのは初めてだよ」

(だって本能が逃げろって言うから)

 今さらながら、不敬罪という単語が脳を過ぎった。しかし。

「ヴァイオス、面白いのを見つけてきたね。もし役に立たなかったらどうしてくれようかと思っていたけれど、うん、この子なら見逃してあげてもいいよ」

 その言葉にぎょっとする。なぜなら、誰が聞いてもそれは「役立たずだったら遠慮なく消そうと思っていた」と言っているようにしか聞こえないからだ。

 無意識にヴァイオスの服をぎゅっと握った。

「殿下、話が違いますよ。何もなかったらなかったで、振り出しに戻るだけです。そう伝えたはずですが」

「はいはい、相変わらずおまえは優しいね。だから懐かれてるのかな。けど、優しすぎて犯人にまで温情を与えるなんて、してくれるなよ?」

 ユリウスが鋭く目を細める。

「もちろんです。何が何でも見つけ出し、死より恐ろしい絶望を味わわせます――必ず」

 そう言ったヴァイオスの瞳が、昨日よりくらく淀んでいるように見えて。

 あんなに綺麗な夕暮れ色の瞳だったのに、今は光を通さない底なし沼のようだった。

 胸がツキリと痛む。我知らず唇を噛んでいた。

 頭の中で、誰かが呟く。

 ――この人から光を奪うのは、だれ。

 ふつふつと沸き上がる感情は、たぶん、怒りだ。

 久々に感じるその感情に突き動かされるまま、愛莉はふらりと二人の間に割って入った。

〈あなたは、王子様なんですよね?〉

 さっきまでヴァイオスに隠れていたくせに、アイリの突然の行動に、ユリウスが意表を突かれたように目を瞠る。

 しかしすぐに微笑みながら首を傾げた。それがどうしたの? とでも言うように。

 それがまた、愛莉の怒りに触れる。

〈じゃああなたは、おにーさんの上司にあたる人なんですよね? だったら! 部下の状態は把握しておくべきじゃないんですか。私の国では、上司が部下をいじめるとパワハラっていうんですよ。パワーハラスメント! 自殺者も出るほどの国家問題なんですよ!〉

 本当は「いじめたら」ではなく、もっと正確かつかしこまった言い方があるはずだが、なにせ愛莉は学生止まりだ。ニュースで聞く以上の話は知らなかった。その意味だって、ぼんやりとしか覚えていない。

 でも、ヴァイオスの瞳から光が消えるのは、嫌だと思った。

 そしてその原因を、愛莉は目の前のユリウスだと決めつけたのだ。

〈上司ならねぇ、もっと部下を大切にしなさいよ! お父さんも言ってたんだから。上にばっかりゴマすって、下に無理難題ばっかり押しつける人はクズだって。あなたはどうか知らないけど、少なくとも今、おにーさんから光を奪ったのはあなたなんだから、謝罪を求めます!〉

 ビシィッと人差し指を向ける。一人怒りを露わにする愛莉と違って、ユリウスはぽかんと彼女を見つめていた。

 数秒間の沈黙のあと、愛莉はハッと我に返る。

〈しまった。人に指差しちゃった。そこはごめんなさい〉

 王太子に口答えした無礼ではなく、愛莉が我に返った理由はそれだった。

 すると、何を思ったのか、ユリウスが急に声を上げて笑い出した。

「ふふ、ふふふ、あははははっ!」

 びくりと肩を震わせる。ユリウス曰く他人の感情に敏感な愛莉は、その笑いが決して純粋なものではないと瞬時に悟る。

 ヴァイオスも不穏なものを察知したのか、愛莉を自分の後ろに隠そうと一歩前に出た。

「止まれ、ヴァイオス」

 それを制したのがユリウスだ。先ほどとは打って変わって、ドスの効いた声だった。

「これほど生意気な娘も初めてだよ」

 笑顔を貼りつけて、ゆっくりとユリウスが愛莉に近づいてくる。

 幽霊なのだから、彼の手の届かないところに飛ぼうと思えば飛べた。けれど、身体は全く動かなかった。まるで金縛りにあったみたいに。愛莉のほうが幽霊なのに。

「君は無謀と勇気の意味を履き違えているのかな?」

 白く細長い指が、愛莉の長い髪を一房とる。

 びくりと身体が反応しそうになって、愛莉は懸命に堪えた。

 彼女だって馬鹿じゃない。いや、馬鹿だ馬鹿だとはよく友人Mに言われていたけれど、本物の馬鹿ではない。

 自分がたった今反抗したのがどこの誰で、彼の肩書に間違いはないのだと、昨日一日の経験を通してわかっている。

 彼のお咎めが怖いなら、最初から反抗なんてしていない。それくらいの理性はちゃんと残っている。

 だから。

〈履き違えてなんかない。これは勇気だもん。おにーさんは私の恩人で、そのおにーさんが不当に扱われてるのを黙って見過ごすほど、私は落ちぶれてなんかない。人からもらった恩は倍返しにするって、そう決めてるんだから!〉

 これは、母の受け売りだ。某テレビドラマが流行ったとき、よく母がセリフを変えて言っていた。

 本来の意味とはきっと違う。けど、愛莉はその言葉を聞いて育ったのだ。

〈だ、だから脅したって、無駄なんだから。私はおにーさんに触れるし、いざとなったらおにーさんを連れて逃げれるんだからっ。空も飛べないあなたじゃ、私の勝ちだね!〉

「いや、飛べるよ? 僕は風系統の魔術が得意だからね」

〈……はい?〉

 事も無げに教えられて、愛莉の額に冷や汗が浮かぶ。

〈じ、じゃあ壁をすり抜ける!〉

「でもヴァイオスはすり抜けられないよね」

〈確かに……!〉

 ならどうすれば、と真剣に頭を抱え始めたところで、

「殿下、そろそろいじめるのはやめてあげてください」

 はぁ、とヴァイオスのため息が響いた。

 いじめ? と愛莉は二人を交互に見やる。

「なんだ、面白くない。おまえは気づいてたのかい?」

「途中から。最初は本気かと思って焦りましたよ」

「ならいいか。おまえが焦るのも珍しいし。何より面白いものが見られた。僕のプレッシャーに晒されてなお言い返してくるなんて、男でもなかなかいないよ? 肝の据わったお嬢さんだ。嫁に欲しいね」

「ご冗談を」

「いや、霊じゃなかったら本気だ。そこだけが残念だよ」

 愛莉を置いて交わされる会話に、愛莉は〈つまりどういうこと?〉と目を白黒させた。

 そんな愛莉に気がついて、ヴァイオスが労わるように頭を撫でる。

「ごめんな、アイリ。この方は人で遊ぶというたちの悪い……もとい高尚な趣味をお持ちでな? アイリはその餌食になっただけだ。本気でおまえを消すつもりはないよ」

〈え? そうなの?〉

「ちょっと違うね、ヴァイオス。最初は役に立たなかったから八つ当たりとして消すつもり満々だったよ。でも惜しくなった。それと人の趣味にケチをつけないでくれるかな」

 本物の鬼畜がここにいる。愛莉はそう思った。人をいじめるのが趣味であることは否定しないらしい。

「それより殿下、報告は終わったんですから出て行ってください。俺たちはこれから現場に行くんですよ」

「つれないね。僕も立ち会いたかったけれど、他の仕事が溜まっていて行けそうにない。今日の報告を楽しみにしているよ、アイリ?」

 意味深に名前を呼ばれて、ぞっとした。言葉の裏を探ってしまう。

(これは成果を上げなきゃただじゃおかねぇぞってやつだ! 脅しだ!)

 すぐさまヴァイオスの後ろに隠れた。

「ふふ、こういうときは隠れるんだね? 変わった子だ。おまえが入れ込むのもわかる気がするよ、ヴァイオス」

「入れ込んでなど……」

 言うだけ言って満足したらしいユリウスは、颯爽と部屋から出て行った。

 扉を閉めて、二人きりになった途端、どちらからともなく長いため息が出る。

「本当に悪かった、アイリ。あの方は浄化師でもないし、味方だから報告したんだが、まさかこうなるとは……」

〈あはは、気にしないで〉

 うまく笑おうとして、出たのが苦笑であるあたり、愛莉も思ったよりさっきの状況に参っていたらしい。

〈むしろ私、おにーさんの立場も考えずに色々言っちゃったけど、大丈夫だった? 私のせいで余計にいじめられない?〉

 そこだけが心配だ。でないと本末転倒もいいところである。彼の迷惑になりたいわけじゃないのだから。

 すると、ヴァイオスの大きな手が、愛莉の頭にぽんと乗った。優しいその手つきに、心が条件反射のように安堵を覚える。

 自分でも意外だが、どうやら愛莉の心は、その手を安心できるものとして早くも認識してしまったらしい。

「大丈夫。そんなこと、アイリは心配しなくていい。いざとなったらやり返すだけの強かさはある」

〈やり返すの? 王子様に?〉

「王子様だろうとだ。まずはそうだな、さっき愛莉をいじめた分は、あとできっちりと反省させようか」

 悪戯っぽく笑うヴァイオスに、愛莉もつられて笑った。

 不思議だ。さっきは笑おうとして頬が引きつったのに、今はそれが徐々にほぐれていっているのがわかる。

〈ふふ。反省させちゃうの? 王子様に?〉

「そう、王子様に。嫌な案件ばかり持ち込めば、そのうち向こうから謝ってくるぞ」

 まるですでに試したことがあるみたいな言い方に、愛莉はまた吹き出した。

 その笑みを見て愛莉の強張りが抜けたのを確認すると、ヴァイオスもまたほっと息をついた。

「ありがとう、アイリ。庇ってくれて。嬉しかった」

〈でも全然ダメだったけどね〉

「そんなことはない。あの殿下に立ち向かえる女性なんて、それこそ愛莉を含めて二人しか見たことがない。だから本当に……本当に、嬉しかったよ」

〈おにーさん?〉

 何かを噛みしめるように弱々しい微笑みを浮かべるヴァイオスに、愛莉は少し慌てた。だってその瞳が、今にも泣き出しそうで。

〈どうしたの。そんなにいじめられてるの? え、今から王子様殴りにいく?〉

「ふ、行かなくていい。すまない、ちょっと感傷的になっただけだから」

 愛莉の頭をくしゃりと最後に一撫ですると、それを合図にヴァイオスが扉に向かう。

「ほら、そろそろ行くぞ。ゲートが待ってる」

 気になることはあるけれど、差し出された彼の手に、愛莉は無言で自分の手を重ねた。


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