07:人、のち、幽霊


「転生? アイリは転生したいのか?」

〈えっ。転生のこと、知ってるの?〉

 まさかここは、異世界人がよく転生する世界なのだろうか。小説にもそんな話があったような、なかったような。

 いや、でもあれは異世界召喚だったかと、頭の中がこんがらがる。

「もちろん知っている。ルヴェニエでは『死は終わりではない』という死生観が根強いからな。これは暦の考え方からきてるんだが」

〈こ、暦……〉

「難しい話はやめておこう。とにかく、輪廻転生という概念は誰もが持っている」

「そーそー。だからさ、転生したいなら、さっさと昇天するのが早いと思うよー?」

 なるほど、と相槌を打つ。

 打って、なるほどじゃない! とすかさず自分にツッコミを入れた。なぜなら。

〈別に私、転生したいわけじゃないの〉

 そもそも愛莉の言う転生とは、普通の転生とは少し違う。異世界転生だ。さすがにそれは知らないかと、我知らず肩を落とした。

〈ちなみに私、このままだとどうなるの? 未練を晴らさないと、絶対にだめ?〉

 せめて、生身の人間だったなら。

 働き口を探して、衣食住を整えて。やることはたくさんあっただろう。不安もあるだろうけれど、未来への希望だって少しはあったに違いない。恋をしたり、チートをしたり、元の世界との違いを楽しんだり。

 でも愛莉は幽霊だ。未来さきがない。

 それに、幸いなことにお腹は空かないし、住む場所もいらない。着る服だって必要ない。今は白のブラウスにロングスカートという休日仕様の格好だが、これは死んだ日に自分が着ていたものだ。霊には着替えも必要ない。

 つまり、やるべきこともなければ、未来への希望もない。幸いというよりも、災いと言ったほうが正しいかもしれない現状に、また不安が募っていく。

 生きてもいなくて、死んでもいない。愛莉は今の自分の状態を、そう感じてしまう。この先どうすればいいのか、本気でわからなかった。

 だからといって、今すぐ完全に昇天したいわけじゃない。現実を見なくていいのなら、まだまだ現世に留まっていたい。

(と、思っちゃったりしてるけど、それでこの人たちに縋るのは、困らせるだけだよねぇぇー)

 しまった、と自分の発言を後悔する。

〈あー、と。ごめんなさい。やっぱりなんでも〉

 ――ない。そう続けようとしたところ。

「そうだな。未練がなくなれば、自然に天へと召される。俺はそれが一番いいとは思うが……まだいたいなら、いればいいんじゃないか?」

〈え?〉

 予想外の言葉に、目を点にした。

「おまえは無害な霊のようだし、それをわざわざ祓おうとも思わない。だから、今すぐ未練を晴らしたくないのなら、晴らさなくてもいいと思うよ、俺は」

〈……つまり私、まだここにいてもいいの?〉

「いいんじゃないか」

 頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。

 適当に言っているようで、その実ちゃんと言葉を選んでくれていると、愛莉はなんとなく気がついた。

 不思議だ。ヴァイオスの言葉は、もう動いていないはずの愛莉の心臓を激しく揺らす。

 成仏しろとも、好きにしろとも、彼は言わなかった。

 愛莉の存在を、ちゃんと肯定してくれた。

(ここにいてもいい、って)

 そう、言ってくれた。愛莉が無意識に望んだように。

 ああ。鼻の奥がツンとするのはどうしてだろう。霊なのに、自分はまだ泣けるらしい。視界がじわりと滲んで、慌てて愛莉はまた、自分の顔を彼の背中にぐりぐりと押しつけた。

 涙を誤魔化すように。

「今度はどうした。まだ何か不安なのか?」

 愛莉のこの行動を不安のせいだと結論づけたヴァイオスに、つい口の端から笑みがこぼれる。彼には自分の感情が筒抜けみたいで、なんだか面白かった。それが不快に思わないところも、やっぱり面白い。

 涙をぐっと引っ込めて、愛莉は顔を上げる。

〈えへへ。なんか、不安なのに、不安じゃないみたいな。よくわからなくて、とりあえずおにーさんにぶつけてみようかなって!〉

「はあ?」

 心底わけがわからないといった顔をして、ヴァイオスが首を傾げる。その仕草がかわいくて、胸がきゅんとした。イケメンはずるい。

「まあ不安だけじゃないならよかったよ。でも、一つだけ忠告しておくぞ。世の中には俺たちと違って霊を滅することを躊躇しない連中もいる」

 ヴァイオスが急に真剣な声で言う。すると、心当たりでもあるのか、ゲートも大きく頷いた。

「第六騎士団の奴らっすね」

「そうだ。あいつらは、霊も放っておけばいずれは悪霊となり、災いの原因になるからと言って、無害な霊も問答無用で祓おうとする。第六騎士団は、俺たちと同じ魔力を持った魔術師ではあるが、その中でも珍しい浄化師の集まりだからな」

〈浄化師?〉

 聞き慣れない言葉に、今度は愛莉が首を傾げた。

「なんだ、浄化師も知らないのか。そうなると、アイリはよっぽど遠い国の出身なんだな。この辺じゃ浄化師も有名なはずなんだが。まあいい。浄化師とは、その名のとおり魔物や霊の浄化を得意とする魔術師のことだ。俺たち第五騎士団は魔力で攻撃することはできるが、浄化することはできない。でもだからこそ、無害な霊にはためらうんだよ。攻撃されて滅されるのは、救いにはならないから。できれば自然に天へと召されてほしいと思ってる」

「そ。でも第六騎士団は違うんだよなー。あいつらは浄化こそ救いだと信じてんの。だから魔物はもちろん、悪霊だろうが無害な霊だろうが、お構いなしに浄化しちゃうってわけ。別にそれが悪いとは言わないけどさー。ほら、霊だって以前は、俺らと同じように生きてたわけっしょ? 現世に留まりたいほどの未練があるのに、出会い頭にのはねぇ」

 物騒な言葉選びに、愛莉はわずかに目を瞠る。まるで人を殺すような言い方だ。

(あ、でも。人なんだよなぁ。私も)

 そうだ。幽霊が人間であることは、誰よりも愛莉が知っている。愛莉自身がその証人だ。わかっていたはずのに、改めてそう言われて、やっと実感した。

 人なのだ、霊も。

 ただただ怖い存在なのではなく、自分と同じ、人間だ。そう思うと、彼らを化け物みたいに怖がっていた自分が、なんだか情けなくなってくる。

(この人たちは、だから私にも、こんなに親切なのかな)

 在り方が変われど、同じ人間だから、と。

「そういうわけだから、第六騎士団には気をつけろ。俺たちと同じ形の白い団服を着てるから、間違えないようにな。団員以外の浄化師はそんなに頭も固くないだろうし、そこを気をつければ問題はないだろう」

「うんうん。白いの見たら逃げろってことだねー」

〈わかった、気をつける。教えてくれてありがとう〉

「あはは。気にしないでー。団長は第六騎士団が嫌いなだけだし。特にあそこの団長とは仲が悪くてさぁ。向こうの団長の恋人さんが、ヴァイオス団長に一目惚れしちゃったとかなんとか? ですよね団、ちょー⁉︎」

「おまえは色々と余計だな」

 ヴァイオスが冷めた眼差しを送る先で、ゲートが脛を抱えて悶えている。

 ――弁慶の泣き所。

 あれは痛い、と愛莉はゲートに同情した。その悶絶級の痛みは、世界が違えど人類共通に違いない。

 するとそのとき、ふと上から視線を感じた。顔を上げれば、ヴァイオスがまっすぐと愛莉を見下ろしている。その顔が少しだけ気まずそうに歪んでいるのは、はたして愛莉の気のせいか。

「言っておくが、手は出してないからな」

〈え?〉

 一瞬何を言われたかわからなくて、反応が遅れる。

 それを悪い意味で捉えたのか、ヴァイオスがさらにばつの悪そうな顔で言った。

「さっきからあの馬鹿が好き放題に言ってるが、俺だってそこまで節操なしじゃない。エウゲン――第六の団長が、勝手に恋人を奪われたと言って勝手に俺に喧嘩をふっかけてくるだけなんだ」

〈はぁ〉

 つまり何が言いたいのだろうと、愛莉は困惑しながら相槌を打つ。なんだか言い訳しているみたいだと思ったのは、どうやら愛莉だけではなかったらしい。

「だから別に、俺はそこまで好色家なわけじゃ」

「団長」

 さっきまで痛みに悶えていたゲートが、そこで横槍を入れた。

「なんだか団長、浮気を必死に否定する旦那みたいっすぶっ⁉︎」

 爽やかな笑顔にめり込む拳は、脛よりも痛いだろうと手を合わせた。


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