06:ようやく気づいたこと


 もう死んでいるのに、おかしな話だと思われるだろうか。しかし、そう思わずにはいられなかった。

 死にたくない。独りになりたくない。

 誰にも気づいてもらえないのは、とても寂しいことだと知った。初めて孤独というものを味わい、初めてそれを怖いと感じた。突然車にはねられたときと違って、今は〝死〟の本当の恐怖を知っている。

 だから余計に〝死にたくない〟と強く願う。

 おかしなことを言う霊に、でも二人は笑わなかった。

 ヴァイオスが、自分に抱きつく愛莉の頭を、ゆっくりと撫でる。

「そうだな。せめておまえの未練がなくなるまでは、そのままでいてもいい」

〈未練?〉

「ああ。自覚がないのか? 死んで霊となり彷徨う魂は、現世に強い未練があるものだけだ」

〈未練……〉

 考える。自分には、どんな未練があるのだろう。

 まず、両親より先に逝ってしまったこと。

 次に別れの挨拶すらできなかったこと。最後の言葉は「行ってきまーす」だったか。よく悲しい小説とかにある喧嘩別れでないぶんだけ、自分はマシなのかもしれない。

 そういえば、その日は自分の愛読するレーベルの新刊発売日で、ちょうど休日ということもあって、本屋へ行く途中だったのだ。事前にチェックした情報では、自分好みの新刊が二冊ほど出る予定だった。

(くっ、そう思うとあれ、読みたかったなぁ)

 それも未練の内かもしれない。

 あとは趣味で書いている自作の小説。読者はまだまだ少ないものの、自分好みの話を自由に書ける楽しさは、何ものにも代え難い。四作品ほど公開しているが、その内の二作品は未完結である。

(ああ、完結させられなかったのも悔やまれる)

 考えれば考えるほど、次々と未練は溢れてくる。同時に思う。自分の死後、あのパソコンを親に見られたら最悪だ、と。

(やばい! あそこには私の妄想が詰まりに詰まってるんだけど!)

 つまりは自作の小説が保存されまくっている。公開していない小説なんかも多数ある。

 最近は自分も流行に乗ってみて、異世界転生ものの少女小説を書いていたはずだった。

(…………ん?)

 そこで、何かが引っかかった。あともう少しで霧が晴れそうな、そんな予感。けれど、そのあともうちょっとが晴れてくれない。

 なんだろう、もやもやする。なんて思っていたとき。

「でも、アイリちゃんってこの国の出身じゃないんすよね? ここに未練なんてあるんすかねぇ?」

 ゲートの何気ない言葉に、霧がさっと晴れた。

〈それだー‼︎〉

「「え?」」

 男二人の声が重なる。

〈それだよ! 国! ここ、なんていう国名⁉︎〉

「えーアイリちゃん、それも知らないの?」

〈うん。だから教えて〉

「ふっふっふー、どうしよっかなぁ」

 わざともったいぶるゲートに、愛莉は少なからずカチンときた。こちとら真剣に訊いているのに。

〈じゃあいい。たれ目が教えてくれないなら、おにーさんに訊くから〉

「たれ目⁉︎」

「ぶはっ。たれ目……それは、くく、いいあだ名をもらったな? ゲート」

 よかったじゃないか、とヴァイオスが口元を押さえながら肩を震わせる。その姿に、愛莉は釘付けになった。

 今までヴァイオスほどのイケメンに出会ったことはないけれど、その凛々しい美貌が緩む様は、想像を超えた破壊力だった。最初の印象が強面だったから、余計にきゅんとくるものがある。

 愛莉としては意趣返しのつもりだったけど、思わぬ効果を得られてガン見してしまう。

「酷いっすよ団長! アイリちゃんも、俺のことそんなふうに思ってたの?」

 愛莉としては、確かにちょっとだけ意地悪も入っているけれど、それでもゲートの特徴を端的に表していると思っている。だって彼は、目尻から目が落ちてしまいそうなほど、目の形がハの字を描いているからだ。

 しかしそれは言わず、愛莉はわざと唇を尖らせて言った。

〈それじゃあ、教えてくれる?〉

「わかったよ、意地悪してごめんね。ここはルヴェニエ王国だよ」

 そう聞いて、愛莉は優に三拍置いてから。

〈嘘はだめだよ?〉

「なんで⁉︎ 嘘じゃないって」

〈本当に?〉

「俺が保証しよう。間違いなく、ここはルヴェニエ王国の、王都ガルディアだ」

 愛莉の中で、一つの可能性が浮かび上がる。

〈……ちなみに、世界で何番目くらいに大きいの?〉

「単純な土地面積なら、五番目くらいじゃないかな?」

「ああ。だが、強さでいったら二番目だな」

 二番目、と口の中で繰り返す。愛莉が知っている五番目に面積の大きい国はブラジルだ。強さでいったらよくわからないが、それでも二番目に名前が上がるようなところを、全く聞いたことがないのもおかしい。

 そこまで有名な国なら、絶対に学校で習っている。

(てことは、やっぱり……)

 愛莉は項垂れた。さっきピンときてしまった一つの可能性が、今では確信に変わりつつある。

〈あの、変な質問かもしれないけど、日本っていう国の名前、二人は聞いたことある?〉

「ニホン?」

「さー? 俺は聞いたことないなぁ。団長は?」

「俺もないな。アイリはそのニホン出身なのか?」

〈えーと、あはは、チョットキイテミタダケデース〉

 思わず遠い目になる。

 まさか。いや、そんなはずは。でもまさか。

 そんな応酬を何度も何度も脳内で繰り返して、やがて、諦めた。

(やっぱりここ、異世界ってオチですかね……!)

 ネット小説で流行りのアレだ。異世界転生とか異世界転移とか。そう考えれば、全てのことに納得がいく。

 見知らぬ場所。ヨーロッパにしても、愛莉がいた二十一世紀とはどこか時代の合わない街並み。魔力。魔物。魔術師。

 そして、ヴァイオスもゲートも明らかに外国人なのに、言葉が通じる摩訶不思議。

(小説書いててよかった! 本当によかった!)

 でなければ、ここまですんなり現状を受け入れられなかっただろう。そもそも現状の理解もできなかった。

 全ては、「私も流行りに乗りたーい。異世界転生モノ書いてみよー」というなんとも軽い自分のノリのおかげだ。

 書き手として、さらに読み手として、異世界にいるという現状にじわじわとテンションが上がってくる。まるで小説みたいな出来事を自分が経験していると思うだけで、心の中にあった不安が一気に晴れた。

 ここは地獄でも、天国でもない。彼らは悪魔でも、天使でもない。

 ここは異世界で、彼らは同じ人間で。それとわかっただけで、足が地についた心地になる。といっても、幽霊なので実際に足は地につかないが。

〈あーやっと納得できた! そっかそっかぁ。ここが、そうなのかぁ。…………あれ?〉

 嬉しさの次に、疑問がやってくる。

(でも普通、異世界転生にしろ転移にしろ、生身の人間だよね? みんな――って言っても物語の登場人物だけど、生きてたよね? 幽霊ってどゆこと。聞いたことないよそんなの。死んでそのまま来ちゃったの? そうなの私⁉︎)

 これは転生、ではない。だって新たに生まれてないから。

 じゃあ転移かと言われれば、それも微妙に違う気がしなくもない。けれど、転生か転移かで選ぶなら、おそらく転移に近いのだろう。幽霊だけど。

〈だったら転生したかった!〉


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