05:アイリーンではありません


「ヴァイオス・マーレイ。それが俺の名前だ。王宮の第五騎士団長を務めている」

「そんで、俺がその部下。ゲート・スコットニー。よろしくねー」

 その辺の宿屋、と言っていたが、三人が入ったのは居酒屋のようなところだった。といっても、どうやら宿泊することもできるお店なのだとか。なんだか、以前海外旅行で見た、中世ヨーロッパの街並みを残した町のお店と外観が似ていると思った。

 三人は隅の丸テーブルに案内してもらい、ヴァイオスとゲートが何食わぬ顔をして座る。そして一つだけ空席に見えるそこに、愛莉は空気椅子よろしく座っていた。

 落ち着かない。なぜなら店内は、空席がほとんどないくらい客で賑わっているからだ。人目を避けて来たはずなのに、さっきよりも人目がある気がする。

 二人の自己紹介に反応しない愛莉を見て、ヴァイオスが何かに気づいたように「ああ」とこぼした。

「大丈夫だ。周りは誰もこっちなんて見ていない。みんな自分が楽しく飲むことに夢中で、だからあえてこういうところを選んだんだ」

〈じゃあ、変な目で見られない?〉

 それは言外に、ヴァイオスたちが、という意味が隠されていた。

 それに気づいたように、ヴァイオスが優しく口元を緩める。

「見られないよ。コートで団服は隠れてるし、どうせ仕事帰りの男が二人、寂しく飲んでるとしか思われないだろうな」

 まっすぐと見つめてくるタンザナイトの瞳に、愛莉の胸がとくんと鳴る。

 おかしい。いくら彼がイケメンとはいえ、初対面の男にときめくなんて。これが世にいう吊り橋効果なのだろうか。自分のちょろさが頭に痛い。

 愛莉は一度首を振ると、努めて落ち着き払った様子で口を開いた。

〈私は、皆本愛莉といいます。えーと、今は死んで、幽霊、ですけど〉

「ミナ、ミナモトアイリー?」

〈いえ。みなもと、あいり。愛莉が名前です〉

「ああ、アイリーンという名前か」

〈あれ? 違うんですけど。あ・い・り!〉

「? だからアイリーンだろう?」

〈あ!〉

「……ア……?」

〈い!〉

「イ……」

〈り! ここで止める!〉

「リ。……アイリ?」

〈そうです!〉

 思わず手を叩いた。

「変わった名前だな?」

 ゲートもうんうんと頷いている。

〈そうかな? でも外人さんにはそうなのかも……ってああ!〉

 いきなり椅子から立ち上がった愛莉に、ヴァイオスとゲートが不思議そうな瞳を向けてくる。

〈外人さんなのに言葉が通じてる⁉︎ 今気づいた。あれ、でも悪魔なら通じるもの……?〉

 頭はますます混乱してくる。悪魔というのなら、よっぽど先ほど遭遇したインプと呼ばれていたモノのほうが、悪魔っぽい見た目ではあるけれど。

 彼らはそのインプから愛莉を守ってくれたのだ。悪いモノには見えない。

 それに、見た目だけでなく、こうして飲み食いしている姿は、どこからどう見ても人間だ。

〈つ、つかぬことをお伺いしますが、その、おにーさんとスコットニー? さんは、人間、ですかね?〉

 自分はかなり失礼なことを訊いているのだろう。だから誤魔化すように〈はは〉と乾いた笑みを浮かべる。

 二人は顔を見合わせると、何を当たり前のことを聞くんだと言いたげに答えてくれた。

「あのインプを見ればわかるだろう。魔物とは、雲泥の差がある見た目をしていると思うが?」

「うんうん。あれと一緒にされるのは俺も心外だなー。てか、ゲートでいいよ」

〈あ、はい。じゃあゲートさんで。えっとそうじゃなくて、その、あ、悪魔とか、天使とか、そういうのだったりするのかなぁ、なんて?〉

「悪魔?」

「天使ぃ?」

 一拍置いて。

「ぶっ、はははははは!」

 ゲートの爆笑する声が響いた。

 その頭を容赦なくヴァイオスが叩く。

「いって! 団長酷い! 暴力反対っ」

「笑い過ぎだ」

「いやだって、まさか悪魔や天使に間違えられるなんて。悪魔ならまだしもですよ? 天使……天使って!」

 ぶふっ、ともう一度吹き出したゲートが見ていたのは、紛れもなくヴァイオスだ。

「ゲート、俺が天使だと何かおかしいか?」

「いえ! 全く! 何も!」

 ヴァイオスから漂う空気に剣呑な雰囲気が混じると、ゲートは一瞬で手のひらを返す。

〈じゃあ、悪魔でも天使でもないなら、二人は何?〉

 愛莉が不安そうにそう尋ねると、ヴァイオスは一転、苦笑して言った。

「もちろん人間だ。ただ他と違うのは、魔力があることか」

〈まりょく?〉

 それはまさか、あの〝魔力〟のことだろうか。よくゲームや漫画、小説などに出てくる魔法使いたちが持っている、魔法の源となる力。そんな馬鹿な。

 と、思いたかったが。

「ああ。さっきのインプのように、魔物を倒すには魔力が必要なのは知っているな? 俺たちは、その魔力を持つ魔術師だ。王宮騎士団の第五騎士団といえば、国民には言わずと知れた存在のはずなんだが」

 やっぱり外国人ということか? とヴァイオスが続ける。

「まあどこの国の浮遊霊だろうと構わないが、おまえに聞きたいことがあって少し探していた。偶然にも再会できてよかったよ」

〈ち、ちょっと待って! え? 魔術師? おにーさんたちが?〉

「そうだが」「そうだよー」とそれぞれ肯定を返される。

〈いやいやいや。魔術師ってそんな、ファンタジーな……〉

 ありえない、と脳が理解を拒絶している。

 いくら迷い込んだここが知らない場所で、天国とも地獄とも言えなくて、ヨーロッパみたいな街並みだなぁと思うことがあったとしても。

 ない。それはない。だってそれはファンタジー。創作の中のお話だ。

「まさか、本当に魔術師を知らないのか? 魔力のことも? ――では、自分が魔力に弱いことも?」

 それは聞き捨てならないセリフだ。

〈魔力に、弱い?〉

「さっきも言ったが、魔力とは魔物に唯一対抗できる力だ。その力は霊にも効果が及ぶ。だからか、霊も魔物だと言い張る連中も世の中にはいるくらいだ。さっきラビスの雷に当てられただろう? あれが残滓でなければ、アイリはとっくに消滅していた」

「え、そんなことあったんすか。うわー、ラビスの奴、危うく報告書だけじゃ済まされないところでしたねぇ」

「全くだ。貴重な情報源を消滅させたとあれば、殿下に鉄槌を下されるところだった」

「いえ、ユリウス殿下もそうですけど、一番怖いのは団長っすよ。本物の鉄槌が物理的に振り下ろされそう」

「何か言ったか?」

「いえ何も」

 二人が何か言い合っていたが、それが耳に入ってこない程度には、愛莉はショックを受けていた。何がショックなのかもわからないほどの衝撃を受けている。

 ぐるぐると駆け巡る、信じられない言葉たち。

 魔力。魔物。魔術師。自分は魔力で消滅する。

 言葉だけなら信じられなかった。けど、思い出した頬の痛みは真実で――

 ぐわしっ。

 右隣に座るヴァイオスの腕を、我知らず掴んでいた。

「アイリ? どう……」

 ぐわしっ。

 空いていた左手も、彼の腕を掴んだ。

 そのまま、すすすぅとヴァイオスの背後に移動して、また後ろから抱きつくように彼の腰に腕を回す。

「なになに、アイリちゃんも団長の毒牙にやられちゃったの? これだから色男はー」

「うるさいゲート。それと〝も〟ってどういうことだ」

「えー、だって団長、寄ってくる女性は次々と……」

「やっぱり黙れ。それよりアイリ、どうした?」

 柔らかい声で尋ねられて、愛莉は自分の顔をぐりぐりと彼の背中に押しつけた。こうすると彼の体温をより深く感じることができる気がして、愛莉はほっとする。

 自分はまだ、ちゃんとここにいる。まだ、霊という存在として、世界に存在している。

 それを確かめたくて、自分に触れられる、そして自分が触れられるヴァイオスに、無意識にも抱きついた。同じ条件を備えたゲートに抱きつかなかったのは、単純にヴァイオスが初めて自分を視てくれた人だったから。

〈私、死にたくない〉

 ぽつりと本音がこぼれる。


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