04:会いたかった
昼間より往来を行く人は少ない。天使なのか悪魔なのかわからない人たちは、人と同じように昼行性なのだろうか。
〈おにーさん、どこにいますかー。強面イケメンのおにーさーん〉
どうせ彼以外は誰も気づいてくれない。だったら、どれだけ声を張ろうが恥ずかしくはなかった。
それよりも、早く自分を見つけてほしい。世界の中に、自分は確かに在るのだと。
〈おにーさん、どこ? 逃げたこと謝るから、早く出てきてー!〉
そのとき、対面から来た女性とぶつかりそうになって――――女性が自分をすり抜けていった。
〈……っ!〉
肌が粟立つ。普通ではありえないその事実に、愛莉は言葉にできない怖れを感じた。自分の身体の中を誰かが通過していく、その奇妙な感覚に。
だんだんと唇が震えてきた。
〈っ、おにーさん! どこ! お願いおにーさん、返事して!〉
早く。早く。早く会いたい。
初対面の男の人なのに、なぜかこんなにも切望する。あの人に会えばこの不安は無くなってくれるのだと、そんな確信があった。
〈おにーさん‼︎〉
「ヒヒッ。イイモノ、見ィツケタァ。ウマソウナ魂ダァ」
「きゃーっ、魔物、魔物よ!」
「逃げろ! 誰か警備隊を呼べ!」
突然騒がしくなった街に、愛莉は困惑する。どういうわけか、蜘蛛の子を散らすように誰もが一斉に逃げていく。
残されたのは愛莉と、そしていきなり現れた、およそ人とは言えないモノ。
頭からはたくさんの短い角を生やし。コウモリのような黒い羽。痩せすぎなのか、肋骨と思われるものがその小さな身体から浮き出ている。ぎょろりとした丸い眼は金色で、歯茎までむき出しの口からはよだれが滴り落ちていた。
「不思議ダァ。オレ、生キタ人間シカ、興味ナイ。デモ、オマエハ美味ソウ」
そう言って、人間ではありえないほど細く長い指を向けられて、愛莉はようやく自分のことを言われているのだと気づく。
その瞬間、どっと震えがやってきた。
〈な、に。何なの、あなた……〉
強面のさっきの男よりも、こちらのほうがよっぽど悪魔にふさわしい見た目である。
誰かに気づいてほしいとは思ったけれど、こんなモノに気づいてほしいとは思っていない。
〈こなっ、で!〉
「ヒヒッ、怯エロ怯エロ。楽シイナァア」
ヒヒ、ともう一度下卑た笑い声をあげる。その耳障りな声に、愛莉は泣きたくなった。
死んで、死んだのに。どうして自分は、死後もこんな目に遭わなければならないのか。そこまで日頃の行いは悪くなかったはずなのに。
ちょっとした出来心で、父の愛車に石で絵を描いた五歳。
同じくちょっとした出来心で、母の高級化粧道具を勝手に使いまくった十歳。
好奇心に負けて、義理チョコにわさびを入れたのは十四歳のときだったか。翌年にはハバネロをチョコに混ぜてみた。
高校に入学して、バイトをするようになったときは、いつも給料をちょろまかして母に申告していた。というのも、バイト代は一度母に預けることになっていたからだ。
(そういえば、私のへそくり、どうなったのかなぁ)
これが俗に言う走馬灯なのか。懐かしい日々が頭の中に流れてくる。
わかっていた。現実逃避をしていることくらい。
(神様仏様イエス様! 私が悪かったです。日頃の行いの悪さを認めます。だから、だから、二度も死ぬのだけは勘弁して――っ)
ぎゅっと目を瞑る。魔物の鋭い爪が目前まで迫ってきた、そのとき。
ガキンッ。鈍い音がした。
「ア……ア゛ア゛アァァア‼︎」
魔物の絶叫が響き渡る。びっくりして、愛莉は瞑っていた目を恐々と開ける。
「インプにしては珍しいな。浮遊霊を食う気だったのか?」
その低く落ち着いた声に、愛莉はばっと顔をあげた。
広々とした背中が見える。黒いコートに身を包んでいる。その手には長剣が握られていて、愛莉はぎょっとした。
「団長、自分が仕留めます!」
「下級といえど油断するな。二人で当たれ」
「「はっ」」
愛莉の後ろから颯爽と現れた二人に、団長と呼ばれた男が命令する。
二人も同じ黒服に身を包み、腰には長剣を佩いていた。日本どころか世界でもありえない装備だ。見たところ軍服のような服を着ているが、たとえ軍人だとしても長剣はない。
しかし愛莉が最も驚いたのは、インプを囲んだ二人の手から、いきなり球体が現れたことだった。
それぞれ水色と黄色をしている。水色はその中で流動しており、黄色はパチパチと弾けていた。
水と、雷。すぐにそう思い至る。
信じられないけれど、それを見た愛莉の頭には、一つの言葉が浮かび上がった。――〝魔法〟
「あのバカども、インプしか見てないな……!」
〈え?〉
急に腕を引っ張られる。しかもそのままインプたちから離れるように、男が急いで距離を取った。
掴まれた腕を見て、愛莉は目を見開く。まさか、今、霊である自分に、彼は触れているのだろうか。どうやって。
混乱していた間にも、戦いは続いていたようだ。電気が弾けたような音のあと、大きな爆発が起こる。インプの断末魔が耳を貫いた。爆風に思わず目を瞑る。
が、そういえば霊だから影響を受けないのかと、何も感じない身体に遅れて合点がいった。
だというのに、戦いの名残が飛んできたのか、自分の頬でバチっと小さく電気が弾けた。
〈いたっ⁉︎〉
霊なのに、痛い。静電気とは比べものにならない。
愛莉の悲鳴を聞いて、団長と呼ばれた男が振り返る。一瞬驚いた顔をした彼は、次には舌打ちをしていた。
「あいつら、あとで説教だな」
そう言って愛莉の頬に彼が触れると、痛みが綺麗になくなった。電気も消えている。
ただ、触れただけなのに。
「ゲート、ラビス! やり過ぎだ。街中では加減を覚えろと言ったはずだが?」
「申し訳ありません、団長」
「えー、俺は水をぶっ放しただけですよー? ラビスの加減が悪いんですよ」
「え、僕のせい?」
「おまえら二人ともだ。危うくこの浮遊霊を――」
三人のやりとりを呆然と見ながら、愛莉は自分の頬にそっと手を当てる。
痛みが消えた。一瞬で。彼が何をしたかはわからない。けど、彼が消してくれた。それはわかる。
そして彼は、昼間に愛莉を認識してくれた人だ。
探していた。彼を。自分の存在を認めてくれる、存在を。
胸の内からじわじわと滲んでくるこの感情は、歓喜だろうか。
たまらなくなって、愛莉は飛び出した。
〈会いたかった……!〉
勢いよく後ろから抱きつく。見た目はそうでもないのに、しっかりと筋肉がついているのか、男の身体は思ったより固かった。何よりも、不思議と温もりを感じた。久しく感じていなかったそれが、余計に愛莉の涙腺を弱める。
〈っ、本当に、あいっ、あいだ、会いだがっだでずぅぅう!〉
「泣いた⁉︎」
「うわー、ヴァイオス団長が女の子泣かしたぁ〜。これで何人目?」
「僕が知ってる限りだと八人目だよ」
「うわ出た、変なところまで真面目なラビスの癖。普通数えるかぁ?」
「逆に数えないの?」
「そんなことはどうでもいい。それよりラビス、おまえはここに残って警備隊と後処理だ。ゲートは俺と来い」
「「了解」」
その会話で、彼がどこかに行ってしまうと思い込んだ愛莉は、必死に彼の腰にしがみついた。
離すものか。逃がすものか。やっと見つけた、希望の光なのに。
「おい、浮遊霊。ちょっと離せ。動きにくい」
〈嫌ですっ〉
「ここから移動したいんだ。周りにはおまえが視えていないから、気にせず話せる場所に行きたい」
「そーそー、じゃないと俺たち、ただの不審者だしね?」
そこではたと気づく。
〈あなたも私が視えるの?〉
「視える視える。俺たち第五騎士団の連中はみんな視えるよー。そういう連中ばっか集まってっから」
人好きのする笑みを浮かべるのは、先ほどゲートと呼ばれていた男だ。茶色に近い金髪で、その瞳は深緑色。まさに愛莉の知る〝外国人〟そのものの風貌だ。年は愛莉より少し上のように見えた。
「それにほら、俺もあんたに触れるよー」
な? と言いながら、ゲートの手が愛莉の頬に触れた。刹那、鳥肌が立った。
すぐに顔を背けて、触らないでと、抱きつく男の背中に顔を埋める。
「えー、俺は触っちゃ駄目なの? 団長ばっかりずるいや」
「おまえが軽薄そうに見えたんだろ」
「団長だって一緒じゃないですかー。〝女泣かせのヴァイオス・マーレイ〟と言ったら、社交界では有名も有名なのに」
「俺はうまくやってるからいいんだよ。おまえは前も団に女の揉め事を持ち込んできただろう。誰もなだめられなくて、結局俺がなだめる羽目になったんだぞ」
「いやぁ、持つべきものは女誑しの上司っすよね」
「今日の報告書はおまえが書くように」
「そんな!」
二人の軽口を聞きながら、愛莉は自分でもよくわからない感情と向き合っていた。
今自分が抱きついている男に触られたときは、全く何も感じなかった。けれどゲートと呼ばれる少年に
別に自分は、男嫌いなわけじゃない。生きていた頃は好きな人だっていた。短いけれど彼氏もいた。手を繋いだこともある。
なのに今は、彼以外には触られたくないと身体が言っている。
「とりあえず、その辺の宿屋にでも入るか」
抱きつく腕に、さらにぎゅっと力を込めた。
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