02:ここはどこ
どん、と自分の身体に走った衝撃を、
正直記憶は曖昧で、他に覚えていることといったら、車にぶつかったあと、意外と自分は綺麗に転がったなぁということである。
(だって頭をぶつけた覚えはないし)
それでも、自分は死んだのだろうと理解した。
それはいい、別に。常日頃から「人はいつか死ぬものだ」と考えていた愛莉にとって、自分にもその時が来ただけのことなんだと受け入れられる。取り乱さないのは、幸か不幸か、死の恐怖を感じる暇もなく、かつ痛みすら感じる暇もなく、自分が瞬殺されたからだろう。
だから今、愛莉が頭を悩ませているのは、別のことでだった。
(私は死んだ。それはわかる。はて、じゃあここは、天国かな?)
自分が死んだとわかるのは、自分の身体が浮いているから。眼下には街が広がっていて、たくさんの建物と、米粒ほどとは言わないが、ボールペンくらいの人が闊歩している。
それが黒髪黒目の人間なら、愛莉は何も思わなかった。
それが自分の知る〝日本〟と同じ風景なら、愛莉は何も疑問を持たなかった。
自分は死んで、幽霊として彷徨ってしまったのだろう。そう結論づけたに違いない。
が、何度見ても、そこにいる人々はみんながみんな金髪や茶髪、おまけに青やら緑の瞳の持ち主で、いわゆる外国人だったのだ。建物もレンガ造りとくれば、愛莉は首を傾げざるを得ない。
死んだ場所で浮遊霊とならなかったのなら、残す可能性は天国だろうか。愛莉は消去法でそう考えた。
(でも天国って、結構人間臭いんだね?)
初めて見る〝天国〟だが、想像とはだいぶ違う。
(なあんだ。天国って、お花畑できゃっきゃうふふするところじゃなかったのかぁ)
へぇ、と勝手に納得しながら、愛莉はふらりと下降する。
自分が車に轢かれた、と認識するより先に、気がついたらここにいた。おそらくそのせいで、どこか現実味を失くしている。根っからの事勿れ主義も災いして、愛莉は自分の死を悲嘆する前に、目の前の好奇心に心を動かされてしまったらしい。
行き交う人の間を縫うように、自由自在に飛んでみる。
〈すごいすごい! 鳥になったみたい! しかも誰も私に気づいてない。ほわー、なんか幽霊になった気分〉
気分、ではなく。実際に幽霊になったのだが。「愛莉って悩みなさそうだよね」とは友人Mの談である。
しかしそこで、愛莉は〈そういえば〉とぴたりと止まった。たった今追い抜こうとした老人の隣を並走する。
〈ここが天国なら、おじいさんは天使ってことだよね? え、天使? マジで?〉
失礼極まりないセリフを吐きながら、老人の顔をガン見した。ついで老人の背中もガン見してみる。思い描いた羽はない。
〈収納タイプ、とか?〉
ごくりと喉を鳴らした。意を決して、老人の背中に手を伸ばしてみるが。
〈ぎゃーっ、腕が消えたぁぁあ!〉
老人の背中の中に消えていく自分の腕を見て、愛莉はパニックになって絶叫する。彼女にとって不幸だったのは、ここにツッコミが不在であることだ。
〈うで……私の腕が…………ってあれ、ある。腕くっついて……あ、そっか! 私死んでるんだった。なんだすり抜けただけかぁ。あー、びっくりした〉
汗なんて出てないはずなのに、額を拭うような動作をする。でもそこで、またもや愛莉は〈あれ?〉と首をひねった。
〈天使って触れないの? というか、天使なら私に気づいてくれてもいいんじゃない?〉
なにせ、愛莉の知る天使とは、死者の魂をお迎えに来てくれる天の御使い様なのだ。死者の魂が視えないなんて、お迎えどころではないはずだ。
〈てことは、天使じゃない……? じ、じゃあまさか、悪魔、とか?〉
さっき老人の背中に羽根がないことは確認済みだというのに、愛莉は自分のその考えに顔から血の気を引かせた。
〈そんな! てことはここ、もしかして地獄!?〉
悲痛な声で叫ぶ。やはり愛莉にとっての不幸は、彼女にツッコミを入れる存在がいないことだろう。天使だろうが悪魔だろうが、どのみち死者を視ることができない時点で、彼女はその考えを捨てるべきだった。
〈あ、あああ悪魔怖い悪魔なんて絶対無理っ‼︎〉
老人から飛び退くように逃げ出した愛莉は、そのまま当てもなく逃げ続ける。行き交う人々全てが悪魔のように思えてきて、人気のないところに身を隠す。生きていた頃の名残なのか、彼女が選んだのは人のいない空ではなく、物陰だった。
自分が物体を通り抜けられることも忘れて、明らかに空き家だろうぼろ家に、開いていた玄関から侵入する。
奥へ奥へと進んでいき、これまた扉が開いていた部屋の中へと身を滑らせた。
外は昼間のように明るかったのに、この家の中は夜のように薄暗い。それがまた恐怖心を煽る。
(私のバカ絶対バカ。なんでこんな暗いところに逃げてきちゃったの。しかもさっき火の玉みたいなの見えなかった⁉︎)
愛莉はもともと怖がりだ。ホラー映画なんて所詮作り物だし、とか言いながら、実はちゃっかり怖がっているような人間だ。
自分がその怖がる対象の霊になってしまったことも忘れ、愛莉は自分の身体を抱きしめるようにして膝を抱える。彼女にとっては霊も怖ければ、悪魔やゾンビ、妖怪といった類も怖いものの内である。
するとそのとき、ぎし、と床の軋む音が聞こえた。
(だ、誰か来た⁉︎)
さらに身体を縮こまらせる。死んだことを自覚してからまだちょっとしか経っていない彼女は、やはり自分が今
吸っていない息を止め、震える身体を無理やり抑える。
ぎし、ぎし。音が徐々に近づいてくる。
(来ないで来ないでお願いだからこっちに来ないで……!)
ぎし、ぎし。ぎぎぃ。音が変わった。まるで壊れかけの扉を開けたような。
「ここにいるな?」
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