第5話 「ここ、僕の指定席なんですよ。」

「ここ、僕の指定席なんですよ。」


 翌日、約束通り…真島ましまさんとランチする事になった。

 そこで真島さんに連れて行かれたのは、会社の近くにある割と大きなカフェ『キャメル』

 飲み物と軽食のみ。

 お昼時にはランチセットがあるけど…大食らいのあたしには、物足りない感じかも。


 なんて思いながら…


「指定席って…毎日来るんですか?」


「そうですね。ほぼ毎日。」


 真島さんと座った席は、店の奥まった位置にある二人掛けで。

 背の高い仕切りと観葉植物で、下手するとちょっとした個室だ。


「どうして、この席?」


「内緒話するには最適なんですよ。」


「内緒話…」


「外に話が漏れませんから。」


 なるほど。


「で、あたしに何の内緒話が?」


 カウンターであらかじめ買って来たランチセットを、いただきます。と手を合わせて食べ始める。


「桐生院さん、最初から経理課なんですか?」


「はい。」


 うん。

 サラダは美味しい。

 このドレッシング、何だろう。


「経理課に、不正してる人物がいるって…」


「えっ。」


 つい、声が大きくなってしまった。

 目の前で、真島さんが口の前に指を立ててる。


「ご…ごめんなさい。」


「いえ、急にこんな話題ですみません。」


「…どうして…あたしに?」


「桐生院さん、西野さんと親しかったでしょう?」


「え…」


 西野さん…?


「か…彼が、不正を…?」


「いやいや、まだ断定したわけじゃないんですよ。ただ、上が目をつけてるのは確かです。」


「……」


「それで、自然と…桐生院さんにも疑いの目が向けられてますから。」


「……え?」


 それはあまりにも…信じ難い話だった。

 西野さんが不正を働いていて、あたしがその手助けをしている、と。


「そ…そんな、あたしは何も…」


「ですよね。あなたはそんなに器用じゃないと思いますから。」


 う。

 それはそれで…褒められた気がしないのはなぜ…


「でもどうして…真島さんがそんな事を?」


「実は僕、派遣社員なんて言ってますけど、調査委員なんです。」


「…調査委員…」


「社員に成りすまして、社内の不正を暴いてます。」


「…そんな事をあたしに話していいんですか?」


「もちろん、何かなければ話すわけないでしょ。」


 真島さんは…ニッコリ。

 …それって…つまり…


「…あたしに、何か探れ…と?」


「さすが。」


「無理ですよ。見てお分かりの通り、あたし…顔に出ちゃうし…」


「そこを何とか。彼には近付きやすいでしょ?」


「え…?」


「付き合ってましたよね。」


「……」


 つい…目が泳いでしまった。


「もう…別れましたから。」


「でも向こうは未練があるみたいですけど。」


「椎名さんと結婚するって…」


「ああ、でも無くなりましたしね。」


「え?」


「椎名さんは、別件で会社に居られなくなって、退職されました。」


「……」


 大食らいのあたしが、ランチを前に無言。

 さすがにこんな…

 こんな秘密だらけの話を聞きながら、ランチなんてできない。


「…調査委員なら…調査委員らしく、自分で突き止めたらいいんじゃないですか?」


「それが出来てれば、こんな相談しませんよ。」


『…んなんじゃ、納得できないわ。』


『そう言うなよ…』


「…はい?」


 突然、真島さん以外の人の声が聞こえて来て。

 あたしが辺りを見渡してると。


「ああ…ここ、耳近付けて。」


 真島さんは、仕切りの切れ目を指差した。


「……」


『だって、結婚式だって規模を小さくしようって…』


『悪いと思ってるよ…でも仕方ないだろ?』


「…盗聴?」


 小さく問いかけると。


「まさか。建物の構造で偶然そうなったみたいです。」


 どこのテーブルの話だろう…

 この声、聴いたことがある。


「一つ向こうのテーブルですよ。」


 あたしが顔を上げそうになったからか、真島さんが言った。


「ここで色々聞いてると、社内の情報が知れたりしていいんです。絶対内緒ですよ?ここ、僕の秘密基地みたいなもんなんで。」


「……」


 秘密基地。に、笑いそうになったけど、堪えた。


「とにかく、西野さんに近付いて…何か怪しい事があったら教えて下さい。」


「ちょ…怪しいって、どういう怪しい?」


「ああ…そっか…」


 真島さんは少し考えて。


「たとえば、やたらと倉庫に出向くとか、出張が増えたとか…」


「…最近は、ずっとそんな感じですけど…」


「じゃ、誰か意外な人とつるんでるとか。」


「…最近は一人が多いと思いますけど…」


「出張のお土産を配ったり。」


「…それは…なくなった気がします。」


「とにかく、それらを気を付けてみてください。」


「…分かりました。」


「できれば、一緒に食事にでも行って気を大きくさせてくれると嬉しいですけどね。」


「…それは嫌です。」


「だよねー。」


 真島さんは首をすくめて、紅茶を飲んだ。


「あの…こういうのって…結構危ない…ですよね?」


 あたしが恐る恐る問いかけると。


「…うん。ちょっと危ないかも。」


 真島さんはさらっとそう言って。


「でも、安心して。」


 いつの間にか…敬語じゃない。


「桐生院さんの事は、僕が守るから。」


 真っ直ぐな目は、しーくんとかぶった。


 22歳の、子猫みたいな男の子は…

 もしかしたら、黒豹みたいな人なのかもしれない。



 * * *



「咲華。」


 おじいちゃまが近所の寄り合いに出かけて、大おばあちゃまはちか兄夫婦と旅行中。

 華月かづきもまだアメリカだし、最近は全員が揃う事もままならない、晩御飯。

 父さんが、母さんにおかわりを申し出たついでみたいに言った。


「何?」


「男でもできたのか。」


「ぶっ…」


 つい、口にしかけてたお味噌汁を吹いてしまって。


「…おまえ、バレバレだろ。」


 双子の兄、華音かのんが小声で言いながらティッシュを取ってくれた。


「……」


 無言できよしを見ると。

 聖は小さく首を横に振ってる。


千里ちさと、やめて。そんな言い方。」


「心配してるだけだ。」


 あたしは口元を拭くと、姿勢を正して。


「…心配しないで。そんな人、いないから。」


 キッパリ…

 嘘をついた。


 ごめんね父さん。

 でも、まだ言えない。

 だって…

 二階堂の人間だと知ったら、きっと父さんは反対する。

 危険な仕事をしている奴とは付き合うな。

 そう言うに決まってる。


 それに…

 あたし自身、まだ…しーくんの事、そんなによく知らない。

 西野さんと付き合った事は、あたしにとってマイナスじゃなかったんだと思う。

 …もっと、ちゃんと、相手を知らないといけないって教訓をくれた。



「…まあ、出来たら報告しろよ。」


「うん。」


 おもしろくなさそうな顔の父さん。

 どうして…気付いたんだろ。


「急にどうしたの?」


 あたしが思ってると、母さんが父さんのお代わりを持って席に着いた。


「最近きれいになったと思って。」


「……」


「女がきれいになるって言ったら、やっぱ男だろ。」


 父さんは二杯目のご飯を食べながら、そう言った。

 華音と聖、それから…おばあちゃまがあたしを見る。


「…娘の変化には気付くのに、あたしには気付いてくれないのね。」


 あたしが少し困ってると、母さんが助け舟を出してくれた。


「…何?」


「ううん。いいの。」


「なんだよ。」


「ほら、気付いてない。」


「…ま…前髪切ったか?」


「いつの話よ。」


 母さんが自分の食器を持って立ち上がると。


「待て。知花ちはな。」


 父さんは食べかけの茶碗を置いて、立ち上がった。


「どこが変わった?」


咲華さくかの事は分かるのに、あたしの事は気にもしてくれてないのね。」


「娘に妬くな。」


「じゃあ、千里もあたしが華音とランチに行っても妬かないでよ?」


「う…」


「ほら。ずるい。」


「いや、それとこれとは…」


「もういい。千里なんて嫌い。」


「すぐ嫌いとか言うな。」


「じゃあ、もっとあたしの事も構ってよ。」


「…構ってないか?」


「最近、若手のプロデュースにばっかり気が行っちゃって。いいわよいいわよ。あたしだって、明日高原さんにボイトレしてもらうから。」


「なっなんで俺に言わない!?」


「高原さんの方がいいから。」


「なんだとぉ!?」


「千里はあたし以外の人の事でも気にしてれば?」


 母さんの冷たい口調に、父さんは怒る…かと思いきや。


「…悪かった…確かに最近、若手ばかり気にかけてた気がする…」


「いいのよ。仕事だから。あたしも仕事に集中する。」


「今までしてなかったのか?」


「してたに決まってるじゃない。だけど、あたしの一番はあなただから。」


「……」


 父さん…

 手の平で転がされてるよ…

 二人のやりとりを、あたし達はテーブルについたまま…食べながら眺めている。



「あ、今朝は千里が鼻声だから、食事はこうしようとか。昨日飲み過ぎて帰ったから、今日はこうしようとか。」


「知花…」


「でも、もうやめるから。」


「おっおい!!やめないでくれ!!」


「母さん、明日から、千里の事、お願いしていい?」


 母さんにそう言われたおばあちゃまは。


「いいわよ。暇だから。」


 お茶を飲みながら、笑って答えた。


「いや、義母さん、引き受けなくていい!!」


 …普段父さんは口数も少ないし…

 口を開くと暴言だらけなんだけど。

 こういった手の平で転がされてしまう会話には…

 情けないほど、負けてる言葉が並ぶ。


「…43と48の会話とは思いたくないな。」


 筑前煮を口にしながら、華音が苦笑い。


「でもおかげで助かったし…」


 あたしも、小声でそう返すと。


「姉ちゃん、娘のピンチには自分が盾になるよな…」


 聖が首をすくめて言った。


 …ほんと。

 以前、西野さんとのデートで門限を破ってしまった時も…

 母さんが自分を盾にして、あたしの事はうやむやにしてくれた。

 結局、彼氏って存在はあたしにはない。

 そういう事に、してくれている。



「悪かった…」


 キッチンでは、父さんが母さんの腰に手を回して。

 何やら愛をささやいている。

 小さな頃から見慣れた光景。

 今更どうとは思わないけど…

 しーくんと…キスをしてからというもの…

 触れ合う事の素晴らしさっていうのを、実感できて。

 両親のそんな場面を目の当たりにすると、あたしは幸せな夫婦の間に生まれたんだなって。

 ちょっと感激でもある。


 一段落ついたらしい父さんが再び席について。

 華音に向かって一言。


「俺はまだ47だ。」


「…誕生日、来週じゃん…」


「盛大に頼む。」


「……」


 あたし達は顔を見合わせて小さく笑って。

 母さんが。


「あたし、二人で旅行に行きたいな。」


 甘えた声で父さんに言って。


「…二人で?」


「二人きりで。」


「……」


 父さんは嬉しさを隠しきれない様子で、カレンダーに書き込んであるスケジュールをチェックし始めた。

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