第4話 「……」

「……」


「…咲華。」


「……」


「咲華。」


「……」


「おい。」


 パコッ


「いたっ。」


 頭を叩かれて顔を上げると、ティッシュケースを手にしたきよしが、目を細めてあたしを見下ろしてた。



「何よー。」


「何回も呼んだのに。」


「えっ…あ、ごめん…」


「……」


 聖は新聞を片手に、あたしの向かい側に座ると。


「…あいつと会ってんのか?」


 あたしを見ずに、そう言った。


「…あいつって?」


 分かってるクセに、聞き返す。


「こないだの男だよ。」


「会って……」


 ######


 あたしのポケットで、携帯のバイブ。

 それだけなのに…つい、顔がにやけてしまった。


「……」


 聖は新聞の紙面に落としてた視線を上げて、あたしを見て。


「…泣くような事になっても知らねーぞ?」


 冷たい口調で言った。


「…ご心配、ありがとう。」


 あたしは立ち上がって、足早に自分の部屋へ。


「……」


 嬉しくて、口元が変な形になっちゃう。



『今夜はありがとうございました。あなたと居ると、時間があっと言う間です。』


 あああああ…

 もう…



 今夜、あの後…手を繋いで歩き始めて。


「聞いていいですか?」


 しーくんが、遠慮がちに言った。


「何?」


「お付き合いされてた男性とのメールって…頻繁でしたか?」


「え?」


 すごく意外な事を聞かれた気がして、あたしは驚いた顔でしーくんを見上げた。


「…すみません。ちょっとだけ気になって…」


「あ…あー…うん…どうかな…多くはないと思うけど…」


 どうして…こんな事聞くんだろう?


「携帯は肌身離さず持ってる方ですか?」


「ううん…不携帯な事が多いかな…あまり電話もメールもないし…」


 あたしに連絡して来るのは、いるとしても家族。

 だから、家に居る時は必要ない。

 …西野さんと別れた今は、特に。



「じゃあ…」


「?」


「これからは、ちゃんと携帯して下さいね。」


「え?」


「俺からのメールや着信に、気付いて欲しいですから。」


「……」


「って、こんな男は、面倒ですか?」


「そっ…そんな事…ない。」


 嬉しいに決まってる!!



 気が付いたら…家の近くだった。

 しーくんは少し離れた場所で、あたしが門を入るまで見届けてくれてた。

 時々振り返ると、笑いながら手を振ってくれて…

 それがすごく嬉しかった。



 あたしも、時間が早いなって思う。送ってくれてありがとう。もっと…

 もっと、一緒にいたいです…


 …打つ?

 でも…

 ううん。

 …正直になろう。



『あたしも、時間が早いなって思う。送ってくれてありがとう。もっと一緒にいたいです。次は…いつ会える?』


 送信。

 大きく溜息をついてベッドに座ると。


「えっ。」


 すぐに…返信。


『電話していいですか?』


「……」


 これ…あたしから…かけてもいいのかな?

 しーくんの番号に電話すると。


『もしもし。』


 コールもなく、しーくんが出た。


「あ…」


『サクさん?一旦切っていいですか?』


「あ、ごめん…タイミング悪かった?」


『すぐかけ直します。』


「うん…」


 いいですか?って聞かれたんだから…いいよ、って返信するべきだったのかな。

 って思ってると…


 ########


 …着信。


「…もしもし…」


『電話だと、声が違って聞こえますね。』


「大丈夫なの?」


『え?何がですか?』


「電話…今、タイミングが悪かったんじゃ?」


『ああ…いえ、俺がかけたかったので。』


「……」


 やだな…


 しーくんて…

 いちいち、優しすぎる。

 こんなの…きっと女の子はみんな、その気になっちゃうよ…


『明日のお昼休み、出られますか?』


「え?」


『ランチ、ご一緒しませんか?』


「あ…あたしはいいけど…」


『じゃあ、隣のビルの前に車を停めて待ってます。』


「車?」


『天気予報見ると晴れのようなので、公園で食べましょう。』


「じゃあ…お弁当作って行った方がいいかな。」


『嬉しいですが、それはデートの時にしましょう。』


 デート…


「うん…」


『明日はおススメのサンドイッチ買って行きますよ。』


「分かった。」


『では、明日。』


「…おやすみなさい…」


『おやすみなさい。』


 もう…

 どうしよう…

 突然、キスを思い出して顔が熱くなる。


「…パックして、早く寝よ。」


 こうしちゃいられない。

 あたしはドレッサーの前に座ると。


「…頑張れ、サッカ。」


 鏡の中の自分に、エールを送った。



 * * *



「桐生院さん、何だか今日…いつもと違うわね。」


 トイレで一緒になった同期の浜崎はまざきさんが、鏡越しにそう言った。


「え…?」


 え?え?


 あたし、鏡に顔を近付けて、チェック。

 濃い?化粧、濃い!?


「いや、メイクじゃなくて。」


 同じく同期の枝野えだのさんがクスクス笑いながら、あたしの腕を引いて鏡から離すと。


「なんだろ…今日、可愛い。」


「……え?」


「いや、いつも美人だなって思うけど…今日はなんだか…キラキラしてる。」


「……あ…ありがと…」


「…彼氏でもできたの?」


「えっ…」


「もー、分かりやすいなあ。」


「あははは…」


 苦笑いしながら、もう一度鏡をチェック。


 恋すると変わるって言うけど…

 本当なのかな。

 西野さんと付き合ってた時には、誰にもそんな事言われなかったのに。

 …それだけ、あたしの気持ちも…違ったのかな…



 気合いを入れて仕事をした。

 テキパキと、何でもできる気がした。

 ああ…恋ってすごいな…

 こんなに自信を持たせてくれるなんて。



「お昼行って来ます。」


 いつもはお弁当なあたしがそう言ったところで、きっと誰も気にしない。

 それぐらい、社内でのあたしの存在感は地味で薄い。

 廊下を早歩きして、エレベーターの前にたどり着くと…少しの待ち時間が必要そうだ。

 あたしは階段を使う事にして、エレベーターの前を通り過ぎた。



「桐生院さん。」


 う。

 誰。

 忙しい時に…


 振り返ると…


真島ましまさん。」


「こんにちは。何、急いでるの?」


 真島さんは、なぜかあたしと並んで歩き始めた。


「ああ…ええ、ちょっと…」


「階段?」


「はい。」


「じゃ僕も。」


「えっ。」


「運動不足だから。」


 ニッコリ。


 そうして…

 真島さんは、あたしに付き合って、階段に。


「桐生院さんて、ここ長いの?」


「五年目です。」


「ふうん…じゃあ、結構社内の事も詳しい?」


「そんな事ないですよ。自分の仕事に精一杯で、周り全然見えてませんから。」


「教育係って誰でした?」


「に…西野さんです。」


「あ~、あの人か。」


「……」


 なんだって…こんな事聞いてくるんだろ…。


「…真島さんは、長いんですか?」


「僕は派遣なんですよ。しかも、使えない奴って言われてる。」


「…コメントし辛いですね。」


「あはは。そうですね。」


「7階って事は、IT関連ですよね。」


「はい。一応プログラマーなんですけどね。」


「すごいじゃないですか。」


 一階についた。


「明日、良かったら相談に乗ってもらえませんか?」


 ロビーに出た途端、真島さんがそう言って。


「え?」


 急に立ち止まったあたしに、ぶつかった。


「あいたっ。」


「いてっ。」


「……」


「……」


「ごめんなさい。」


「ごめんなさい。」


 同時に同じ言葉が出て、つい笑ってしまう。


「あはは…すみません。」


「大丈夫でした?僕、結構頑丈なんですよ。」


 笑うと…子猫みたいだと思った。


「真島さん、おいくつですか?」


「僕は22です。」


 若い。

 けど、もっと若く見える。

 あたしに相談って…

 生まれて初めてで、ちょっと嬉しい。


「何の相談か分からないけど…あたしに言っても解決しないかもよ?」


「桐生院さんに聞いてもらうのがベストかなって。」


「…そ…うですか。分かりました。じゃ、明日のお昼、空けておきます。」


「すみません。変更があったら、内線にかけます。」


「はい。」


 そこで別れるのかと思いきや。

 真島さんは一緒に外まで並んで歩いた。

 行先が同じ?って思ってしまうほど、あたしの隣にいる。


 隣のビルの前を見ると…黒い車。


「…じゃあ…」


 あたしがそう言うと、真島さんはニッコリ笑って手を振った。

 車に乗ってたしーくんは、助手席の窓を開けて、あたしを見た。


「待った?」


「いいえ。そちらに回ってドアを開けたいのですが、目立つといけないので。」


「そんなの…いいよ。」


 照れくさくて笑いながら助手席に座る。


「…今日も、可愛いですね。」


 シートベルトをしてるあたしを見て、しーくんが言った。


「……ありがとう。」


 しーくんだって…いつもカッコいい。

 あたしは心の中でそう言いながら。

 窓から入ってくる風を心地よく感じていた。




「わあ…美味しそう。」


 公園のベンチ。

 本当、今日はポカポカ陽気。


 しーくんが買って来てくれたサンドイッチは、あたしが会社の裏にあるスーパーで買うそれとは、かけ離れてた。


「これは俺が一番好きなやつです。」


 そう言って渡してくれたのは、ライ麦パンにチェダーチーズとハム、レタスたっぷりのサンドイッチ。


「いただきます。」


 がぶり


 大口でかぶりついてしまうと、隣でしーくんが小さく笑った。

 一通りその一口を食べ終わったところで。


「…笑ったわね?」


 目を細めて言ってみる。


「ああ…すみません…あまりにも勢いが良かったもので…」


「…ほんと…女らしくないよね…こんな食べ方…」


 内心、とほほ…なんて思いながら、二口目は小さく食べようと思ってると。


「見てて気持ちいいです。あなたと食べると、食が進みますよ。」


 そう言って、しーくんもがぶりと食べ始めた。


「……」


 もう…。

 何だかいつも気持ちよくさせてくれる。

 それに引き替え…あたしって、言葉も上手じゃないし…

 しーくんに何かしてあげられる事ないのかな…



「ねえ、しーくん。」


 たぶん、しーくんは…少し多めに買って来てくれたのだと思う。

 だけどそれを二人でたいらげてしまって。

 食べ終わったゴミを小さくまとめながら、あたしは言う。


「なんですか?」


「あたしって…しーくんの…彼女?」


 あたしの問いかけに、しーくんは優しい目をして。


「俺はそう思いたいのですが、どうでしょう?」


 あたしの顔を覗き込んで言った。


「…あたしも…そう思いたい…です。」


「じゃあ、晴れて恋人同士って事ですね。」


 すっ…と。

 しーくんが距離を縮めた。

 腕が触れて…それだけでドキドキしてしまう。


「あっ…よよよろしく…お願いします…」


「こちらこそ、お願いします。」


「それで…」


「はい。」


「…いつまで、敬語?」


「………ああ。」


 あたしの言葉に、しーくんはすぐには反応せず。

 気付いた時には、額に手を当てて笑い始めた。


「そうですね…無意識ですが、ずっと敬語ですよね。」


「うん…そう言ってる今も…」


「あー…難しいですね…敬語を使わない女性は妹だけなんで…」


「今までの彼女は?」


「敬語だったような気がします。」


「…恋人なのに…?」


「年上の方が多かったので、違和感ないように思ってましたし…相手も特に言いませんでしたから。」


「…って…もしかして、日本人と付き合った事ないとか…」


 長くドイツに行ってたって言うし…ドイツ語で敬語とかってあるのかな。


「ははっ。図星です。」


「えっ。」


「嘘ですよ。」


「もうっ。」


「敬語は嫌ですか?」


「……」


 う…

 うーん…

 そりゃあ…


「うん。普通がいいな…」


「そうですか…」


「それか…」


「?」


「あたしも、敬語で喋るとか?」


「……」


「あれ?おかしいかな…」


「ふふっ…あははははは!!」


「え?えっ?」


 しーくんが大笑いし始めて。

 それは、初めて見る光景で。

 あたしはつい…戸惑ってしまうのだけど…


「ははっ…二人で敬語ですか?」


 涙を浮かべてるしーくん。


「…だって、片方だけなんて…おかしいですよ。」


「はははは!!サクさんに敬語使われるのは…ちょ…ちょっと…」


 しーくん、笑い続けてる。

 …こうして笑ってると…

 普通に、24歳…より少し若く思えるぐらいなんだけど。

 いつもはしっかりし過ぎてて、息出来てるのかなあ…なんて思っちゃう。


「笑い過ぎ。」


 あたしが両手でしーくんの頬を掴むと。


「ふっ…ふふ…し…失礼しました…」


 しーくんは笑いを我慢しながらも…


「…すみません…あんまりサクさんが…可愛かったもので…」


 徐々に、その笑いを静めていった。


 …コントロール…しちゃうんだなあ…

 あたしはしーくんの頬をぐりぐりとしながら。


「許しません。もっと笑いなさい。志麻さんは笑わな過ぎです。」


 変な顔を近付けて、そう言った。


「え……」


 しーくんは一瞬固まったけど。


「ふっ…ふははははははははは!!」


 額をぶつけた後…あたしを抱きしめて…大笑いした。

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