第8話 「うわっ!!」

 〇ガク


「うわっ!!」


「きゃっ!!」


 ドシン。


 前を向いて歩いていたはずの俺に、何かがぶつかった。

 俺は平気だったけど、その何かは…

 …ひっくり返ってた。

 渡り廊下、コンクリートの上。



「……大丈夫か?」


 あまりの見事なひっくり返りっぷりに、少し目を丸くしたまま近寄る。


「わっわ…だっ大丈夫ですっ…」


「…ああ、なんだ、チョコか。」


「…あ…ガッくん。」


 チョコ。

 早乙女家のお嬢様。


 チョコとは小さい頃から、ひな壇みたいな所によく並んで座らされた。

 同じ歳だし、二人とも色が白いからか…お雛様みたいだと言われた。



「あ、そう言えば紅美と同じクラスなんだってな。」


 ひっくり返ったチョコには自力で立ってもらうとして…

 散らばった荷物を集めた。


 紅美は家出がたたって留年。

 もう一度、高校三年生をやる羽目に。

 辞めても良かったんだろうけど、頭いいからなー…あいつ。

 学校側からの卒業して欲しい!!の声に応えて、残りやがった。


 …ばかだなあ。



「ほい。これで全部か?」


 布や裁縫道具を入れたバッグを手渡すと、チョコは難しそうな顔をして座り込んだまま。


「…どこか痛めた?」


「……」


「足か?」


「…ううん…大丈夫。」


「言えよ。」


「……び…」


「び?」


「尾てい骨…」


「……」


 俺はポリポリと頭をかいて。


「ヒビ入ってたらいけないし…病院行くか?」


 しゃがんでチョコと同じ視線になって、真顔で言った。


「びょっ病院って!!お尻見せるの!?」


「…見せるって…医者にじゃん。」


「やだ…」


 チョコは顔面蒼白。


「…酷くなって座れなくなったらどうするんだよ。」


「……」


「…まず医務室行こうぜ?」


「…うん…」


 俺はチョコに手を貸して、医務室に向かった。


「センセ、ちょっと、こいつ見てやって。」


 医務室の先生に言うと。


「あら、早乙女さん、また具合悪いの?」


 また。とか…言うかな。

 チョコ、それでなくても体弱いの気にしてんのにな。


「廊下ですっ転んで、尾てい骨打ってやんの。」


「あらまあ…ちょっとベッドに横になって?」


 チョコは先生に言われるがままに、ベッドに横になった。


「あ、あなたは出てって。」


「へーい。」


 廊下で…一応待つとするか…


 医務室の隣にある通路から外に出て、水道で手を洗おうとし…


「……あ。」


 振り返ると…風に煽られた医務室のカーテンが全開になって。

 スカートを捲ってるチョコの白いお尻が半分見えた…


「……」


 そして…チョコとも目が合った。


「きゃああああああああ!!」


「…わざとじゃねーし。」


 あいつ…


 ほんっと、色白いなー。






「…泣くなよ…ったく…」


 泣きじゃくるチョコを自転車の後ろに乗せて。

 俺は、早乙女家に向かっている。

 泣いてるチョコは、尾てい骨が痛くて泣いてるのか、俺に半ケツを見られて泣いてるのか…


 チョコの事は嫌いじゃないが、こういうのはめんどくさい。

 すぐ泣く女は苦手だ。



「ついたぞ。」


 早乙女家の前について言うと。


「うっ…うっうっ…」


 チョコは泣いたまま…自転車から降りない。


「…ったく…ほら。」


 チョコの手を取って、ゆっくり自転車から降ろすと。


 ピンポーン。


 チャイムを鳴らした。


「はい。」


 しばらく待ってると、玄関のドアが開いて。


「あ、こんちは。」


「…学?」


「うん。」


 すっげ久しぶりに会う、園ちゃんがいた。

 園ちゃんは、チョコの二人いる兄貴の、下の兄貴で。

 絵描きだ。


 長い髪の毛に、丸いメガネ。

 相変わらず…親父さんにそっくりだなあ。



「と…チョコ?」


 園ちゃんは俺の後にチョコを見付けて。


「どうした?」


 問いかける。


「えーと…学校で俺とぶつかって、尾てい骨打ったみたいで…」


「え?折れたりヒビが入ったり?」


「医務室の先生曰く、打撲だと思うけど…って。明日の朝もひどいようなら病院行ってみたらどうかって。」


 園ちゃんは妹思いだ。

 チョコのカバンを手にして、心配そうにチョコの顔をのぞきこむ。


「痛いか?」


「……」


「こんなに泣いてるって…今からでも開いてる病院に…」


「…がうの…」


「え?」


 チョコは唇を尖らせて。


「……ガッくんに…お尻見られた…」


 小さくつぶやいた。


「……」


「……」


「あっ、いやいや、お尻見たって…その、半分だけだし。」


「半分も見たんだ?」


 園ちゃん、真顔かよ…


「…わざとじゃなくて…むしろ俺で良かったじゃん?」


 チョコにそう言うと。


「うっ…ううっ…ガッくんのバカっ!!」


 チョコは家に走って入った。


「……走れるじゃんかよ…」


 目を細めてチョコの残像につぶやくと。


「あーあ…学、チョコをあんなにして…」


 園ちゃんは、相変わらず真顔のままで言った。


「責任とって、嫁にもらってくれないと。」


「…は?尻見たぐらいで?」


「チョコからしたら、処女喪失ぐらいの大事件に違いない。」


「ばっばかな!!触ってもないのに、そんな扱いって!!」


「冗談だよ。」


「……」


 冗談言ってる顔じゃないだろ…

 …頬に、絵の具がついたままだ。



「寄ってく?」


 園ちゃんにそう言われて…

 別に特に用もないし…何となく、園ちゃんと話がしたくて。

 俺は、早乙女家に上がり込んだ。




「絵を描くのって、楽しい?」


 リビングに座ってお茶をいただく。

 もしかしたら暇じゃないかもしれない園ちゃんは、俺に付き合ってお茶を飲んでる。


「んー、楽しい時もあるし、そうじゃない時もあるし。」


「ふーん…今は?」


「…今は、すごく楽しくない時期を超えたいって思ってる所かな…」


 ちょっと意外な気がした。


「…将来って、絵で食べてくんだよね?」


「そのつもり。」


「…そっか…何の仕事も、楽しいばかりとは限らないよな…」


「学は、進路決まってるんだ?」


「いや…真っ白…」


 言葉と一緒に溜息も出た。


 学校側からは、留年した紅美と共に桜花の大学に進んでくれって言われてるけど…

 紅美はたぶん進学しない。

 もう、音楽一本で行くと思う。

 …そんな夢が俺にはない。


 周りが俺を望んでくれたら…なんて。

 誰かが用意してくれるレールの上を走る事しかしてこなかった。



「…何かがしたいとか、夢とか、昔から…何もないんだよなー…」


 何だろ。

 こんな話、誰にもしたことないのに…

 なぜか、園ちゃんには話せる。

 もう…夢を叶えかけてるからか?



「何もないっていうのは、反対に今からどんな夢でも持てるって事だろ?楽しめばいいんじゃ?」


「…楽しむ余裕ないなー…親は何も言わないけど、学校側からは毎日何か言われるしさ…」


「学なら応えてくれるかもって期待してるのかな。夢を見付けたから、ほっといてくれって言ってみるとか?」


 園ちゃんはクスクス笑いながら、お茶を飲んだ。


 …確かに…

 今まで何も断らなかった俺に…学校側は、次から次へと色んな提案をしてくる。

 きっと…望まれる事が好きなんだよな…俺。

 望まれなくなったら…なんて…



「…チョコは進路決まってんのかな。」


 何気なく口に出すと。


「ああ…裁縫関係に進むとは思うけど…」


「裁縫?」


 そう言えば…昔から器用だったな。


「そのクッションとか、ソファーカバーとか、この服とか…チョコの作品。」


「え。え?えっ?」


 クッションやソファーカバー…もすごいけど…

 園ちゃんが着てる服も!?


「すげ!!それ…」


「デザインもチョコ。」


「ええええ…」


 一気にチョコを見る目が変わりそうだった。

 デザインをして、それを作るなんて…



「…みんな、何か持ってんだな…」


 チョコの上の兄貴、詩生くんは、DEEBEEのボーカリスト。

 …早乙女三兄弟は…みんな夢がある。

 そして、もうそれを手にしてるも同然…



「……」


「どうかした?」


「いや…なんか…」


「ん?」


「俺って、空っぽだなーと思って。」


「……」


「あ…ごめん。暗くなって。」


 あまり俺は自分の事を話さない。

 本当は自信がないのを…知られたくないからだ。



「じゃ…あ、チョコ、明日の朝も痛がってたら…」


「ああ、病院に行かせるよ。」


「…責任は取らないから。」


「ははっ。冗談だよ。」


 園ちゃんに手を振って早乙女家を出る。



 …みんなに夢があって。

 俺にも…それを持つチャンスはあるんだろうけど…


 …焦る。





「ただいまー…」


「おかえりー。」


 早乙女家から帰ると、リビングで紅美がギターを磨いてた。


「……あのさ。」


 俺はその向かい側に座って、ギターを眺める。


「ん?」


「いつから、バンドで飯食えたらいいなって思ってた?」



 家出から帰って来た紅美は、しばらくは…悶々としてた。

 ギターも弾かなかったし、歌も歌わなかった。

 もう、バンドは辞めんのかなー…なんて気もしなくはなかったが…ある日突然、復活した。


 地下にあるスタジオで、ギターを弾いて歌って。

 それを知った母さんが…泣いた。



「バンドで食えたらいいなー…なんて思った事ないよ。」


「…でも、来年デビューすんじゃん?」


「ラッキーでしかないね。」


「本当は、他に夢とかあった?」


「夢ねえ…」


 紅美はギターを磨く手を止めて。


「楽しい時間がずっと続けばいいなあ、なんて漠然とした夢はずーっと持ってたよ。」


 そう言うと、またギターを磨き始めた。


「……」


 楽しい時間…


 それは、真実を知る前の事なのか。

 それとも、家出中に出会った男と…一緒にいた時の事なのか。

 俺には、聞く事が出来なかった。



「何。進路で悩んでんの?」


「…まあ、そんなとこ…」


「したい事ないの?」


「気持ちいい事ならずっとしてたいけど。」


「ふっ。同感だね。」


 紅美は立ち上がって、冷蔵庫からビールを持って来ると、一つを俺に渡した。


「バンドは?やんないの?」


「は?やらないよ。」


「もったいないな。学、いい腕してたのに。」


「…飽きっぽいからなー。」


「……」


 紅美はそれ以上何も言わなかった。

 もしかしたら…気付いてるかもしれないけど、言わないでいてくれた。


 俺は…望まれたい上に、拒まれるのが嫌いだ。

 DEEBEEが盛り上がり始めた時、俺は学校から切望されて、科学の論文を書いていた。

 科学の世界大会に提出する物だった。

 初等部の中学年ぐらいから…俺はそうやって学校から望まれる事は全て受けて来た。

 頭がいい者としては当然の事だと思ってたし…むしろ、嫌いじゃなかった。

 答えがある物は楽しい。


 反対に…

 夢なんて形のないもの…

 自分が思い描くものは苦手だったのかもしれない。


 DEEBEEに戻ろうとした時、すでに俺がいなくても十分なバンドの形が出来上がって見えた。

 おまえ、要らない。

 そう言われるのが怖くて…

 俺は、DEEBEEを辞めた。


 親父は残念がったけど…

 まあ、音楽の道は、紅美に任せる。


 周りを見ると、みんな道が決まってるように思えた。

 二階堂の本家は…特殊な稼業ゆえ、海くん、空ちゃん、泉ちゃん…イトコ達はみんなそれに向けて育てられてきたし。

 母方のイトコ達は…ノン君は紅美とバンド組んだし、サクちゃんは俺達の身内には珍しく、OLだし…

 華月ちゃんは、モデル。


 んー…

 本当に…決まってないのは俺ぐらいだよな…



「むしろさ。」


 ふいに、紅美が言った。


「あ?」


「あんたは、自分が何かをするって決めるより、誰かのために何かをしたいって決めた方がいいんじゃない?」


「…え?」


「桐生院のじーちゃんの会社を手伝うとかさ、今から修行して本家を手伝うとかさ…」


 …誰かのサポート…

 確かに、そんな発想はなかった。

 俺が、何かをしなくちゃいけないって思ってたから。


「頭の良さなんて、持ち腐れてもいーんだよ。」


 紅美はそう言ってギターを抱えて。

 親父のバンドの曲…

『Selfish』を弾き始めた。

 自己中でいい。みたいな歌だったっけな…


 …望まれない俺って…




 価値あんのかな…

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