規則が増える
風城国子智
規則が増える
「また、新しい規則ができたらしい」
三度目の資料確認に目を凝らすマコトの向かいで、同僚のツバサがうんざりした声を漏らす。
『規則63907番制定のお知らせ』
会社が支給した大きめのPC画面に映る資料を左目で見ながら右目でメールボックスを確認すると、見慣れた文字列が、マコトの瞳に映った。
「今回はどこがミスしたの?」
「PCの前で飲食禁止な、アキラ」
マコトの隣の席で、飲み物を啜りながら声を発したマコトのもう一人の同僚、アキラに、ツバサが舌打ちに似た言葉を発する。
「どうせ罰則無いんでしょ」
「罰則が無くても守るのが規則だ」
「はいはい」
ツバサの言葉にアキラが肩を竦めるのを、マコトは右目だけで確認した。
「警告出てるよ、マコト」
そのマコトの鼻に、アキラが服に使っている柔軟剤の匂いが広がる。PC画面を指差す細い指の先を確認すると、確かに、連続作業時間が規定を超えたことを示す警告アイコンがモニターの隅で踊っていた。
連続で作業する時間を制御する規則は、何番目の規則、だっただろうか? 休憩を推奨する規則は? 頭の隅でぼうっと考えながら席を立つ。マコトとアキラ、そしてツバサが三人で使っている狭いオフィスルームの隅に設えられたミニキッチンで、マコトは濃いコーヒーを入れた。カフェインの摂取を禁止する規則は、無かったはずだ。
「全く」
コーヒーに砂糖だけを入れて立ち飲みするマコトの横に、アキラの小柄な影が立つ。
「これだけ規則があると、誰も覚えてないんじゃない?」
濃厚な匂いがするココアを啜りながらのアキラの言葉に、マコトは首を、横にも縦にも見える角度で振った。会社の誰かが、どこかの部署がミスをする度に、会社の規則は増えていく。その規則を制御している部署もあるはずだが、それは下っ端であるマコトには分からない。
「少なくとも、規則を作成している『ボス』は、全ての規則を把握していると思うが」
新たな規則を配信するメールに記された、この会社の『ボス』であるとしか知られていない人物の仮名を、休憩しに来たツバサの言葉で思い出す。
「どうかな?」
増え続ける規則に不満が溜まっていたらしい、ココアを飲み干したカップを流しで洗いながら、アキラはツバサに向かって肩を竦めてみせた。
「この会社のミスの原因って、殆どは人員不足によるもの、らしいよ」
「確かに。さっき追加された規則は、先日のセクションNのミスから、だったな」
ここもそうだが、どのセクションも人が足りない。給料は高めだが、皆、疲れが溜まっている。身体に染みこませるように、殊更ゆっくりとコーヒーを飲み干すマコトの耳に、アキラとツバサの議論が響く。
「つまり、『ボス』って人が人を雇わないのが原因」
アキラの言葉にツバサが頷くのを、マコトは左目だけで確認した。『ボス』のことを批判してはいけないという規則は、無かったはずだ。
「これだけ規則が蔓延しているのだから、不要な規則もあるんじゃないかな」
今度は冷蔵庫からオレンジジュースの紙パックを取り出したアキラに、ツバサが鼻を鳴らす。
「不要な規則は削る、って規則ができると良いのに」
「『不要』かどうか、誰が判断するんだ? あのドケチボスか?」
「むぅ……」
揶揄するようなツバサの言葉に、アキラは黙ってオレンジジュースをコップに注いだ。
「人手の件も、規則の件も、今流行の『人工知能』ってやつで何とかする、わけにはいかないのかな?」
オレンジジュースを一口飲んでから、再びアキラが口を開く。
「あれこそ『規則』の塊だぞ、アキラ」
しかしツバサの一言で、アキラは再び押し黙った。
「……『規則』の無い世界に行きたい」
使ったカップを洗うマコトの耳に、アキラのか細い声が響く。
「皆が好き勝手ばっかりやる世界でも?」
箍が外れた人間は何をしでかすか分からない。悟ったようなツバサの言葉に、カップを片付けながら小さく頷く。
「それでもいい」
殆ど聞こえないアキラの声が、再びPC画面に向かったマコトの耳に、切なく響いた。
その夜。
アキラは、自ら命を絶った。
『自殺してはいけないという規則は無かったよね』
そのメッセージを、マコトの携帯端末に残して。
『規則64003番制定のお知らせ』
アキラの葬儀に出るために、一日だけ休む。
久しぶりに会社のPCを立ち上げたマコトが見たのは、新しい規則を知らせるメールだった。
「なに、これ?」
メールの文面を二度見して、思わず、向かいで普段通りPCを操作するツバサに疑問を発する。規則64003番の中身は、『自殺禁止』。
「アキラは、『ミス』を犯したわけではないのに」
「世間体だろ」
キーボードを打つ手を止めぬまま、独り言のように、ツバサはそう、マコトに答える。
「まあ、どちらにしろ、ドケチで面倒くさい『ボス』が作った規則であることに変わりは、ない」
「うん……」
普段通りのツバサの言葉に、マコトは何とか頷いた。
新規資料の作成と、既に作成された資料の4次確認。PC画面に示された二つの作業に、考える前に後者を選ぶ。今日は、新しいことを考えるだけの気力が無い。
「そういえば、最近、ボス、見ないな」
作業を開始したマコトの耳に、首を傾げるツバサの声が響く。次の瞬間、届いたメールに、マコトは目を疑った。
『規則64006番制定のお知らせ』
「『ボス』を見かけないことに対して、むやみに勘ぐってはならない」。メールの文面が大きく揺らぐ。
これも、誰か、あるいはどこかの部署が『ミス』を犯した所為で作成された規則なのか? 動かない頭で小さく唸ると、マコトは思考を捨て、会社の業務へと戻った。
規則が増える 風城国子智 @sxisato
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。