教室

「セーラはね、教室に入れないのですよ」


 ハーミットがセーラと初めて会ったその日。

 逗留している学院長の自宅のリビングで、学院長はセーラについて話し始めた。


「教室に入れない、とはどういうことだ?」


「教室に行こうとすると、足が止まってしまう。ひどい腹痛とめまいで吐き気を催し、震えて泣き出してしまう」


「……」


 ハーミットは、手に持っていたティーカップをテーブルに置いた。


「この春に入学してきたときは問題なかったと聞いていますし、当時はさほど目立つ子供でもありませんでした。少なくとも、フランのように教室を抜け出したり、教師に反抗したりとか、そういう派手な行動はありませんでしたよ」


「いつから、どうして、教室に入れなくなったのだ」


 そう問いかけるハーミットの声は、わずかにふるえ、視線はテーブルに落ちていた。

 学院長は、そんなハーミットの姿をテーブルの向かいから見つめて、穏やかな微笑みのまま、眉尻を悲しげに下げた。


「ひと月ほど前からです。ある日の朝、突然校門の前で泣いている姿が見られ、友人たちがどうにかして教室に連れて行くと、パニックを起こしてしまった」


 ハーミットがそっと席を立って、窓辺に移動した。

 カーテンをわずかにめくって、もうすっかり暗くなってしまった外を見つめる。


 学院長は、そんなハーミットの背中から目をそらして続ける。


「原因は、そうですね。恐らくひとつではないのです。セーラに聞いてみても、やはり本人もよく解らないものだから、無理に理由を見つけようとしてしまう。本当か嘘かわからない話がたくさん出てきてしまう」


「何が原因なのか、全く検討がつかないのか?」


「いえ。いくつかは要因となったであろうことは、把握しています」


「教えろ」


 振り向きもせず強い声でハーミットが言った。

 学院長は相変わらず、その背中を直視できなかった。


「ひとつは、母親の体調不良でしょうか。母親のことがひどく心配で、離れたくないと強く思っている節があります。この体調不良は、ふた月ほど前から顕著になったそうです。

 ふたつめは、学院に入ったという環境の激変に、半年、ずっと耐えていたものが限界を迎えた可能性です。この街の子供たちは、学院に入る前は、日中、親元で過ごしているか、修道院の経営する幼児を預かる施設で過ごしています。修道院のシスターたちは慈愛に満ちています。学院の生活よりはるかに自由で、はるかに優しい時間を過ごしてきている」


 学院長はここで悲しそうな顔になって、ハーミットの背中を、観念したように直視した。


「そして、最後。みっつめは、担任の教師に対する恐怖心です」


 ハーミットが振り向く。

 二人の視線がようやく重なる。


「セーラの神学教室にも、フランのように反抗したり教室から抜け出してしまう男子生徒がいましてね。神学教室の担任は日ごろからその生徒を叱っていた。ただ、その生徒はフランと一緒で、いくら叱られてもへこたれない性格でしてね。

 ある日、ひどいいたずらをした。けが人も出てしまった。ついに担任はその生徒を大きな声で怒鳴りつけてしまった」


「セーラを怒鳴ったわけではないのか?」


「ええ。しかし、セーラは、自分が叱られたのと同じくらいショックを受けてしまった。

 更に、そのときのひどいいたずらにはフランも加担していた。

 魔術学教室の担任は、少々ヒステリックな女性教師でしてね。日ごろからフランを怒鳴っていた。その日の雷は、今までにないほど大きな落雷だったようでして。

 二人の生徒が、二人の教師に、大声で怒鳴られるのを、間近で見た恐怖が、セーラの弱っていた心に、とどめの一撃をさしてしまったわけです」


「貴様の部下の、失態か」


「まことに。申し開きもできません」


 学院長がうな垂れるのを見て、ハーミットは少し気まずそうに咳払いをした。


「現在のセーラは、朝は門前まで母親が付き添い、そこから塔まで私が付き添い、日中はサリエルが付き添っております。帰りは他の生徒より少し早く、母親が塔の前まで迎えにきています」


「フランはなぜあそこにいた」


「セーラがああなったことに、わずかながら責任を感じているようですが、それより大きいのは、恐らく、フランには、セーラの気持ちが解るから……だと思います」


「解る? フランとセーラはまったく似ていないように見えるが」


 学院長はふっと微笑んで、ハーミットの顔を正面から見た。


「フランはやんちゃで、一見、何を言われても平気なように見えますが、実際は学院になじめない自分に苦しんでいるだけなのです。

 どうして自分は、他の子供たちのように出来ないのだろう。

 どうして他の子供たちは平気なのだろうと、自分でも気付かないうちにもやもやとした、うまく言えない、苦しみや葛藤を抱えているのです」


 ハーミットは、じっと学院長の話を聞いて、ふうとひとつ、ため息をつく。


「ハーミット。あなたとも、同じです」


 学院長の最後の一言は、聞こえないふりをした。

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